相性の二重人格
そういう意味で、上司になった今の方が、第一線でやっていた頃よりも、
「一営業社員」
という印象が強くなっているようだった。
それを思えば、
「営業職での実績というものと、学生時代の研究での実績とが、それぞれ自信となって、本当の営業の楽しみが分かってきた」
と思うのだった。
そもそも、営業職は、自分の中では。
「怖いもの」
と感じていた。
「相手は海千山千の連中ばかりで、向こうに簡単に操られ、しかも、営業成績が上がらなければ、会社では、みそくそ言われる」
とばかりに考えれば、
「営業社員というのは、精神を病んで、辞めていく人が多い」
と言われるのも分かる気がした。
実際にやってみると、
「若い頃には何度得意先にいいように操られたか」
ということで、煮え湯を飲まされたことだってあった。
くやしさはこみあげてくるが、それも、結局は
「自分が悪い」
のである。
ただ、いくら自分が悪いとはいえ。
「弱い者いじめをして、それで自分の溜飲を下げ、さらに、自分の実績にしようという考えは、納得できるわけはない」
それを考えると、
「営業なんて、俺にできるのか?」
という思いがある中で、
「ウソでもいいから自信を持つことが大切」
と思っていたのに、それが自惚れということであれば、
「簡単に相手に見透かされる」
ということになる。
それが、
「食ったり食われたり」
という、まるで、
「狐とタヌキの化かし合い」
というような世界であり、そこにいるのは、
「魑魅魍魎だ」
ということを思えば、
「本当に営業に進んでもよかったといえるのか?」
と感じさせるのであった。
ただ、その時期が実に短く、
「思ったよりも早く、自信と実績ががっちりと噛み合うことができた」
ということが、葛城にとって、最高によかったことであった。
葛城にとっての20代というのは、そんな頃であり、いつも、
「右往左往している」
というような、惑ってばかりの時期だった。
それでも、実績は着実に増えてきて、これが、主任という肩書が付けば、上司としては、
「後輩を育てる」
ということも
「仕事の一つだ」
という上司が多いのだが、その時の、葛城の上司は、
「人それぞれ、適職というものがある」
ということで、
「すべての社員を、型に押し付けるというのは、無理なことだ」
と考えていて、その人にとっての、モットーは、
「余裕を持つことだ」
ということであった。
その上司のおかげで、
「一営業マン」
ということで、これからも徹することができると考えたのだが、その時一緒に、
「余裕を持つことの大切さ」
というものを一緒に教えてもらった。
そういう意味での、
「営業社員としての仕事や、その立場」
というものが、自分なりに発揮できると感じたのは、その頃からであった。
葛城は、家族としては、両親と、妹が一人いた。
年齢はかなり離れていたのだが、葛城が30代になった頃、妹はまだ女子大生であった。
というのも、妹とは、
「異母兄弟」
ということであった。
葛城の母親は、葛城が大学時代に亡くなった。
父親も、母親が亡くなってから、しばらくは、
「もう結婚なんかいい」
といっていた。
「母親を愛していた」
ということは分かっていたし、様子を見ている限り、よくわかるということであった。
それに、葛城自体、母親が好きだったので、
「父親に再婚の話がない」
ということに安心していたのだった。
とはいえ、
「父親がもし、誰かと再婚したい」
と言い出せば、
「反対することはできない」
ということを自覚していた。
「相手が誰であれ、父親が見つけた人だから」
ということであった。
自分が大学時代だったことから、父親は、まだ40代中盤くらいであった。
「男としてはまだまだだ」
とまわりは言っていたが、子供から見れば、
「どんどん遠ざかっていく背中」
と思っていた。
ただ、それは、大学時代までのことであり、大学を卒業すると、とたんに、立場が一緒だと感じるようになったのだ。
それは当たり前のことであり、
「自分が感じる時間が、どんどん早くなっていくからだ」
ということを自覚し始めたからだった。
ということは、
「子供としての成長が終わった」
ということを示すもので、
「大人の成長というのは、身体の成長のように、表に出た部分だけではない」
ということではないだろうか。
それを考えると、
「見えない成長が自覚できていないと、時間があっという間に過ぎていく」
ということでないかと感じるのであった。
確かに、
「20代なんてあっという間に過ぎた」
という30代の人の意見を聞いて、さらに、今度は、
「何を言ってるんだ。30代はもっと早いさ」
という、40歳になった人がいう。
そして、今度はさらに、50代の人が……。
という会話を聞いていると、
「何をそんな意味のない言い争いをしているんだ?」
と感じさせらるというものだった。
確かに、年齢が深まっていくと、どんどん時間が早くなるということを実感している。
しかし、だからと言って、実際に、それが自分にとっていいことなのか悪いことなのかという判断はついていない。
言葉では、
「あっという間だった」
ということで、あたかも悪いことだといっているようだが、実際に、本当に悪いことなのかどうか、分かっていないのだ。
その証拠にそんな話をしながら、顔は笑っているのだ。
真剣に考えているのであれば、そんな中途半端な笑顔を見せられるわけではないだろう。つまりは、
「世間話をしているだけのことだ」
ということになるのであった。
今はまだ30代中盤なので、ここから先、
「どんどん時間が経つのが早くなるということを感じることになるのだろう」
ただ、それも、
「他の人が言っていることを、自分が感じるかどうか」
ということで、今までは
「確かにそうだった」
というだけのことで、その理屈が、本当なのかどうか、ここから先、感じていくことになるのだろう。
そんな時に、見つけたバーは、
「隠れ家のようなところ」
ということで、名前を、
「バー・プワゾン」
と言った。
「プワゾン」
という言葉はよく聞く言葉であるが、一見、まるで香水のように聞こえるが、実はフランス語であり、
「毒」
というものを意味する言葉であった。
これを英語読みすると、
「ポイズン」
ということになるというわけだった。
マスターとすれば、
「本当は、ポイズンにしたかったんだけど、本当に毒があるように思えて、しかも、楽曲などに多いので、自分の趣味ではなかったからですね」
というのだった。
「なるほど、この店で、毒という言葉はある意味、お似合いすぎて、ちょっと入るのを考えてしまいますね」
というと、
「まあ、こんな場末のバーなので、そういう意味では、お似合いなのかも知れないですけどね」
というのであった。
そして、この店に来るようになってから、急に、妹のことを意識するようになった自分に気が付いた時、