交わる平行線
「村人は、本当は、最初に一度信じたのであれば、徹底的に信用しなければいけなかった」
ということになるのか、それとも、
「オオカミがくる」
ということをそれまで考えてもいなかったのに、それをオオカミ少年から教えられたのだから、それを教訓とすべきだったものを、
「自分たちが騙された」
ということを、自分たちの正当性から、頭にくるということで、
「油断してしまったことから起こったことだ」
ということが、
「教訓なのだ」
といえるのではないだろうか?
それら、
「まったく違うことが、教訓として言われる」
ということで、
「逆も真なり」
という、発想から、
「長所と短所は紙一重」
さらには、
「交わることのない平行線を描くことで、短所と長所は、平行線であり、決して交わることのない平行線だ」
ということになるという教訓を、描いているといえるだろう。
そういう意味で、
「寓話」
や、
「おとぎ話」
というものには、
「必ず教訓というものがあり、それが必ずしも一つだとは限らない」
といえるのではないだろうか?
だから、今回の事件においても、
「もう一つの、分からない血液が残っていた」
ということには、何かの訳があり、それが、事件の真相に近づくということへの近道になるに違いない。
ただ、だからといって、一筋縄ではいかないというのが、真実というものだろう。
真実というのは、
「決して一つ」
ということではない。
真実というものが、
「事実という点を結びつけることで出来上がったものであり、プロセスが少しでも違えば、別のものになったりするというものだ」
しかし、逆に、
「プロセスが違っても、結果は同じということもあるだろう」
それは、決して交わらない平行線ということではないので、
「どちらかが、曲線なのではないか?」
ということであったり、
「平行線ではない」
ということになるだろう。
「プロセスが違っても、結果は同じ」
という考え方であれば、
「マイナスにマイナスを掛けると、プラスになる」
ということと同じなのかもしれない。
「同じ数字で、プラスにプラスを掛けると、まったく結果は同じになる」
ということで、
「相対数字」
というものを掛け合わせると、同じ結果になる。
ということでの、
「合わせ鏡」
であったり、
「マトリョシカ」
のような発想になるということになるのではないだろうか?
だから、
「探偵小説のトリックを解明し、謎解きをしようとするならば、相対的に考えられることを掛け合わせる」
ということでの、
「マイナスにマイナスを掛ける」
ということで出来上がる答えというものを考えさせられるということになるのではないだろうか?
そんなことを考えていると、
「何か大切なものを隠す」
というのも、
「探偵小説の中で、同じ発想になるのではないか?」
ということであった。
昔の探偵小説の中で、
「犯人が、証拠の品を隠す場合のこと」
ということで、いっていたことがあったのだが、
「一度警察が、この場所を調べていますからね。絶対に安全な隠し場所なんだ」
ということである。
警察の捜査というのは、
「なるべく、無駄なことで時間を使いたくない」
ということになる、
実際には感じることは難しいかもしれないが、
「警察の捜査ということで、時間がかかればそれだけ、経費が掛かる」
ということである。
もっといえば、警察というのは、公務員である。
つまりは、国民の血税によって成り立っている組織であり、本来であれば、
「国民の味方」
というのが当たり前の仕事であった。
しかし、今の時代は、
「警察がまともな捜査を行うには、国民からの信頼を得る必要がある」
ということから、
「警察の捜査を遂行するためには、国民からの信任を得る必要がある」
ということだ。
警察が頼りないと、
「自分たちの身は自分たちで」
ということで、
「一切の協力を、警察には期待しない」
ということになり、
「警察とは別に独自の捜査を行う」
ということになるだろう。
「市民が警察に協力しない」
というだけならまだいいが、
「警察の捜査の邪魔になる」
ということで、もし、邪魔をすれば、
「公務執行妨害」
ということになるだろう。
しかも、警察への誹謗中傷ということになると、
「市民が悪者」
ということになるのだろうが、逆に、他の市民は、
「市民として市民を応援する」
ということで、それだけ、市民は、警察を信用していないということになるわけであった。
それだけ、
「頼りにならない警察」
というものは、
「その存在だけで罪なのだ」
ということになり、それこそ、
「商法の中での、会社の存在意義」
というものに似ている。
つまり、社会における会社の全般的な罪と言われるものは、
「利益を出さないのは、罪である」
ということであった。
以前に見た時代劇ドラマの中で、戦国時代の話であったが、その時、武田信玄が、
「弱気主君は、罪悪なり」
という言葉を言ったが、まさにその通りだ。
「主君として君臨するのであれば、領民を守れなければ、武士の時代の基礎である、封建制度の崩壊につながる」
といってもいいだろう。
「封建政府度」
というのは、
「主君が、領民の土地を守るという契約」
そして、
「土地を守ってくれる領主のために、いざ戦を起こす」
ということになれば、
「ケースバイケース」
ということで、それぞれに義務と権利という約束事が出来上がるということで、それが、
「封建制度」
ということの成り立ちになるということであった。
だから、
「武家制度」
というのは、鎌倉時代の、12世紀末くらいから、19世紀の半ばと言われる約700年弱も続くことになったのだ。
もっとも、室町の途中くらいからの、約150年というのは、
「戦乱の世」
ということで、
「群雄割拠」
と呼ばれた時代ということになり、
「封建制度自体が崩壊した時代だった」
といってもいいだろう。
徳川幕府が成立し、封建制度を守るためということで、かなり無理なことを推し進めたが、それでも、
「260年間」
という、
「戦のない太平の時代」
というのが続いたわけだ。
封建制度の基礎としては、
「鎌倉幕府の滅亡」
ということであったり、戦国への突入ということからも、
「その致命的な弱点」
というのが、あからさまになったといえるだろう。
鎌倉幕府の滅亡には、いくつかの理由があるが、一番大きな理由は、
「元寇の襲来」
ということであろう。
防御のために、武士は、博多に集結し、最後には、褒美で何とかなるという状態から、
「借金をしてでも、駆け付けた」
という武士が多かった。
しかし、勝つには勝ったが、それまでの日本国内での戦ではなく、相手に攻め入ってキロ取った土地ではないということで、
「論功行賞」
ということで
「与える土地がない」
という、
「封建制度の契約というのが、土地を守る」
あるいは、
「命がけで戦えば、土地を与える」