交換による解決
少なくとも、政府の優柔不断さが、次第に国民の怒りを買い、さらに、信任を失墜させることで、結局、我慢の限界に陥ることになるのだろう。
しかも、次期選挙で、
「与党に残ったとしても、あのソーリでは、獲得議席を減らすことで、俺たちが国会議員ではなくなってしまう」
ということから、当落線上、ギリギリの人にとっては、大変なことになる。
そうなると、党内から、
「あのソーリでは戦えない」
ということになるのは必至である。
その原因は、それまでの培われた、
「国民からの不信任」
ということになるのであった。
亡国のジャーナリスト
そんな、
「世界的なパンデミック」
という時期を、何とか乗り越えたことで、今度は、国民の、
「政治への関心」
というのは、まったく失せてしまった。
最初の頃は、毎日のようにニュースで、
「本日の新規感染者数」
「入院患者の数」
などというのが、シビアに報道され、自治体の長が出てきて、県民に、行動抑制を訴えたりしていた。
マスゴミによる、
「過剰なまでの扇動」
あるいは、
「洗脳」
というものが行われていたということになるだろう。
そんな国家において途中から、
「それまで、毎日のように促されていた行動などが、途中から、政府の関知しないという方向に向かっている」
ということになってきた。
それは、単純に、
「国が金を出したくない」
ということで、途中から明らかに、
「国は、金を出さないし、責任も取らないので、何かあった時は、自分で何とかしないといけない」
という風潮になってきた。
つまり、
「性ふぉを当てにせず、自分の身は自分で守れ」
ということであった。
だから、
「伝染病のランクの引き下げ」
というものを速めたのだった。
最大級の危険なレベルの伝染病ということで、
「治療費、ワクチン代」
など、
「すべて政府持ち」
ということであったが、レベルを引き下げることによって、
「インフルエンザと同じ」
ということにしてしまうと、
「ワクチン代も、治療費も、個人負担」
ということになるのだ。
それがよかったのか悪かったのかということは、正直国民には分からない。
なぜなら、政府はとっくの昔に、最初の頃あれだけ煽っていた、
「感染の推移」
というものをまったく示さなくなったのである。
だから、
「今の感染者数が何人で、今が減っているのか増えているのか?」
ということがまったく分からない。
実際に政府も、
「どれだけ把握しているのか?」
ということもハッキリしないので、国民は何も知らされないままに、まるで、崩れそうな橋の上を歩かされているようなものだ。
しかも、全体を把握する義務があるはずの政府は、すっかり、
「伝染病」
のことなど忘れてしまったかのように、
「自分たちのことだけしか考えない」
というかつての政府に逆戻りだったのだ。
そして、今となって、
「世界的なパンデミック」
の最中に、どれだけ国民に対して、
「政府らしいことをした」
というのかを考えてみると、
「ひいき目に見ても、何もしてくれんあかった」
といえる。
「何もしてくれなかった」
というだけならいいのだが、
「金は出したかも知れないが、しなければよかったという方が圧倒的に多かった」
と思っている人が多いだろう。
何といっても、
「政府が取ると言った責任」
あれが何だったのか?
ということを考えると、
「あれが政府の正体だ」
ということで、結局、あの時の、
「二枚舌」
というものが、今でもずっと残っているということを、肝心の政府が分かっているかどうかであろう。
分かっているとすれば、それ以降も、同じようなことは続けなかっただろう。
もう少し政府を信任することはあるのだろうが、今となってしまえば、
「増税」
というものをするといっておいて、
「まったく関係のない国に、戦争をしているための支援」
ということで、勝手に金をやっているのだ。
しかも、それは、政治家のポケットマネーではなく、
「国の金」
である。
つまりは、国民が働くことで得た給料の中から、税金として徴収された金ではないか。
「国民のために使ったり、蓄えておくための金」
を、政治家の、
「世界に名を売るためという売名行為のために使われる」
という、
「とんでもない政府」
によって、今の日本は導かれているわけである。
「家族が病気で、金がいる」
という状況で、
「近所の人が苦しんでいるから」
といって、家族全員で、
「いざという時のために貯めていた金」
を、
「ポンと寄付する人がどこにいる」
ということである。
そんなバカな家族はいるわけもなく、それを、
「国家単位で行っている」
というのだから、あり得ることではないだろう。
それを思えば、
「腐り切った政府によって、亡国の憂き目にあうのだ」
ということになるのである。
今の時代は、
「世界的なパンデミック」
で疲れ切った国民としては、
「もう、パンデミックは終わった」
などといって、本当はまだ続いているパンデミックにわざと蓋をするという形で逃れようとする政府のせいで、今度は、
「国民が、政治に無関心」
ということになったのだ。
そうなると、
「政府与党の目論見通りに、投票率の低下」
というものを招き、
「政府与党は安泰」
ということになるだろう。
ただ、今のソーリのやり方がひどすぎるので、政府としては、
「本当に思っていたように、世間が動いている」
といってもいいのだろうか?
それを考えると、
「因果応報な政府」
といってもいいだろう。
実際に、マスゴミも、政府に対していろいろ問題提起をしているのかも知れないが、
「叩いても埃は出るが、埃以外には何も出ない」
という情けない政府ということで、なかなか難しいところもあるだろう。
そんな時代の中において、
「この政府でいいのか?」
ということを問題提起はしているが、実際にそれに対して、国民が無関心であるということから、それこそ、
「糠に釘」
という状態で、何もできないと思っていて、歯がゆい思いをしている人は多いのだろうが、それが表に出ないということで、
「もし、政府に対して、声を高らかに挙げたとしても、国民が無関心なので、味方がいないということで、結局は、
「マスゴミも、大したことはできない」
ということになる、
そもそも、マスゴミというのは、
「「ペンは剣より強し」
ということで、
「ジャーナリストとしての誇り」
というものがあってしかるべきだろう。
中には、
「命を懸けて、政府を糾弾してきた」
という人もいたかも知れない。
「そのために、命を落としてもいい」
とまで思っている人もいたことだろう、
実際に、
「政府に対して」
ということよりも、
「警察の体制」
であったり、
「反社会主義団体」
などに対して、
「ペンで戦った」
という勇者がいたはずだ。
しかし、今の時代には、
「そんな人がどれだけいるのか?」