交換による解決
初当選が40代前半で、その途中、
「当選したり、落選したり」
を繰り返す、
「当確ラインぎりぎり」
という議員であった。
それは、彼が、
「民政党」
という野党に所属しているからのことで、与党の議員であれば、もう少し当選回数も多かったことだろう。
それでも、
「先生」
と呼ばれ、地元では、善政を敷いていたということで、地元からの声援と期待は大きかった。
さすがに、中央に出ると、ほとんど目立つこともないのだが、最近では、
「与党議員における失態」
というものが目立つようになり、少し野党議員も見直されてきたのだった。
何といっても、ここ数年での、
「政府与党の酷さ」
というのは目に余るものがある。
「悪徳商法で昔から散々言われてきたカルト宗教団体との癒着」
あるいは、
「地元企業との癒着」
さらには、
「言動の酷さによる失言問題」
など、それぞれ単独でも、
「辞任問題に発展する」
ということなのに、それぞれすべてにかかわることで、やっと辞任するというような、往生際の悪さだった。
さらにひどいのは、
「ここまでひどう状況になりながら、ソーリが辞任もしないし、内閣解散もしない」
ということである。
つまりは、
「他にできる人がいない」
ということもあるが、
「もし、他の人に代わって、今までのように、もっと最悪の状況になっていけば、どうするというのだ」
ということを、国民も分かっているからである。
さらに、もっとひどいのは、
「ここまで大問題を引き起こしたのに、内閣不信任案を出したとしても、それを通すだけの自信がない、腰抜け野党にこそ問題がある」
ということなのだ。
「せっかくの、好機到来なのに、追い風を利用できないくせに、何が野党第一刀だ」
ということで、一番の問題は、
「野党の弱さにある」
ということである。
「さすがに野党にもう少し勢力があれば、ここまで政府が腐り切ることもないはずなのに」
と、ほとんどの国民が感じていることであろう。
国民の中には、
「国会議員というのは、一致団結して、政治を行うものではないのか?」
ということで、
「あんな、法律を守らない連中が、法律を作るなどというとんでもない状況に、誰がついていくというのか」
と思っていたが、そもそも、その国会議員を選ぶのは国民なのだ。
地域ごとの選挙ではあるが、どんなに地域性が違うといっても、結局、
「選ばれる人は選ばれる」
といってもいいだろう。
それだけ、
「長い者には巻かれる」
という人が多く、さらには、
「組織票というのもある」
ということであろう。
そんな中で、奥寺という男は、それでも比較的政治家の中で、とかく、悪いウワサガほとんどない人だった。
政治家の中で、
「悪いうわさがない」
と言われることが、最大の誉め言葉ということである。
「いい先生」
と呼ばれるとすれば、
「後援会に入っていたり、その政治家の本当の支持者」
ということであろう。
関係のない人が、まず政治家を褒めるようなことはしない。逆に、
「今のところ、悪いウワサはないが、どうせ、そのうちに、化けの皮が剥がれるに違いない」
と思っているに違いない。
それだけ、国民は、政治家を信用していないということだ。
さすがに、政治に興味がなくとも、ニュースや何かで、ウワサを聞けば、嫌になるのも無理もない。
そうなると、
「選挙にいっても同じだ」
ということになり、
「投票率は下がる」
ということになる。
すると、政府与党に有利になることで、結局、
「政権交代はない」
という、
「政府与党の思うつぼ」
ということになるのだ。
しかし、それはそれでいいことなのかも知れない。
「野党に政権交代して時点で、この国は亡国となってしまう」
ということだからだ。
政治家の自殺
奥寺の自殺事件が発覚したのは、F県において、小笠原幸之助の、
「自殺と思われる死体」
が発見されてから、一か月後のことだった。
奥寺氏は、当時、選挙の遊説に出ていて、毎日を、選挙カーに乗って、さらには、地元の有志たちとの会合などで忙しく飛び回っていた。
だから、その時、誰も、
「議員が失踪するなんて」
と思っていたことだろう。
ただ、そのちょっとした変化に気づいた人もいた。それが奥さんで、失踪した時に奥さんが、警察から聞かれたこととして、
「確か主人は、ちょうど2カ月くらい前でしたでしょうか? ある新聞記事を見て、急に震えだすかのような表情をしたんです。確かに手は震えていて、その記事を見るその顔が恐ろしかったのを覚えています」
それを聞いた刑事は、
「それはどんな表情でしたか?」
「眼をこれでもかというほど見開いて、それこそ、瞬きができないくらいに固まってしまっているという感じでしょうか」
と奥さんが、
「今思い出しても震えが来る」
と言わんばかりに、自分に充てられる刑事の視線を意識することなく、正面を凝視しているのであった、
「その時期は、どのような?」
と聞かれた奥さんは、少し緊張がほぐれたのか、顔色も少し柔らかになり、
「ハッキリとはどの記事かなど分かりませんが、確か、三面記事だったと思います」
ということであった。
奥さんの、その話を聞いた刑事は、今度は、
「政治家としての、側近の人」
に話を聞いた。
その時に、奥さんの話を交えてであった。
「ああ、あの新聞記事ですか? あれは、確か、以前先生のことを記事に書いた人が自殺をしたというような記事でしたね」
「それは、この土地での自殺だったんですか?」
と聞かれた側近は、
「いいえ、あれは、F県の樹海と呼ばれているところだったということですね」
ということだった。
何となく気にはなるが、それが、失踪とどのような関係があるのかというのは、分からない。
「本当に関係があるのか、それとも関係はないのか」
そのあたりは、今の時点では何も分かっていないことであった。
普段であれば、
「失踪した」
ということで、捜索願を出したくらいでは、警察は動くことはない。
「何かが起こってからでしか、動かない」
というのが、警察だからだ。
「何かが起こってからでは遅い」
ということが分かっていて、実際に何かが起こってから、
「ああ、あの時捜査していれば、こんなことにはならなかったのに」
ということで、後悔の念に襲われるのは、ほぼ、若手の刑事くらいであろう。
ベテランになってくると、さすがに最初は、
「自責の念」
というものを持つのだろうが、
「ずっと、その思いばかり感じていれば、警察官としての職務を全うできない」
ということで、
「感覚がマヒしてくる」
ということであった。
「そもそも、感覚のマヒが、警察官としての職務まっとうをできている」
ということになるのだろうか?
ただ、逃げているだけで、それが、
「警察の体制」
といってもいいだろう。
要するに、政府と同じで、
「何かあっても、すべてが後手後手に回る」
ということ、そして、それでも、悪びれる様子もなく、捜査に当たっては、