相性の二重人格
「年上の女性」
というのも、
「すでに成長が止まっていて、老化が始まるまでは、皆同じ年齢ではないか?」
という感覚に陥っているのであった。
だから、今では、
「彼女になってくれる人は、どんどん増える」
と考えるようになってきた。
さらに、
「これだけいれば、焦る必要もない」
と思うようになるので、却って、
「じっくり探せばいい」
とまで思うようになった。
その頃には、一人暮らしにも慣れてきたので、妹のことも、半分は気にならなくなっていた。それはそれでありがたかったのだが、まだまだ若い、正常な成人男性なのである。
それを思えば、
「性的欲求というものをどうすればいいのか?」
と考えるようになった。
そうなると、考えたのは、
「風俗」
というものであった。
大学時代までは、
「風俗というと、最後の手段だ」
というくらいまでに思っていた。
特に、童貞は、風俗では嫌だと思っていた。
それは、自分が思っていた、
「うしろめたさ」
であったり、
「罪悪感」
というものが邪魔をする形で、どこか、
「勧善懲悪」
という気持ちから、
「風俗というものに対しての、偏見がひどかったのであろう」
しかし、その気持ちが変わってきたのが、
「女の子に対しての見え方」
ということであった。
確かに。それまでの自分が、
「罪悪感」
のようなものを持っていたのは、そもそも、高校生の頃にあった、
「同級生の女子高生」
というものに対しての、性的好奇心が、今のような大人になることで、少し薄らいだことで、
「罪悪感というものが、自分の中にある性的好奇心によるものだった」
ということの裏返しだったことに、初めて気づいたことで、
「好きになるということが、罪悪感をもたらす」
ということを感じていた高校時代こそが、
「罪悪感だったのではないか?」
と思えてきたのだ。
「だとすると、今、大人になった自分の、身体も考え方も、自分に対して、罪悪感などというものを抱くことなく、素直に感じていればいいのではないか?」
ということでかなり気が楽になったのだ。
しかし、気は確かに楽になったが、それは、
「妹のことを除いて」
ということであった。
「妹に対しての気持ちを表に出してしまったり、誰か他の人に悟られるなどということは、あってはならない」
と思っている。
だから、
「妹を離れて暮らすのは、実にありがたいことだ」
と思うようになっていた。
だから、一人暮らしを始めて、
「そのうちに彼女もできる」
というくらいに、余裕を持っていたが、さすがに、そうは思い通りにはいかなかった。
しかし、それでも、
「自分の中の欲求不満をどうすればいいか?」
と考えて、
「風俗もやむなし」
と思うことはできるようになったのだ。
もちろん、
「自分に対しての言い訳」
ということであることに変わりはないが。
「風俗でもいいか?」
と、自分の中で勝手にハードルを下げていた。
その頃までは、
「童貞は風俗で卒業はしたくない」
と思っていたが、そのハードルが下がった。
「ここまで我慢したのだから、もういいだろう」
と思ったのだ。
前であれば、
「ここまで我慢したのだから、もう一息だ」
と考えるのが普通だと思った。
しかし、その考えが変わったのが、
「俺は大人になったんだ」
という、女性の見え方としての目線が変わってきたことからであった。
確かに大人にはなったが。それは、
「余裕を持つこと」
ということであったが、逆に、
「余裕を持てるようになる自分を作る」
ということを考えると、
「何も我慢などすることはない」
と思うようになった。
実際に、時代背景もそういうことで、以前ほど、
「我慢をしなくてもいい」
という風潮があり、
「今まで我慢しなければいけない立場だった人間が、声を高らかに自由に主張する時代だ」
ということである。
それを思えば、
「今の風俗業界は?」
ということで見てみると、
「女の子も、仕事にプライドを持っていたり」
であったり、あるいは、
「風俗に入る理由も、昔のような、暗い事情がある場合ばかりではない」
といえるだろう。
そう思うと、
「それだけ市民権があり、しかも、使うお金だった。自分が、頑張って仕事して設けた金ではないか」
ということから、
「女の子というものも、プライドを持ってやっているんだ」
と考えると、
「まるでアイドルを応援するファン」
というような心境になってきた。
だったら、
「何が恥ずかしいというのか?」
ということであり、欲求不満を別の形で発散させようちして、犯罪に走ってしまえば、「気の毒なのは、被害者の女性たちではないか?」
ということになる¥
それを考えると、
「彼女たちの存在が、犯罪の抑止になっている」
ということであれば、却って悪どことか、
「社会貢献している」
といえるのではないだろうか?
それこそ、百歩譲って、
「必要悪」
という言葉で言い表せるのではないかと考える。
というのも、
「必要悪」
と言われているもので、
「パチンコ屋」
を例に出す人もいるだろう。
もちろん、それに関しては諸説あることになるだろうが、そもそも、
「暴力団の資金源」
と言われていたものを、
「合法」
ということにすることで、資金源になりにくくしたということを考えると、そこにあるのが、
「合法ということで、法律の保護下にある」
ということである。
パチンコ屋も、性風俗業界も、それおれに、
「風俗営業法」
というもので守られている。
そして、
「悪」
と言われる根源としての根拠を、法律によって規制することで、その悪という考え方を、
「合法」
ということにするため、法律で縛るということは、
「元々問題となり、法律で規制しなければいけないものを、遠回しだが、検挙したり、帰省するために、資金源として利用させない」
ということを考えると、
「パチンコ屋」
というものも、
「風俗営業」
というものも、社会全体で考えれば、
「本当に悪なのだろうか?」
ということになるだろう。
パチンコも風俗も、今の時代で、
「悪だ」
と言われることとして、問題なのは、
「依存症」
ということであろう。
人間の中にある欲望を餌にしていると考えるから、
「依存症というものになった場合、その人が不幸になる」
という考えであろうが、それも、最初から、
「パチンコや風俗は、依存症ありきで、危ない」
ということを、
「必要以上に宣伝するということからきている」
とも考えられないだろうか?
風俗への冒険
だから、葛城は郁美への気持ちがどこにあるのか分からずに、悶々としていた時期を、
「一人になって考える」
ということで、自分をいかに考えるかということが分かってきた。
それまで童貞だったのだが、
「そのことが自分の中で分からない部分を作っている」
と考えると、まわりの人が以前言っていたように、
「早く童貞なんか卒業してしまえばいいんだ」