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反社会的犯罪

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「市民に一番近しいはずの存在である、交番を、どんどん減らしている」
 というのはどういうことだろうか?
 昔は、
「一つの町内には、必ず一つは交番があった」
 という時代があったのに、今では、
「一つの市に、数個しかない」
 というほどである。
 下手をすれば、
「公民館の数の方が多い」
 といってもいいくらいで、しかも、常時配備されている人数は、今までと変わらず、数名しかいないということになる。
 そうなると、巡査が、
「パトロール」
 というものに出ると、交番は、
「交番ではなく、留守番になってしまう」
 というような、
「笑えないギャグ」
 になってしまうだろう。
「そんなことで、治安が守れる」
 というのだろうか?
「市民の安全よりも、警察の予算が大切だ」
 といっているわけで、それこそ、
「本末転倒だ」
 としか言いようがない。
 そんな状態において、
「警察にばかり頼っているわけにはいかない」
 だからこそ、
「ストーカー問題が起こり始めた頃からの刑事ドラマというのは、警察における、縦社会の問題というものをえぐるものが多くなった」
 ということである。
 実際に、
「キャリア」
 であったり、
「ノンキャリ」
 と言われるところにメスを入れたドラマは、完全に警察組織を、勧善懲悪のドラマに仕立て、上層部が悪代官の役を演じているといってもいいだろう。
 そんな時代の中で、いまだに、
「ストーカー殺人というのはなくならない」
 といってもいいだろう。
 最近でも、東京の事件をはじめとして、地方都市でも頻発している。
「スナックやキャバクラの女の子」
をターゲットにしたり、
「風俗嬢をターゲットにする」
 ということも少なくはない。
 特に、女の子の中には、
「最初は、素敵な人だと思っていたのに」
 ということで、
「男を見る目がない」
 ということを女の子にいうやつもいるが、中には、
「この男なら、なんとかしてくれる」
 と思っている女性もいることだろう。
 最近の風俗嬢の中には、昔のような、
「借金の方」
 ということで、風俗嬢になった人はそれほどいないという話で、
「これを天職だと思っている」
 ということで、
「男性との自由恋愛を楽しむ」
 と思っている人も多いだろう。
 男とすれば、
「考えが甘い」
 と言われるかも知れないが、それは、人それぞれというもので、
「あんなオンナを相手にすれば、お金がいくらあっても足りない」
 と思っている人もいるだろう。
 そうやって、男でも、
「借金地獄に落ちる」
 という人もいる。
「逆に女の子の方も。ホスト通いをしたために、ツケが払えなくなり、借金まみれになったところで、風俗に身を落とす」
 という女性もいれば、
「風俗嬢が、知り合いに連れていかれたホストに狂ってしまった」
 ということもあるだろう。
 どちらの道を通ったとしても、
「あまりいい傾向とはいえない」
 ということだ。
 とはいえ、
「女性も男性も、チヤホヤされたい」
 という気持ちは大きいようだ。
 それは、
「彼女や彼氏がほしい」
 という、以前からの、
「純愛」
 というものとは勝手が違って、純愛というものは、
「本来であれば、無理もせずに、できるだけの付き合いをすればいい」
 ということであろうが、そこに情が絡むとややこしいということになる。
 下手をすれば、
「うまく相手が手に入るとなると、そこに満足できない男も出てきて、結婚ということになると、今度は、他のオンナがほしい」
 と考える人も出てくるだろう。
 世の中が豊かになってくると、
「普通の幸せでは満足できない」
 と考える人も出てくるだろう。
 ただ、それは、経済でいえば、
「バブル経済のようなもの」
 ということで、本来なら、そこで満足していれば、問題のないものを、
「ないものをある」
 と、まるで、
「実態のないバブル経済」
 のようなものだと勘違いをしてしまうと、自分というものが、
「我慢のできない人間になってしまった」
 ということに気づかないでいる。
 その状態が、
「精神的に病んでいる」
 という状態になると、
「嫉妬に狂ってしまう」
 ということになったり、
「猜疑心」
 というものが強くなり、
「疑心暗鬼」
 というものになることで、
「一時でも、相手を見逃してしまうと、我慢できないという状態になってしまうことになるのだろう」
 それが、
「ストーカー気質」
 というものではないだろうか?
 どうしても、その人を自分のものにしておかなければ我慢ができない。
 それは、
「相手がどう思っているか?」
 ということに関係なく、自分の思いだけを満足させれば、それでいいという考えだ。
 しかし、人間の欲というものは果てしないものであり、
「どんなにその瞬間満足できたとしても、次の瞬間には、別の疑心暗鬼が頭をもたげる」
 というものであり、それを、
「猜疑心」
 ということになるのだ。
 そのうちに、
「自分では抑えられなくなる」
 そして、その時に、
「もう一人の自分」
 という、
「別人ではない別人格」
 というものが表に出てきて、自分の頭と自分を操る。
 いくら。
「あれは自分ではなかった」
 といっても、まわりから見れば、自分であり、その場で取り押さえられでもすれば、言い逃れはできない。
「言い逃れをしようものなら、まわりからは、精神異常として見られるか」
 もっと悪いことに、
「あいつは分かっていてやっているんだ」
 とばかりに、後者であれば、
「罪は免れない」
 ということになるだろう。
 もっとも、本人の意識がない間のことであれば、その罪状によっては、若干ではあるが、罪は免れないとしても、見た目だけは、情状酌量ということもあるかも知れない。
 だが、そんな曖昧なことで、いいのだろうか?
 目が覚めてしまえば、普段の自分である。
 普段の自分がまともであればあるほど、
「もう一人の自分の所業を責めてしまい、自分を追い詰めることになるだろう」
 しかし、それは、あくまでも、
「病気ではない」
 という場合で、病気ということになれば、
「何事も捨てて、病気療養に専念する」
 ということになるだろう。
 しかし、
「病気ではない」
 ということになると、
「どのように、対処すればいいか?」
 ということを考えなければいけない。
 人が助けてくれる」
 ということもあるだろうが、それを頼っていては、ダメだ。
 自分から、
「何とかしないといけない」
 と考えなければいけない。
 そんな時に、人の助言も大切なのかも知れないが、それにも限度というものがある。
「人の助言で何とかなるくらいであれば、まだマシだ」
 といえるだろうが、ストーカー気質というものも、
「自分の何が悪いんおか?」
 ということが分からないと、どうしようもないというものである。
  そんな時、F県において、
「連続ストーカー事件」
 というのが流行っていた。
 この事件に関しては。いろいろな意見が飛び交っている。
「精神異常者による、ストーカー事件だ」
 ということをいう人がいるが、
作品名:反社会的犯罪 作家名:森本晃次