真実と事実のパラレル
と言いながら、実際には、治っているのに、医者に対して。
「まだ痛いんです、歩けないんです」
といって、
「医者を困らせながら入院を続けている」
というシーンがあたりするではないか。
それこそ、本当は違反であり、許されることではないが平気で行われているわけで、それを知っている人は、
「鉄道会社が、会社ぐるみで、事故が起これば、同じことをしているのではないか?」
と勘ぐるのも無理はないことである。
というのも、鉄道法というものがあり、
「故意に電車を止める行為をした」
という人に関しては、鉄道会社に対して、賠償をしなければいけない。
というのがある、
何百万単位での賠償金が課せられるわけで、これが、
「自殺による人身事故」
ということで電車を止めた場合であっても、逃れることはできない。
「本人は死んでしまっている」
といっても、許されるというわけではない。
その賠償義務は、
「遺族に行く」
ということだ。
それこそ、
「債務者が夜逃げをすると、その債務は保証人にいく」
というのと同じで、それを考えると、
「鉄道会社は、やくざよりも恐ろしい」
ということで、
「やっていることは、やくざ顔負け」
といってもいいだろう。
下手をすれば、
「のちの世代3代までも、その債務に追われる」
ということになるというくらいである。
実際に、そのようなことは起こっているだろう。
「社会問題にどうしてならないのか?」
ということが分からない。
何といっても、
「家族にその責を負わせておいて、鉄道会社は、自分たちも団体として、事故保険というものに入っているだろうから、乗客からと保険会社からの、二重取り」
ということになって、下手をすれば、
「ウハウハが止まらない」
ということになるだろう。
本当にそうであれば、
「やくざ顔負け」
ということになるだろう、
そうなると、一番の被害者は、
「鉄道を利用している乗客」
ということになる、
実際に、鉄道利用者に対して、何んら保障があるわけではない。
何といっても、
「一切の払い戻しなどもなく、遅れた分だけ、その賠償を背負わされる」
ということになる。
実際に、
「鉄道会社によっては、その対応にも、天と地ほどの差がある」
といってもいい、
バスなどを持っている会社では、
「大害交通手段」
ということで、ピストンバスをすぐに用意できるだろうが、
「バスを持っていない」
という会社ではそんな対応はしてくれない。
「では、タクシー代くらいくれてもいいのではないか?」
といって交渉しても、何もしてくればい、
「過去にそんな事例はない」
ということで、門前払いを食らうだけだ。
しかし、実際に被害を受けているのは乗客なので、
「一体どうしてくれるというのか?」
ということになるだろう、
それを考えると、
「鉄道会社は、さすがやくざ顔負け」
ということになり、
「特に、元国鉄」
という会社は、
「その最たる例だ」
ということになるだろう。
何といっても、昔は、
「親方日の丸」
ということで、国家権力がバックにあるようなものであったので、いくらでも、
「胡坐を掻いた商売ができた」
ということで、その問題が、
「累積赤字」
ということで表面化してくると、やっと世間も、
「ひどい」
ということに気づき、政府も、
「民営化」
ということにして、借金もろとも、民間に、責任を押し付けることになったのである。
しかも、今度は
「民間企業」
ということで、
「営利企業」
なのだ。
「利益を挙げなけえれば、罪悪」
と言われる世界に入りこんだわけで、シビアに利益追求をするためには、
「利用客に、できるだけのサービスをしないといけない」
ということになるだろう。
しかし、実際には、口では、
「サービス」
といって、表面上は、
「客に寄り添っているかのような感じ」
であるが、実際には、
「赤字の解消」
ということで、
「赤字路線は、少ないとは言いが奈良生活に必要な利用客がいるのにかかわらず、簡単に切ってしまう」
ということであった。
「それでは困る」
ということで、
「自治体が、その鉄道を買い受けて、自分たちで運営する」
という、
「第三セクター方式」
というものを取り入れて、何とか地元で盛り立てるというやり方をしているのが、今の現状であった。
しかも、民間会社になったにも関わらず、
「やっていることは、国鉄時代と一緒だ」
といってもいいだろう、
その最たる例が、
「人身事故での対応」
である、最近では。
さすがに、駅員が笑顔で、
「人身事故ですからね。しょうがないですよ」
といって、客の神経を逆なでするようなことはなくなったが、相変わらずの
「塩対応」
ほとんど、客に対しては何もしてくれないというのは、以前と同じことであったのだ。
それを思えば、
「利益を追求するシビアなことはするくせに、客への対応は、国鉄時代と同じ」
ということで、
「国鉄時代の悪いとこだけが残ってしまった」
ということで、
「これじゃあ、本当に、やくざと変わらんわ」
と言われても仕方がないだろう。
そもそも、利益を追求しないといけないというわけで、
「人身事故で儲かるのであれば、もっと人身事故が起こればいい」
というような、不謹慎なことを考えているとは思えないが、
「あの鉄道会社だったら、十分にありえるな」
と考えさせられるのだから、
「それだけの会社なんだ」
ということで、
「諦めていいものなのか?」
それとも、
「誰かが今からでも、変えることができるのだろうか?」
とも考えるが、
「まず無理だろうな」
ということは、
「ほぼ共通下意見ではないだろうか?」
と、誰もが思っているに違いない。
今回の事件は、実際に発生した時は、
「事故」
「事件」
「自殺」
のすべての可能性があった。
というのは、何も問題がなければ、
「電車への飛び込み」
いわゆる、
「電車の人身事故」
だったからである。
それも、時間としては、朝のまさに、
「通勤ラッシュの時間」
ということであった。
つまりは、
「ホームには人がごった返していて、一歩間違うと、押しくらまんじゅうという状況になり、
「ホームに押し出される」
という状態になりかねないのであった。
もし、今回のものが、
「事故である」
ということであれば、
「そこに、何ら問題はない」
ということになる。
しかし、これが自殺だということになると、当然、殺人を疑ってみないわけにはいなかい。
まず、最初に問題となるのは、
「目撃者の存在」
ということである。
現場で一部始終を見ていた」
という人がいれば、それが一番なのだろうが、問題は、
「その人の証言の信ぴょう性」
ということである、
何といっても、たくさんの人が乱立している、
「朝の通勤ラッシュ」
ということであれば、本当に、
「まわりの人と少し降れただけで、ホームに落とされる可能性もある」
というほどの込み具合であれば、乗客一人一人が、
作品名:真実と事実のパラレル 作家名:森本晃次