反社会的犯罪
実際に、飛び降り自殺をした男には遺書はなく、衝動的なものだったということだ。
襲われた女性と、飛び降り自殺をした男とは、面識はないということであった。
ただ、殺人事件の捜査のように、細部にわたっての捜査ではないので、あくまでも、
「表に出ていること」
というだけのことであった。
襲われた女性は、名前を、
「遠藤はづき」
といって、年齢は19歳、近くの女子大の2年生であった。
友達関係は悪くなく、別に輪の中心にいるわけではないが、かといって、端の方にいるタイプでもない。
「いつも、友達の悩みを聞いてあげたりする、そんな親身になって人の世話が焼けるような女性でした」
という話を、事情聴取した仲間からは、聞かれたのだ。
もちろん、よほどのことがない限り、死んだ人のことを悪くいうということはないだろうが、これだけ皆が示し合わせたように、ほめるということは、まんざらでもあるまい。
それを思えば、
「彼女の人となり」
というものが見えてくることだろう。
では、
「飛び降り自殺をした男の方がどうなのか?」
彼は名前を、
「久保正二」
といい、彼は大学を出て3年目のサラリーマンで、まわりの人の話では、
「何か悩んでいるような気はしましたね」
ということであったが、話を総合してみると、
「普段から、細かいことで悩むことの多い」
という青年で、神経質で、少し気が短いという話であった。
しかし、この男に関しては、話が錯綜するところがあり、少なからず、
「彼は、のんきなところがある」
という人もいるくらいで、どこまでが本当なのか分からないともいえるだろう。
ただ、一つ気になった情報として、
「久保という男は、どこか忘れっぽいところがあったからな」
という情報だった。
他の人からは、そんな話は出てこず、その人一人からだったので、ほとんどの捜査員は、気にもしなかったようだが、よく聞いてみると、
「その人の話だけが、他の人とはまったく違っていて、まるで違う人の話を聞いているかのようだった」
というくらいである。
やはり他の捜査員は、その人のことを、まるで、
「狂言癖がある」
とでも思っているのか、まともに信じていないふしがあったが、それを気にしていたのが、F警察署の、
「樋口刑事」
だったのだ。
樋口刑事は、F県警でも、中堅クラスの刑事といってもいいだろう。年齢的には30代後半と言ったところで、そろそろ、警部補への昇進を考えてもいいかも知れないくらいであった。
しかし、本人はその気はないようで、
「刑事稼業」
を頑張るだけと考えていたようだ。
「現場が俺には似合っているからな」
といっているが、
「樋口刑事なら、そうだろうな」
と思われるほどに、まわりはあまり気にしていない。
かといって、まわりが、無視するような人ではなく、逆に、
「樋口刑事がいてくれるおかげで、捜査がうまくいく」
と思われているようだ。
実際に、樋口刑事は、
「F警察署刑事課には、なくてはならない存在」
と言われていた。
特に、直属の上司である、
「桜井警部補」
には、期待されていて、警部補からも、
「君はまだまだ現場で頑張ってほしい」
と言われているようで、その本音とすれば、
「今の間に、君の後継者を現場に作っておいてほしい」
ということであった。
確かに、今は樋口刑事に匹敵するような優秀な刑事がいるわけではなく、現場の責任者ということを任せられるのは、樋口刑事だけだった。
樋口刑事もそのことは分かっているようで、
「現場のことはお任せください」
という言葉に嘘はなく、事件解決までの指揮に関しては、素晴らしいものがあるのであった。
だが、
「後継者の育成」
ということに関しては、樋口刑事の
「一番苦手」
とするところであって、
「部下の指導」
というところまではできるが、
「後継者育成」
ということに関しては難しいようだ。
というのは、樋口刑事、
「育成方法」
というのは、
「一度一通り教え込んでしまうと、あとは、自分の背中を見てくれ」
というタイプだった。
というのは、
「まず、最初に一通り教え込む時、すべてを叩き込む」
というくらいの指導法なのだ。
だから、人によってはついてこれずに、挫折する人もいる。
かといって、職人気質のような、
「罵倒する」
というやり方ではないので、そこで、挫折したとしても、その刑事が、
「警察を辞める」
というようなことはなかった。
しかし、ついてこれなかった人の中には、樋口刑事に、
「苦手意識」
というものを持ったり、
「怒りをぶちまける」
という人もいたりと、
「賛否両論」
ということだ。
しかし、実績と、ほとんどの部下が信頼を寄せていることからも、
「優秀な刑事である」
ということに間違いはないだろう。
そんな樋口刑事に、
「全幅の信頼」
というものを寄せている桜井警部補は、樋口刑事に、
「刑事のイロハ」
を叩き込んだその人だったのだ。
彼にとって、樋口刑事は、
「自分の片腕」
であり、相談相手といってもよかった。
「桜井警部補は、自分の師匠」
ということで、二人の間には、
「固い師弟関係」
というものが結ばれていたということである。
そんな樋口刑事が、今回の事件で、
「犯人が飛び降り自殺をした」
ということが、どうにも気になるところであった。
だからと言って、
「暴行犯が彼ではない」
とは思っていない。
「彼が暴行犯であることに間違いはない」
という考えでいるようだ。
だが、今のところ、
「確証がある」」
というわけではない。
何といっても、まだ、
「暴行殺人」
と
「飛び降り自殺」
との間の因果関係が分かっているわけではないからである。
それには、まず、それぞれの人間関係を調べることが最初であったが、実際に調べてみると、
「二人を知る人たちからの事情聴取」
を行っても、
「お互いが知り合いだ」
という話も出てこないし、実際の経歴から接点を見出そうとしたが、表に出てきている経歴からは、どこにも接点がなかった。
それを思うと、樋口刑事は、
「暴行事件の犯人は久保だと思うのだが、久保の死は、本当に罪を悔いての自殺だというのだろうか?」
と思うからだ。
しかし、
「久保の死に、暴行事件が関係なかったとは言えない気がする。逆にいえば、彼が暴行犯だったから、死ぬことになったのではないか?」
と考えたのだ。
つまり、
「久保は本当に自殺なのだろうか?」
という思いであった。
「久保という男のことを聴いていると、確かに神経質だと言われているようだが、彼のことを、のんきだといっている人もいて、正直、つかみどころがない人だといえるのではないだろうか?」
というものであった。
それを他の捜査員に話してみると、
「でも、久保をのんきな性格だといっている人は一人しかいないじゃないか。しかも、その人は、久保に対しての印象を他の人とはまったく違ってとらえているじゃないか?」
という。