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交わる平行線

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「本当に、裁判を簡略化する」
 ということをしてもいいのだろうか?
 もし、それをするということになれば、
「遺恨からの復讐」
 ということを行った場合は、それこそ、
「極刑に処する」
 というほどの、抑止が働いていないといけないということになるだろう。
 実際に、そんなことが許されるというのだろうか?
 オオカミ少年が、まわりに対して、行った嘘というのが、
「どういう感情からきているものなのか?」
 ということを考えると、
「自分の身を守るため」
 という感情もあっただろう。
 一般的には、
「人の注目を浴びたい」
 という発想が大きいのかもしれない。
 普段から、注目もされず、
「何かあった時に周りが助けてくれるのだろうか?」
 ということを考えた時、実際に試してみたくなると考えるのも、無理もないことなのかも知れないが、そのため、やりすぎると、今度は、完全にまわりからの信用が皆無となってしまい、結局は
「自分で墓穴を掘る」
 ということになる。
 もっと言えば、
「未来において、時代が進むにつれて、本当に明るい未来が待っているといえるのだろうか?」
 と考えられる。
 というのが、
「都市開発」
 ということで考えるところがあるのだが、どうしても、
「老朽化」
 ということだけは免れない。
 だから、時期がくれば、改修であったり、建て直しというものが必要となってくるというものだ。
 ただ、都市開発などにおいては、
「今までとまったく同じものを建てる」
 ということは基本的にはしない。
 立て直す場合は、少なくとも、3,40年くらいは、もつものを建てることになるのだが、その間に時代は進んでいて、同じものを建て直していれば、
「旧態依然として、時代が先に進んでいない」
 ということを示しているかのようである。
 それを考えると、
「今の時代にふさわしく、さらに、未来を見据えた設計を」
 ということになるだろう。
 例えば、駅などのターミナルの建て直しなどであれば、周辺を区画整理し、
「新たな街づくり」
 というものを考える必要があるというものである。
 しかし、実際にはどうであろうか?
「昔の方がよかった」
 と感じる人がどれだけいるだろう?
 確かに、
「人がたくさんいて、活気がある」
 というだけが、いいというわけではないが、
「あまりにも殺風景だ」
 ということで、
「殺風景」
 と感じさせるのは、都市開発というものにおいて、実際にプラスになるといえるのだろうか?
「マイナスにならなければいい」
 ということで、
「プラスにならない」
 ということは、
「ゼロではないか?」
 ということになり、少なくとも、再開発ということになるのだから、
「セロであってはならない」
 ということから、
「殺風景だ」
 と思わせることはできないはずだ。
 しかし、それでも、
「新たな時代のまちづくり」
 ということになると、
「旧態依然の街」
 というのが、完全に今の時代にそぐわないと考えられるからなのか、実際に新しくできた街は、実に質素で、人口が増え続けている街であっても、逆に、駅を利用する人が減ってきているように見えるというものであった。
「これが、新たな未来の姿なのか?」
 と考えると、寂しいばかりであった。
 実際に、昔のような、商店街があったり、夜になると、赤ちょうちんや、スナックやバーといった飲み屋街が軒を連ねていただけで、活気を感じさせるのだが、今では、商店街も飲み屋街もすたれてしまい、特に商店街などは、
「郊外型の大型商業施設」
 というものにその立場を奪われ、駅前を閑散とさせることになったのであった。
 だから、
「今さら、駅前に商店街を作ったり、飲み屋街で賑やかにする」
 というのは、時代錯誤だと思われているのかもしれない。
「最低限に手に入るものがあればいい」
 ということで、
「コンビニがあれば十分だ」
 というくらいなのかもしれない。
 なんといっても、今の時代は、
「商店街でものを買う」
 という時代ではなく、
「ネット販売」
 などが主流になってきている。
 元々は、
「田舎に住んでいて、買い物にいけない」
 という、
「買い物弱者」
 という人たちのために考えられたシステムである、
「ネットスーパー」
 というのが、今では主流ということになってきたのは、数年前に起こった、
「世界的なパンデミック」
 というのが、その影響であろう。
「伝染病を蔓延させないため」
 ということで、政府の、
「人流を抑える」
 という方法として、
「外出を控える」
 ということになると、
「買い物も、食事もデリバリー」
 ということが主流になってくる。
「ネットスーパー」
 であったり、
「食べたいものを、注文すると、それぞれの専門店を回って集めてきてくれた配達員が、家まで届ける」
 というシステムが出てくると、テイクアウトが主流ということになり、街の開発も、そこまで活気を必要としない時代になったということであろう。
 ただ、これは、あくまでも、
「けがの功名」
 ということであり。
「駅前などの、街の中心部というのが、ゴーストタウン化してしまう」
 ということを、最初から分かってしていたということになるのだろうか?
 それこそ、
「人と人とのつながり」
 というものがなくなり、
「オオカミ少年」
 というのが、増えてくるといってもいいのではないだろうか?

                 不可解な血液

「オオカミ少年」
 という異名をとった少年がいたのだが、彼がどうして、
「オオカミ少年」
 と言われたのかというと、ある時、その男性が、警察に通報を入れたことが最初だったのだ。
 その通報というのは、ある日の夕方のことで、その日は、春の温かさが十分に感じされる、四月後半くらいだっただろうか。
 サクラはすでに散ってしまい、何度か雨が降ったことで、汚かった道路もすっかり洗い流され、サクラの気配は、すでに消えていたのだ。
 この年は例年にないくらい、冬の時期に、雨が多かったのだ。
 雨が多かったせいもあってか、
「いく、逃げる、去る」
 と言って、
「年始から3月くらいまでは、あっという間に過ぎてしまう」
 と言われていたが、今年の場合は、雨が多かったことで、
「さらに、あっという間だった」
 と思わせる。
 それだけ、
「寒さが身に染みることがなかった」
 というわけで、その分、季節の巡りもあっという間だったのだろう。
 だから、
「今年は冬がなかったのでは?」
 と言われるくらいで、
「そういえば、今年は一度も雪が降っても、翌日に残ることはなかったな」
 といえるのであった。
 毎年。1月後半から、3月前半くらいまでは、数回の大雪によって、
「交通機関がマヒする」
 ということで、ダイヤの乱れが必至だったといえるだろう。
 そんな時期において、やってきた春だったが、結局は、
「雨が多いのは変わっていない」
 ということで、しかも、元々寒くもない状態でサクラが咲いても、
「きれいなことはきれいだが、毎年のような、やっと春が来た」
作品名:交わる平行線 作家名:森本晃次