小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

交わる平行線

INDEX|4ページ/16ページ|

次のページ前のページ
 

 という事件があり、生前交渉における、男性の体液から、
「DNA鑑定ができなかった」
 と言われていたのだ。
 血液型くらいは、分かるであろうが、それであれば、基本的に、
「4つに1つ」
 ということで、
「犯人を特定するための、物証」
 ということにはならないだろう。
 この間、K警察署管内で、発見された、
「婦女暴行の被害者」
 で、
「最後には、殺されかかった」
 という女性がいたが、
 彼女は、完全に、生前交渉がされていて、
「妊娠の安否」
 を調べるのに、医者が検査を行った時、DNA鑑定を行ったが、
「鑑定ができなかった」
 と言われている。
 科研からは、普通に、
「ちょっとわかりませんでしたね」
 と、それを疑問を呈したような言い方をしなかったので、捜査本部の誰もが、
「これじゃあ、科研は期待できないな」
 というだけで、話は普通に流された。
 しかし、それを聞いて、一人だけ、
「変だな」
 と思った刑事がいた。
 その刑事は、佐久間刑事という若い刑事だったが、彼が感じたのは、
「どうして、誰も不思議に思わないのかな?」
 ということであった。
 確かに、警察学校では、
「最近の科学捜査は、目まぐるしく発展している」
 ということで、
「科学捜査こそ、未来の警察の姿だ」
 とまでいう人がいたくらいだった。
 確かに、
「昭和の時代」
 のような、
「足で稼ぐ」
 と言われた時代を、まるで当時の、
「時代背景」
 というような、
「熱血根性もの」
 という時代ではなく、
「科学捜査」
 であったり、
「プロファイル」
 などのような、
「犯罪心理学」
 というものからの警察の捜査というものが、発展してくると、それこそ、
「刑事なんていらない」
 という時代がくるかもしれない。
 そういえば、以前に読んだ、これも昭和の時代に書かれたSF小説の中にあった話だが、
「警察や、裁判も簡素化された」
 ということであった。
 裁判で証拠として挙げられたことを、電子頭脳が解釈し、ロボットが、その裏付けをするということで、
「次の公判まで、今であれば、早くとも1か月かかる」
 と言われるものが、3,4日で、
「次の公判ができる」
 ということである。
 ただ、
「弁護士や検察、裁判官などの数に限りがある」
 ということで、本来なら、
「もっと早くできる」
 ということから、
「未来の裁判」
 では、
「検事も、弁護士も、裁判官」
 も、ロボットがこなしているという時代がやってくるかもしれないということであった。
 となると、
「弁護士は、依頼人の利益を最優先にして、裁判に挑む」
 ということであるが、そこには、
「人の気持ちや解釈」
 というものがないと成り立たない。
 ということで、未来の裁判は、そんな、
「弁護士の理念」
 というものがなく。
「あくまでも形式的な弁護」
 ということになると、
「裁判は、被告人にとって、圧倒的に不利なことになる」
 ということになるだろう。
 そうなると、
「裁判に頭はいらない」
 ということで、もっといえば、捜査をする警察も。人はいらない」
 ということになる。
 そうなると、
「情状酌量」
 という言葉はなくなり、当然のごとく、
「執行猶予」
 というものもなくなるわけなので、そうなると、
「執行猶予がついていたものは、執行猶予なしの、ただの有罪」
 ということになるのか、それとも、
「執行猶予が付くくらいであれば、疑わしきは罰せずの理論から、判決は無罪」
 ということになるのではないだろうか?
 実際に裁判というと、まずは、事件が発生した時から始まるのだ。
 それが、まず、どういう内容の事件なのかということである。
「殺人事件」
 であったり、
「交通違反事件」
 というものであったりするだろう。
 それによって、警察の捜査が行われる。
 もちろん、殺人事件と、交通違反とでは、事件としては、
「天と地ほどの違いがある」
 といってもいいだろう。
「交通違反」
 だけの問題で、人を傷つけたりはしなければ、それこそ、交通課から、切符を切られることで、簡易裁判所への略式起訴という形で、形式的な罪状認否が行われ、決められた金額を支払うことで、刑罰は決定する。その日一日だけの裁判ということになる。
 もちろん、罰金を払ってしまえば、あとは、
「免許停止」
 などになった場合、期間短縮のため、自動車試験場で、講習を受けるなどということが必要となるが、それ以外の、いわゆる、
「裁判」
 と呼ばれるものは、本当の略式で終わりとなるのだ。
 それを、
「殺人事件」
 でも行おうとすると、相当な問題となるだろう。
 特に、殺人事件ということになると、
「被害者側」
 だけのみならず。
「加害者側の家族」
 というのも、その立場は、微妙なものだといえるであろう。
 しかも、今の時代は、
「仇討ち」
 であったり、
「復讐」
 という行為は許されていない。
 江戸時代までであれば、
「仇討ち赦免状」
 などというのをもらえば、仇討ちをすることもできたが、あくまでも、相手が自分の仇であろうがなんであろうが、相手を傷つけてしまえば、その人は、
「傷害罪による加害者」
 ということになるのだ。
 起訴されれば被告人。裁判にかけられるということになるのである。
 だから、殺人事件の被害者遺族というのは、どうしても、遺恨が残ることになるだろう。
 被害者側とすれば、
「加害者に対して、極刑を望む」
 というのが当たり前のことであろう。
 もちろん、殺害動機にもよるのだろうが、その内容が、
「理不尽極まりない」
 と思われることであれば、相手に極刑を望むのも無理もないことで、
「もし、極刑になったとしても、本当に遺恨が消えるのであろうか?」
 と思えるのだ。
 実際に裁判では、
「懲役10年」
 と、検察側が求刑を行ったとしても、実際には、それまでの被害者側の証人であったり、参考人招致などから、情状酌量というのが考慮され、
「懲役7年が相当」
 ということで、判決が下りることだろう。
 へたをすれば、
「執行猶予」
 がつくかもしれない。
 そもそも、よほど、
「社会を著しく不安に陥れた」
 ということであったり、
「社会的に問題がある」
 ということでもない限り、検察側の求刑に、
「死刑」
 などの極刑ということはないだろう。
 それを考えると、懲役が10年以上というと、それなりの凶悪犯罪ということにでもならないと、なかなか難しいといえるだろう。
「被害者側の遺族の立場」
 さらには、
「加害者側の立場」
 というものをそれぞれ考慮したうえで、裁判を行わないと、遺恨を残すことになり、その時の裁判では、結審がつき、
「一件落着」
 ということになるのだろうが、そこに遺恨が残ってしまうと、本来であれば、
「刑務所にて、刑に服し、刑期を全うし出てきた」
 ということで、
「禊は終了」
 ということに世間的にはなるだろう。
 今の、
「かなり時間とお金がかかる」
 と言われる裁判でも、
「遺恨が残らないとは限らない」
 と言われる時代であるにも関わらず、未来において、
作品名:交わる平行線 作家名:森本晃次