交換による解決
「子供を車に乗せた状態で交通事故に巻き込まれ、子供もろとも、即死した」
という悲劇に見舞われていたのだった。
その事故は、完全に
「相手が悪い」
ということで、奥さんや子供は、
「交通事故の犠牲者」
ということで、そもそも、奥寺議員の根強い人気の裏には、昔からの、そういった、
「同情票」
というものが結構含まれていたのだ。
もちろん、それも、10年以上も前のことなので、
「そんな事情を知らない若い有権者もいて、そんな有権者が、彼に票を投じるというのは、それだけ、奥寺議員の本当の人気もある」
ということであろう。
「奥寺議員の人気ですか?」
と、地元放送局がインタビューをしたことがあったが、ほとんどの市民は、
「正義感に溢れているところですね。でも、それを決してひけらかさないところでしょうね」
という意見が多い。
それは、
「奥さんと子供の事故」
というものが、影響しているということであろうが、それは当然のことながら、
「ひけらかさない」
というのは、その時の覚悟が、そうさせるのではないか?
と思うと、それは、
「同情票ではない、本当の支持思想が生まれてきた」
ということになるのだろう。
だから、若い連中にも、その思いが伝わることで、何度でも当選をするのであった。
普通、ここまで、当落ギリギリであれば、
「そんなに長く政治家を続けてもいられない」
ということで、
「どこかで見切りをつける」
ということも考えられる。
しかし、
「奥寺議員には、そんな考えはなかった」
あくまでも、
「地元民のために」
ということをスローガンとしていたので、
「中央の人気はないが、地元では強い」
ということであった。
しかし、悲しいかな、立候補は野党からであった。
実際に、
「与党の考え方にも反対ばかりはできない」
といっているので、
「与党候補になってもおかしくはない」
と言われているのに、あくまでも、
「野党からの推薦」
ということになっている。
理由としては、
「与党には、絶対に当選させなければいけない議員が数人いて、奥寺議員の椅子はない」
ということであった。
つまりは、
「はじき出された」
といってもいいだろう。
だが、与党議員を相手にしても、票数は結構取れている。
だから、
「今回は、落選」
ということになっても、
「次回は、必ず復活してくれる」
と地元民は思っている。
ただ、地元民としては、
「政権与党」
の力は不可欠で、
「与党基盤が盤石でなければ、この県は、滅んでしまう」
とまで言われている。
それを考えると、
「今度の選挙では、もう少し奥寺議員に票が集まってもよかった」
と言われた。
しかし、
「どうしても、与党に票が集まらないと、自治体としては困ることになる」
ということからの、
「ギリギリ当選」
だtったのだ。
しかし、この結果に、奥寺議員は、今回に限り、
「自分の中では納得がいっていない」
と思っていたようだ。
選挙期間中に、側近に対して、
「他言無用」
と口止めをしたうえで、
「今回は、少しまずいかも知れない。だが何としても、当選しないといけないんだ」
といっていた。
今まで、奥寺議員は、心の中では、
「必勝」
を誓っていたのだろうが、それを口にすることはなかった。
側近とすれば、
「議員は、縁起を担ぐことが多いので、その意味から、自分からは、何も言わなかったのではないか?」
と思っていたというが、その意見には、奥さんも、
「賛成だ」
ということであった。
実際に失踪してから、側近と奥さんは、
「奥寺議員のことを振り返ってみる機会を得た」
と感じていた。
「私たちにとって、議員は、どこまでの人物なのか?」
あるいは、
「あの人にとって、私たちは、何に役立っているんだろうか?」
というようなことであった。
確かに、それぞれが、
「おんぶにだっこ」
という関係であるが、それは、
「選挙活動において」
ということであり、
「国会では、議員に対しては、本当に裏方でしかない」
ということになるであろう。
交換推理
「国会議員の自殺と、ジャーナリストの自殺」
この二つが、事件にかかわっているということが分かるのは、それから少ししてのことであったが、それを発見したのは、
「ジャーナリストの自殺」
を、
「殺人ではないか?」
ということで捜査をしている樋口刑事であった。
樋口刑事は、新聞社に勤めていた時の話を、かつての同僚や後輩に聴いて回った。
年齢的に、聞き込みをする人は、ほとんどが、
「定年退職後の人」
とうことで、話を聞くのは、そんなに厄介なことではなかった。
というのは、
「定年退職しているわけなので、なんでもいえる」
ということからであった。
逆にいえば、
「それだけ、マスゴミやジャーナリストは、秘密主義だったか」
ということが言えるわけで、
「定年になって会社とはもうかかわりがない」
ということであったり、
「時間がかなり過ぎている」
ということから、
「元々の、ジャーナリストとして秘密にする」
という習性もなくなっていて、そもそも、
「秘密主義」
などというものに嫌悪していたことから、彼等の口はかなり軽かった。
ただ、
「年齢がいっている」
ということと、
「時代が変わってしまった」
ということから、
「その内容を、的確に話すことができるか?」
ということに関しては、
「疑問が残る」
ということであった。
それを考えると、
「小笠原君は、今から思えば、一人で動くことが多かったね」
という。
「何かアウトローなところがあったということでしょうか?」
と、刑事は、自分たちの中にも、そんな刑事がいることを思い浮かべながら聞いてみた。
しかし、
「アウトローといえばそうかも知れないですが、逆に、秘密主義だったと言った方が正解なのかも知れないな」
というのだった。
「それは、何かの力に操られる感じですか?」
と聞くと、
「そうでもないんだ。彼は少なくとも、正義感はあっただろうからね」
と、それこそ、
「秘密主義は正義感とは無関係」
と言いたいのではないか?
と考えるのだった。
「そういえば、彼は、元々、新聞社への入社ではなく、フリーでやっていたんだよ。記事を独自に書いて、それを新聞社や、雑誌社に売り込むというようなね」
と言い出した。
「ほう、そんな商売もあるんですね」
というと、
「ええ、もちろん、決まった収入が得られるわけではないので、自由に動ける反面、実際に動こうとすると、そのためには金がいるわけで、結局、自由には動けるのに、金がないということで、にっちもさっちもおいかないということになっていたようですね」
という。
「じゃあ新聞社に入れたというのは、何かきっかけになることがあったんですかね?」
と聞いてみると、