真実と事実のパラレル
そして、もう一つ、今回の事件で、
「顔が確認できない」
ということで考えられるのは、
「自殺だ」
ということである。
「キリスト教」
のように、
「自殺というものは、自分を殺害するということで、殺人と同じだ」
ということであるので、
「自殺というのは許されない」
ということで、神様の罰から、
「顔が分からないようにした」
といってもいいだろう。
ただ、実際に自殺をしたものの中で、ハッキリと顔が分からないというものは、そんなにあるわけではない。
「列車に飛び込みう」
「ビルから飛び降りる」
などという。
「身体を傷つけることで、死を選ぶ」
と考えられるものでもないとできないだろう。
確かに、
「飛び降り」
「飛び込み」
と自殺は多いかも知れないが、それ以外にも、
「服毒」
「リスカ」
などというものもあったりする。
中には、
「ガス自殺」
というのもあったりする。
しかし、
「死に際がきれいな死体」
ということであっても、死んでしまったことで、
「どれだけの人に迷惑をかけることになるか?」
ということも言えるのだ。
特に、
「借金などのように、死に際に金が絡むものは、迷惑以外の何ものでもない」
といえるだろう。
「鉄道への飛び込み自殺など、賠償金を遺族に課せられる」
ということで、
「これ以上の迷惑はない」
ということだ。
さらには、
「借金を抱えての自殺」
などというと、
「遺族であったり、保証人を裏切る行為」
ということになるだろう。
もちろん、
「家族の病院代」
などということのために、借金をしたという場合などは、
「仕方がない」
ということもあるだろうが、
「ギャンブル」
であったり、
「美人局」
などのような弱みを誰かに握られたということでゆすられていたということであれば、それこそ、
「許されることではない」
といえるだろう。
ただ、
「死んだからといって、問題は解決しない」
ということで、
「ただ、逃げただけだ」
ということになるだろう。
だから、
「自殺というのは、自分を殺す」
ということで殺人と同じだと言われるが、
「逃げた」
と言われるような場合に限っては、
「本当に許されることではない」
といえるだろう。
ただ、今回の、
「村上氏の自殺」
というのは、どういうことであろう。
そもそも、村上氏の殺害という事件を調べていた刑事というのは、
「どこを探しても、彼が殺されなければいけない」
という理由が見つからないのであった。
ただ、村上氏のことを聴きこんできた中には、
「村上さんという人は、二重人格だから」
と言われたのだった。
それに、
「奥さんが不倫をしていて、どうやら、自分も不倫をしている」
ということだというではないか。
だから、殺人において犯人は、
「奥さんで間違いない」
ということになっているが、それはあくまでも、
「不倫」
という問題からである。
ということであった。
それ以外のことで、村上氏のことを悪くいう人はいなかった。
村上氏の不倫相手であっても、
「あの人は優しい。そうじゃないと、不倫と分かっていて付き合ったりなんかしないわよ」
といっていたのだ。
そして、さらに、
「彼は、恨まれるようなことは絶対にしなかった。不倫でも、女性の扱いは実にうまく、恨みを抱かせない」
ということに関しては、
「素晴らしい」
といえるということであった。
ただ。村上氏は、
「何を考えているか分からないところがあった」
と言われている。
「急に難しいことを言い出すことがあったんだけど、それは、自分が一人で考えていることを、いきなり、まわりにぶつけるからで、その内容は、実に理路整然としたものだ」
ということであった。
だから、そんな話を人にする時、
「しっかり相手が、判断できるかを見極めて、できないと思えばしなかった」
というのであった。
ただ、村上の性格として、
「自分が話の中心になったり、自分の話が盛り上がってくれば、自分の世界にはまり込んでしまって、まわりが見えなくなる」
と言われているようだった。
それにしても、
「奥さんに殺された村上」
と、さらには、
「自殺をしようとして、顔が焼けただれた」
と言われる、
「もう一人の村上」
というのは、どちらが、本当の村上だというのだろうか?
世の中には、
「パラレルワールド」
というものがあるという、
それこそ、
「次の瞬間には、無限の可能性が広がっている」
という言葉と同じで、
「一つの可能性だけで、最初から最後まで言っているわけではない」
ということだ。
その可能性というものを、どこまで信じさせるかということを考えると、
「どこかで、必ず、合っていないと思われる辻褄を、合わさなければいけない」
ということになるのだろう。
だから、この発想が、
「デジャブ現象」
というものを
「理解するために必要だ」
と言われるが、
「まさにその通り」
であった。
デジャブというのは、
「どこかで見たような気がする」
というものだが、
「そうやって記憶の引き出しから引きずり出したものが、理論を組み立ててくれるのだ」
と考えると、
「記憶というものと、意識というもののジレンマが、デジャブと、辻褄合わせだ」
と考えさせるのではないだろうか?
「パラレル」
というもの、
「パラドックス」
というもの、それぞれに、別々の可能性があるもので、パラドックスというのは、
「逆説」
という可能性になるということである。
大団円
「村上氏殺害事件」
の犯人は、すぐに捕まった。
すでに逮捕はされていたので、あとは自供だけだったが、起訴までには、少し時間が掛かった。
というのは、警察が起訴するまでには、
「事実関係がしっかりしていること」
つまり、調書がキチンとできていることが大切であり、そこから今度は、
「司法による裁判」
というものが行われ、
「警察が起訴するための事実」
だけではなく、他の側面からの、事実関係をしっかりさせることで、
「刑が確定する」
ということになる。
そのためには、まずは、警察の捜査の中で明らかにしなければいけないものということで、
「殺害状況」
が問題になる、
「いつ、どこで、誰が誰を、どのように殺害したか?」
という状況である。
さらに今度は、
「なぜ?」
という問題が出てくる。
それが、
「殺害動機」
というものであり、しれを立証するために、さらに、弁護士などによって、捜査が行われることになるのだ。
さらには、
「犯人や、被害者の関係」
であったり、さらには、
「人間性」
というんものがある。
もっといえば、
「被告に、責任能力があるのか?」
ということも問題になってくる。
精神疾患などの有無が、調べられたりもするのだ。
だから、
「警察で、被疑者が逮捕されてから、検察官まで通して、一か月のどで、裁判所に起訴するかどうかを決めなければいけない」
ということになる。
作品名:真実と事実のパラレル 作家名:森本晃次