真実と事実のパラレル
しかし、今度は弁護士が入って、裁判ということになると、
「かなりの時間が掛かる」
というのも当たり前ということである。
今回は、奥さんが、
「自分がやりました」
ということで、事件としては、そんなにややこしい事件でもなかった。
動機とすれば、
「旦那の不倫」
というものであった。
もっとも、奥さんの方も自分も不倫をしているということなので、その情状酌量の余地というのは、あまりないといってもいいだろう。
ここから先は、警察の仕事であった。
しかし、秋元刑事だけは、何か引っかかっていた。
彼のスピリチュアルな感覚が、実は、
「事件の全貌」
を見浮いていた。
とは言っても、
「どうせ誰も信じてはくれない」
ということである。
だから、
「もう一人の自分が自殺をし。そして、顔が焼けただれていて、その正体が誰か分からなかった」
ということ、
そして、
「その正体が分からないのは、もう一人の自分が殺されているから」
ということであった。
そこで彼が考えたこととすれば、
「一体、どっちが、本当のその人だったのか?」
ということであった。
「ジキルとハイド」
のような、
「一つの身体に、別々の精神が宿っている」
というわけではなく、
「ドッペルゲンガー」
として、
「もう一人の自分がいる」
ということなので、
「それぞれで、死を迎える」
というは当たり前のことであろう。
しかし、このような場合の発想として、
「片方が死ぬことによって、もう一方も寿命が尽きる」
ということが言えるのではないだろうか?
しかし、実際に最初に死んだのは、
「殺された方の人間」
ということで、自分が死んだことによって、
「不倫というものが表に出た」
ということであった。
では、この
「自殺をした方の人間は、どういう性格だったというのだろう」
秋元刑事の感覚では、
「この人は、あまり表に出てくるということのない人だな」
ということであった。
その時に考えたのが、
「本当は、死ななければいけない人間は、殺された方であり、もし、自殺が先だった場合はどうなんだろう?」
と考えた。
「実際に殺される方がいい」
と、本人の村上が考えたのかも知れない。
最初から、村上は、自殺を考えていた。
それは、理由としては、信じがたいものだが、
「生きていくことが面白くない」
と思ったからだった。
これは、あくまでも、秋元刑事の勘に近いものだが、
「生きていくことが面白くない」
と思っている人が、実は結構いる。
だから、本当は自殺したいと考えてはいるが、それが、恐怖からなのか、
「自分で命を断つということに抵抗を持つ人間ほど、自殺を考える」
という、いたちごっこのような考えを持っている人なのではないかと考えるのであった。
ただ、
「自殺をしようとすると、最後にはおじけづいてしまう」
しかも、
「死ぬ勇気など、そう何度も持てるものではない」
ということを、一番分かっているのであろう。
なぜなら、
「一度は死のうと考えた人間だからである」
ただ、
「生き残ることが本当に幸せなのか?」
という考え方もある、
確かに、大東亜戦争を中心にした戦争映画などでは、
「日本軍による、玉砕」
であったり、
「特攻隊」
などであるが、あれを今でも美化して描かれている。
確かに、
「生き残ることは罪だ」
ということで、全員が玉砕するというのが命令であった。
映画の中で、中には玉砕に従わないというシーンも出てくる。
「負けるための戦争には出ていかない」
というセリフであったが、それはあくまでも、
「今であえば、玉砕せずに生き残るのは美談」
ということであろうが、時代としては、本当に美談なのだろうか?
「戦争というのはきれいなものではない」
といえるのに、
「玉砕」
などを美化するというのは、どうなのだろう。
だからといって、
「玉砕は、絶対に許されない」
という今の考えも、
「今だから許される」
というものだ。
世の中において、
「何が本当に正しいのか?」
というのは分からない。
「歴史というものにも、裏もあれば表もある」
ということだ。
「真実と事実」
どちらかを正とするという考えが、本当に正しいのだろうか?
それを考えると、
「辻褄合わせの中で、辻褄が合うことが、この世の真実なのではないだろうか?」
そう思うと、今回の事件の、
「村上氏における殺人事件と自殺」
という両面。
「どちらも正解で、どちらも間違いだ」
といってもいいのではないだろうか?
( 完 )
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作品名:真実と事実のパラレル 作家名:森本晃次