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複数トリックの組み合わせ

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 という感覚になっていることで、
「離婚は考えられない」
 と思うようになった。
 そこで考えたのが、
「卑怯な考えではあるが」
 ということだが、こちらは、
「我慢できないと思うのだから仕方がない」
 ということで、自分の中で、
「不倫を容認する」
 という気持ちになったのだ。
 自分に都合のいい考え」
 ということであるが、
「結婚生活を続けていくためには仕方がない」
 ということで、結局、
「不倫の道に嵌る」
 ということになり、
「そんな都合のいい女というのが簡単に見つかる」
 というのも、どういうものなのか?
 これも、
「男女ともに、不倫を望んでいる人が多い」
 ということであろうか。
 そして、不倫を重ねるうちに、途中で、急におかしくなってきたというのが分かってきて、何と、
「旦那を殺してほしい」
 というようなことを言い出したのだ。
 それを聞いた瞬間、この男性は、
「怖くなった」
 と言えばいいのか、精神的に、
「萎えてきた」
 といっていいのか、
「殺害依頼」
 というのを聞かされた瞬間に、完全に冷めてしまったのだった。
 その時、彼は、
「相手に対して、自分の都合のいいことをあからさまにぶつけると、相手はそのことを簡単に悟ってしまい、完全に冷めてしまうものではないか?」
 と感じるのであった。

                 政府の正体

 この自分のことを、
「飽きっぽいのではないか?」
 と感じたこの男は、名前を、
「村雨海斗」
 という。
 年齢は42歳で、年齢的に、この格好いい名前のおかげで、若い頃は結構モテたと自分でも思っていた。
 ちょうど、トレンディドラマが流行っていた時期で、
「海をテーマにしたドラマ」
 というのも流行っていたことで、
「海斗」
 という名前も流行りだったのだ。
 だから、当時は名前だけでモテたということで、それだけ、
「モテるという基準も、浅いところにあった」
 といってもいいかも知れない。
 だから、学生時代は、それなりに遊びもしたし、
「二股、三股」
 というのも、普通にやっていた。
 学生時代というのは、
「浮気くらいは普通」
 と思っていた。
 しかし、それが、就職するにあたって、途中から、
「浮気って、いけないよな」
 と感じるようになった。
 自分では、それを、
「大人になってきたから」
 と思うようになったが、それは、
「大人になる」
 というのが、真摯淑女になるということであり、それがそのまま、
「自由が制限される」
 という感覚に繋がっているのであった。
 だから、逆に、
「大人になる」
 というのは、
「悪いことではなくいいことだ」
 と考えることから、
「何かを犠牲にしている」
 と考えるようになると、
「そのプラスマイナスがゼロになる」
 ということから、
「犠牲になる分を、回収もするだろう」
 と考えることから、
「大人になる」
 ということが、自由の束縛になると考えたが、その伏線回収に何があるのかということを、いずれは分かると思う大学時代だった。
 ただ、社会人になると、
「理不尽なことばかり」
 ということで、先輩などには、
「急に出てこなくなり、そのまま辞めていった人がいる」
 ということが、
「毎年のようにあった」
 という話を聞かされると、
「自分の学生時代からの考えが、本当に正しいのか?」
 として、不安になることもないのであった。
 学生時代に不倫をしたのは、
「飽きっぽいから」
 ということではなく、
「若いうちに、たくさんのオンナと遊びたい」
 という意識があったからだ。
「どうせ、オンナだって、たくさんの男としたいに違いない」
 という勝手な思いであるが、少なくとも、村雨の近くにいた女性は、皆そんな感じだったように思う。
 そういう意味で、
「本当の恋愛」
 というのをしたという気持ちはなかった。
 もちろん、
「本当に好きになったら、結婚したい」
 という思いがあるのは間違いないが、学生時代には、そんなことは考えたこともなかった。
 いや、
「まったくなかった」
 というのは言い過ぎであろうが、
「今はその時ではない」
 と感じたのだ。
 それは、
「まったく焦りを感じなかった」
 ということからで、大学時代に、彼女が一人もできなければ、焦りを感じたに違いない。
 そうなると、
「最初に付き合うことになる女性が、自分の結婚相手だ」
 と思ったかも知れない。
 それは焦りではないと自分に言い聞かせはしても、結局は焦りだったということになるのだろう。
 大学時代に、結婚を考えなかったのは、
「結婚というものが、人生の墓場だ」
 と言われていること、さらに、
「今の時代は、結婚しても、すぐに離婚するカップルが多い」
 ということで、
「結婚とは何なのか?」
 と考えるからであった。
「それでは、どっちの方が自分としては、意識が強いのか?」
 ということを考えると、
「前者の方かも知れない」
 と感じる。
「そもそも、人生の墓場というのが何なのか?」
 ということを思えば、
「浮気もできず、一人の女に縛られる」
 ということを、結婚してから初めて感じ、
「それを感じてしまっても、すでに後の祭り。離婚しないと自由にはなれない」
 と考えるからだ。
 確かに、
「離婚などいつでもできる」
 という時代になってはいるが、
「子供ができていれば、どうなるのだ?」
 と考えてしまったりすると、
「子供ができる前に、離婚するなら、してしまった方がいい」
 と考えるようになると。
「じゃあ、最初から子供など作らなければいい」
 ということになる。
 そもそも、昔のような、
「家長制度」
 というものから、
「家を守る」
 ということが古いしきたりと言われるようになると、
「何も、無理して子供を持つ必要などない」
 ともいえる。
 確かに、世の中は、
「少子高齢化」
 ということで、自分たちが老後になった時に、養ってくれる子供がいなかったりすれば、
「年金制度も崩壊している」
 という時代において。実に困ることになるのだろうが、それ以上に、
「今の生活がままならない」
 ということで、
「とても、将来などを考える余裕などあるわけはない」
 そんな将来の社会のことは、
「政府が考える」
 ということになる。
 もっとも、今の政府に何ができるというのか、せいぜい、増税をしたりするのが関の山というもので、やつらの頭の中には、
「私腹を肥やす」
 ということが、最優先にあるだけに、とても、
「国家の行く末」
 というものを考えられるわけもない。
 これは、下手をすれば、
「誰がやっても、結局は同じことだ」
 ということかも知れない。
 これまでの政治家が蓄積してきた、
「負のスパイラル」
 というものを、急に方向を転換させ、大きなリスクを考えてでも、誰が、
「自分の責任の元で」
 ということの、冒険をするというのだ。
 皆、口では、
「国民のため、未来の子供のため」
 とはいうが、結局は何もできない。
「せめて、今の時代においての被害を、最小限に食い止める」
 という程度のことであろう。