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真実と事実のパラレル

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「民事関係を警護してくれる機関があってもいいのではないか?」
 ということである。
 確かに、
「探偵などの、有料機関」
 というものであればやってくれるが、その費用はかなりかかる。
「そもそも、借金を受け負わされた身で、できるわけもない」
 ということである。
「世の中、本当に理不尽ということになる」
 というものである。
 そんなことを考えていくと、
「自殺する」
 というその理由がどのようなものがあるかによって、
「自殺をどこまで防ぐことができるか?」
 ということになるだろう。
 しかし、実際には、それらの問題を解決する機関というものがあるわけではない。
 警察としても、
「事件にならないと何もしない」
 という性質ではないか。
 少なくとも、
「自殺は事件ではない」
 ということから、自殺は、
「自殺として形式的に処理される」
 というだけのことである。
 これは、事故というものに対しても同じことで、
「事故の原因について言及することもなく、事故として、形式的に処理する」
 というわけである。
 そもそも、
「世の中で、事故も自殺も、頻繁に起こっているわけで、それを一つ一つ検証したとしても、結局、その一つ一つに違いがあるわけなので、自殺や事故の理由を突き止めたとしても、検証するには、あまりにもパターンが多すぎるということである。何といっても、一つとして、まったく同じ事例というのは存在しないのだから」
 ということになるのであろう。
 要するに、
「物理的に、その検証は無理だ」
 ということだ。
 もしできたとしても、それを関連付けができなければ、
「自殺や事故の抑止」
 というものに繋がらないということだ。
 事故を防ぐということであれば、
「事故として問題になる」
 例えば、
「鉄道会社」
 であったり、
「航空会社」
 道路関係であれば、
「国土交通省」
 などが、
「事故検証チーム」
 というものを作り、検証を行うということをすれば、少しは減るに違いない。
 しかし、どの機関も、それをしようとすることはしない。
 鉄道会社などはそのいい例というもので、
「人身事故が起こってしまったのは、事故だから仕方がない」
 としか思っていない。
 その証拠に、昔であるが、人身事故を起こった路線で、
「警察の調べ」
 などが行われていて。
「運転見合わせ」
 という状態だった時、ちょうどその時期は、連鎖的に、毎日のように人身事故が起こっていた時で、条約の数人が駅員に向かって、
「何やってるんだ。こっちは急いでいるのに、どうしてくれるんだ。タクシー代を出せ」
 といっているのを見たことがある。
 実際に、
「駅員に詰め寄っても仕方がないことだ」
 ということであるが、確かに、数日の人身事故は、
「客側からすれば許せない」
 という気持ちも分かるのだ。
 そこで、詰め寄られた駅員は、
「いやぁ、人身事故ですからね、しょうがないですよ」
 といって、笑顔で話しているのだった。
 さすがに、利用者側が皆起こり出した。
 実際に、駅員の胸倉を抑えようとした人もいたくらいで、駅員としては、
「何が利用客の気持ちを逆なですることになったのか分かっていない」
 というのであった。
 駅員とすれば、
「自分たちの会社が起こした事故。自分が悪いわけではなくとも、普段から、客と思って接していれば、そんな他人事のような態度はとれないはずだ」
 というはずなのに、やっていることは、
「頭っからの他人事」
 ということである。
「それまで、一人が怒っているのを、冷静に見ていた客も、駅員が、詰め寄ってくる客にビビッてしまい、客に対して、普段であれば、親近感が湧く笑顔を見せることで、許されるということを、一番やってはいけないその場面で行ってしまった」
 ということである。
 これほど許されないことはないだろう。
 実際に、怒り狂っている客を、最初に怒っていた人の方も、
「急に点火してしまった火に、ビックリしているかも知れない」
 そして、
「俺がやらなくとも、まわりが戦ってくれる」
 ということで、そっちに任せると、自分も冷静になることができて、さらに、
「鉄道会社の非常識な対応」
 というものを今度は、
「客観的に感じることができる」
 ということで、
「自分から、責め立てる必要もない」
 と考えるようになったのであった。

                 殺人事件?

 そもそも、その日の事故というのは、
「ここ数日続いている中でも、3日目」
 ということであった。
 さすがに、世の中の人は、
「三度目」
 ということになれば、許さないだろう。
「二度あることは三度ある」
 と言われるが、それは、あくまでも、
「三度目があるということは、普通ならありえないことで、実際には、最初にすべて解決されるはずだ」
 ということではないだろうか。
「二度目までは、偶然ということで片付けられても、三度目というのは、人災の可能性がある」
 ということを、特に事故の場合は言えるということになるだろう。
 だから、三度目が起こるということは、二度目を本当に偶然と考えているということからで、
「本当に、自分たちに責任がある」
 と考えるのであれば、最初の時に、真剣に取り組み、二度目も、それが起こるのを阻止するはずだ。
 それができずに二度目が起こったということは、
「最初から、事故を防ごう」
 という意識がないということになり、
「真剣に受け止めず、他人事のように思っている」
 ということで、
 だからこそ、
「二度目があれば、三度目がある」
 ということであり、さらに、そこから先は、
「半永久的に続く」
 ということを暗示させるのであった。
「二度あることは三度ある」
 というのは、
「戒め」
 ということでの、ことわざではないか?
 もっといえば、
「ことわざではなく、格言として皆が受け止めなければいけない」
 という、
「先人の知恵」
 というものが孕む言葉なのではないかということであろう。
 それを考えると、
「世の中で言われていることわざ」
 であったり、
「格言」
 というものは、それなりに意味があることで、
「逆の意味も一緒に考えなければいけない」
 ということになるであろう。
 特に、鉄道会社というのは、
「人や荷物を、決まった時間に、安心安全に、目的地に送り届ける」
 というのが当たり前ということではないだろうか?
 しかも、
「鉄道会社が、事故を真剣に考えようとしない」
 というのは、
「事故が起これば、儲かる」
 と考えているのではないか?
 それが本当かどうか分からないが、冷静に考えれば、それも考えられなくもないということになるのだ。
 というのも、
「交通事故で被害に遭い、病院に誘引すればするほど、金になる」
 というような話を聞いたことがある。
 というのは、
「交通事故に遭って、入院すれば、保険に入っていれば、一日いくらという形で金が降りる」 
 ということである。
 よく、コメディドラマなどで、
「交通事故で、骨が折れたかなどで入信する場合、入院が長引けば金になるんだ」
作品名:真実と事実のパラレル 作家名:森本晃次