小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

交わる平行線

INDEX|3ページ/16ページ|

次のページ前のページ
 

「神隠し」
 などともいわれていた。
「時代も違えば、同じような、行方不明者」
 などであるが、
「蒸発」
 と
「神隠し」
 というものでは、基本的に内容が違うといってもいいだろう。
 もちろん、その時代のすべてが、そうだとは言えないだろうが、基本的なこととして、
「蒸発」
 というのは、
「自分から、何かの理由で姿を消す」
 という場合である。
 例えば、借金があり、借金取りから姿を消したり、精神的な苦痛などから、
「家に帰りたくない」
 などという理由などによって、身を隠すことをいうのだ。
 逆に、
「神隠し」
 というのは、別名として、
「かどわかし」
 といってもいいだろうが、本人の意識よるものではなく、
「誰かに連れ去られる」
 ということであったり、
「何か、超自然的な力が働いて、瞬間的にどこかに移動したり」
 というような場合をいう。
 つまりは、
「人が行方不明になった場合、
「自分の意志で姿を消す」
 という場合を、
「蒸発」
 といい、それ以外を、
「神隠し」
「かどわかし」
 などというのであろう。
「それ以外」
 という中には、
「人をさらうことによって、人質などにとったり、さらってきた人を利用して、金を取る」
 というようなことをした場合は、
「人さらい」
 であったり、
「拉致」
 ということになるのだろう。
「蒸発」
 というのは、結構、昭和の頃に言われていたものであったが、ただ、この、
「蒸発」
 というものというのは確かに、
「本人の意思に基づいて」
 ということであるが、
「その本人の意思というものを利用して、誘拐であったり、拉致ということをしていた」
 ともいわれるが、その場合は、
「他の、関係ないと思われた事件が解決すると、実はその中に、蒸発した」
 と思われる人が、
「事件に絡んでいた」
 ということも言われてきた。

                 オオカミ少年

 そういうことからなのか、
「例えば、変死体が見つかった」
 という場合であったり、
「行方不明になった」
 ということで、捜索願を出された人がいれば、どちらにも言えることとして、警察が考えることとして、3つある。
 一つは、
「何らかの事故に巻き込まれたか?」
 あるいは、
「何らかの事件に巻き込まれたか?」
 あるいは、
「自殺をした」
 ということである。
 関係のないと思われた事件に絡んでいる場合があることから、
「行方不明者や変死体」
 というものが出たときは、
「真っ先に考える3つの中の、事件に巻き込まれた」
 という考えが、警察としては、一番高い優先順位で考えるのではないだろうか?
 実際に、
「変死体が見つかった」
 という場合も、基本的には、
「司法解剖に回される」
 ということである、
 最初から、
「殺人を念頭において考えている」
 ということである。
 特に、行方不明として、捜索願を出した時、
「あの人は絶対に自殺なんかしない」
 と言っている人がいれば、
「どうして、そう言い切れるのか?」
 ということが気になるところである。
 普段から、
「自殺などしない」
 と思える人に限って、
「簡単に自殺をしようとするものだ」
 という人も多いだろう。
 逆に、
「死にたい」
 といつも言っていて、リスカの常習犯などということであれば、
「いつも手に、ためらい傷」
 というものを作っていて。そのうちに、
「死にたい」
 と口では言っても、
「どうせ、死にきれないんだ」
 ということである。
 そのうちに、
「しょせんは、死にきれないさ」
 ということで、
「また言ってる」
 ということで、誰も気にしなくなってしまう。
 それこそ、
「イソップ寓話」
 の中の、
「オオカミ少年」
 という話を思い出されるというものだ。
 この話は、
「羊飼いの少年が、退屈しのぎに「狼が来た」と嘘をついて騒ぎを起こす。騙された大人たちは武器を持って出てくるが、徒労に終わる。少年が繰り返し同じ嘘をついたので、本当に狼が現れた時には大人たちは信用せず、誰も助けに来なかった。そして村の羊は全て狼に食べられてしまった」
 というような内容の話である。
 解釈の仕方にもいろいろあり、よく言われることとすれば、
「ずっと嘘ばかりついていると、誰にも信用されなくなり、自分がひどい目に合う」
 というのが、その一つであろう。
 もう一つの考え方としては、
「確かに、嘘をつくのは悪いことであるが、いくら、いつもが嘘だからと言って、そのうちに信用しなくなり油断をしてしまうと、いつ、本当になるかわからない」
 ということへの戒めということにもなるだろう。
「油断大敵」
 あるいは、
「人のうわさも七十五日」
 という言葉のように、どこかで自分で見切りをつけてしまうと、何かあっても、対処はできない。
 ということで、
「絶えず、気を引き締める必要がある」
 ということになるであろう。
 それを考えると、
「当たり前のことを当たり前にする」
 というのは、当然のことであるが、
「いつ何時、何があるかわからない」
 ということを、
「戒めとして考えておく必要がある」
 ということになるであろう。
 つまりは、
「オオカミ少年の話」
 というのは、
「一つのことであっても、いろいろな角度から見れば、いい意味にも悪い意味にもとることができる」
 といってもいいのではないだろうか?
「一つ、別の発想で考えれば、面白い」
 といえるかもしれないが、
「マイナスにマイナスを描ければ、プラスになる」
 ということである。
 さらには、
「マトリョシカ人形」
 であったり、
「合わせ鏡」
 などというものは、
「無限である」
 という結論から、
「限りなくゼロに近いもの」
 という発想になるであろう。
 それを考えると、
「オオカミ少年」
 という話も、同じように、
「見る方向を変えると、何が潜んでいるか、分からない」
 ということになるだろう。
「一体、一日に、変死体というものがどれだけ上がるというのだろうか?」
 ということで、
大体であるが、
「東京都だけで考えただけでも、一日、20から30くらいだ」
 と言われているらしい。
 ということは、
「一日、20から30の司法解剖が行われている」
 ということになるわけだ。
 もっと言えば、毎日、平均でそれだけの数だということは、変死体以外も合わせると、
「果たして、どれだけの数の人が死んでいるということになるのか?」
 ということになるのだ。
「変死体」
 ということだから、
「実際に殺害された死体」
 というのも、かなりあるだろう。
 中には、かなり時間が経っていて、
「解剖だけで、死亡推定時刻がはっきりしない」
 ということであったり、
「身元すら、手掛かりがない」
 と言われるものもあるだろう。
 確かに、今の時代は、
「DNA鑑定」
 というものが可能な時代になってきて、少々腐乱していても、DNA鑑定の正確さは、昔に比べて、かなりのものだといえるだろう。
 そういえば、サスペンスドラマの中で、
「暴行殺人事件があり、婦女暴行後に殺害された」
作品名:交わる平行線 作家名:森本晃次