複数トリックの組み合わせ
今の時代であれば、被害を最小編であっても、食い止めることができれば、
「偉大な首相」
と言われるだろう。
しかし、今は、
「私腹を肥やす」
という自分のことだけしか考えないという、
「ソーリ」
ばかりではないか。
そんな時代において、
「ソーリが、ずっと海外活動だけしかしていないような状況を見せられる」
ということになると、国民は、
「自分のことは自分で守るしかない」
ということになり、
「法律に違反さえしなければ、何をやってでも、自分を守る」
と考えるだろう。
そうなると、それぞれ、人の考え方というのは様々なので、向かう道は、
「無法地帯」
でしかない。
そのうちに、法律が有名無実のようになり、
「自分を守るためには、倫理やモラルなどは関係ない」
ということになるであろう。
だから、
「離婚というのが、倫理やモラルに反する」
ということであるのであれば、我慢することはなく、離婚することで、自分を守るという考えもあっていいということになるだろう。
だから、最近では、
「離婚するくらいなら、最初から結婚しなければいい」
ということになる。
「そもそも、結婚とは何なのか?」
「家長制度のために、子供を作って、末代まで家を栄えさせえる」
ということであれば、すでに、もうそんな時代は終わっている。
「子供を作って、高齢者を養ってもらう?」
ということだと、今であればいえるだろうが、
「子供を育てる」
という環境に、今の時代は適していないと言われる。
なぜなら、以前の、
「バブルの崩壊の前」
のように、
「母親は専業主婦」
ということではないので、
「子供を預かってもらう」
という場所が必要になってくる。
祖父母というのが最初に思い浮かぶのだが、そもそも、相手は高齢者であり、その高齢者を養うために子供を作るというわけで、今の時代は、
「年金制度の崩壊」
ということで、祖父母の年代というのは、
「まだまだ働く世代」
ということで、
「祖母も、働いている」
というのも当たり前なので、祖父母に子供の面倒を見てもらうのは無理なことだ。
「祖父母だって、必死に生きている」
ということである。
となると、あとは、
「保育園」
しかないわけで、保育園の数も増えるわけではなく、慢性的に、
「待機児童」
というものができていることから、
「子供を預ける」
ということが難しくなってくる。
そこにもってきて、
「人手不足」
という問題が大きくなっていて、そうなると、
「子供を産んで、背菌をもって育てる」
というのは、しょせん、
「絵に描いた餅」
ということでしかないのだ。
国家や政府というのは、実に勝手なことをいうもので、
「責任を取る」
といって、国民を煽っておいて、
「明らかに政府の責任だ」
ということですら、政府は責任を取ろうとはしない。
それだけいい加減な組織が政府というもので、それが顕著だったのは、少し前に世界的に大きな問題となった。
「世界的なパンデミック」
という問題だった。
全世界で流行した伝染病のために、世界は大混乱に陥り、
「第二次世界大戦以来の世界的な大問題」
ということであった。
確かに。この問題は、世界大戦後80年近く経った中で、
「局地的な戦争は頻発しているが、
「世界を大混乱に陥れる社会問題」
というのは、実際には起きていない。
これが、
「伝染病」
というのは、今の
「ハイパーテロ」
などが叫ばれる時代には、
「まったく考えられなかったわけではない」
ということだった。
ただ、
「正体不明のウイルス」
ということで、最初の一年は、
「いかに、蔓延を避けるか?」
という問題から、
「徹底的な人流の抑制」
ということから、世界では、
「都市封鎖」
という、かつての日本であれば、
「戒厳令」
のようなものが行われた。
しかし、今の日本では、
「有事は存在しない」
ということから、国民の権利や自由を束縛するということは、
「憲法違反だ」
ということになり、
「憲法を改正しないとできない」
ということであったので、
「せめて特別法を作って」
ということでできたのが、
「緊急事態宣言」
というものだった。
他の国では、
「命令」
だったのだが、日本では、
「要請」
でしかない。
そして、命令の場合は、そこには、必ず、
「保障が伴う」
ということであった。
つまり、国家が命令することで奪った自由を、代価として国が支払うものであるが、日本の場合は、
「要請」
という曖昧なものだったので、
「要請に応じてくれた人に対して、それなりの金銭を与える」
ということなのだが、とてもではないが、そんな補償金で賄えるものではない。
それこそ、パンデミックが長引けば、
「倒産は免れない」
ということで、実際に倒産の憂き目にあったという人はたくさんいたことだろう。
そして。いよいよ、
「伝染病自体に対しての対応」
ということで、海外で開発されたワクチンが完成したので、その接種問題ということであった。
国とすれば、
「ワクチンができたから、それを輸入するので、速やかに摂取してほしい」
ということをいうのだが、さすがに、
「得体の知れないワクチン」
を誰が自分から摂取するものかということである。
本来であれば、開発してから、動物実験、そして、人間に対しての、臨床試験などとたくさんの過程を乗り越えて、初めて使用できるようになるはずなのに、本来であれば、何年もかかって、治験を行う必要があるというのに、
「いきなりの接種要請」
ということで、
「これでは、接種者が人体実験されているようなものではないか?」
と誰もが思ったことだろう。
日本政府とすれば、開発した海外の企業や、開発国から、圧力を掛けられ、
「ワクチンを買わないといけない」
ということから、国民に対して。
「もし、何か問題があった時は、国が責任を取る」
と言い切って、ワクチン接種をさせたのだが、実際には。死亡した人が出てきたのに、政府の言い分として、
「因果関係が見られない」
ということで、取ると言った責任から逃れたのだ。
そのことが、政府として、
「国民に対しての裏切り行為になる」
ということを分かってのことなのか、これでは、
「誰が政府のいうことなど聞くものか」
ということで、結局は、
「自分の命は、自分で守らなければいけない」
ということになるのだ。
そもそも、最初は、
「未知のウイルス」
ということで、その治療代であったり、ワクチンの接種代などは、
「国家が費用を持つ」
ということで、
「ただだった」
ということになる。
しかし、考えてみれば、
「国家の費用」
といっても、これは、
「元々国民が払っている税金」
なのである。
「自分たちが稼いできて、それを税金として取られ、その税金は、
「国民のために使われる」
ということが当たり前のはずであり、しかも、その税金は、
「何かあった時のために使う」
ということで、今がその、
「何かあった時」
ということで、
作品名:複数トリックの組み合わせ 作家名:森本晃次