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 にあるのだとすれば、精神的な部分が大きいのかも知れない。
「結婚することによって、自分のものだ」
 という独占欲は満たされることになるだろう。
 それまでは、付き合っていた場合において、確かに、
「この女は俺のオンナだ」
 と決まったわけではない。
 しかし、逆にいえば、
「俺だって、この女だけのものではない」
 ということになる。
 だからと言って、
「浮気が許される」
 というわけではないが、結婚という既成事実があるわけではないので、
「貞操」
 という義務があるわけではない。
 それに違反したからといって、罪に問われるということはないのだ。
 あくまでも、
「倫理やモラル的に、浮気はまずい」
 ということであり、法律違反でもなんでもないのだ。
 だから、
「自分も自由なのだから、相手も自由だ」
 ということになる。
 しかし、
「この人と結婚しよう」
 と覚悟をしたうえでの結婚であれば、
「相手を拘束できるだけの権利はあるが、自分も、不倫はできない」
 という足枷もあるということである。
 だから、成田離婚のときのように、
「始めて一緒に共同生活をしてみると、それまで知らなかった相手の性格であったり、本質が見えてくる」
 ということで、
「これは間違えた」
 と思って、焦ることになるだろう。
 それは、男であっても、女であっても同じことで、お互いにそれぞれで感じることなのかも知れない。
 お互いに感じてしまうと、もうそこに迷いはない。
「早い方がいい」
 ということになれば、
「成田離婚が成立」
 ということになる。
 最初の頃は、
「結婚して数日で離婚?」
 ということで、人間性を疑われたかも知れないが、
「成田離婚」
 というものが流行り、その考え方というものが、認知を受けてくるようになれば。
「離婚が早かった」
 ということも、別に今後の人生において、足かせになるということもないであろう。
 そんなことを考えていると、
 そして、この
「成田離婚」
 というものが流行ってくるのがターニングポイントとなり、
「我慢できない」
 ということを、
「我慢しない」
 という理屈に繋がってくるのではないだろうか?
 そうなると、
「本当に我慢できない」
 ということから、昔は、
「それでも我慢しなければいけない」
 ということで、強靭な精神力が必要であり、それが備わっているという人がたくさんいたということだったのだろうが、今は、それを、
「我慢せずともいい」
 ということになると、
 自分の中に、免疫というものができてしまい、
「免疫に頼る」
 ということで、
「逃げの道が開ける」
 という社会から、あまり強くない人間が形成されるという時代なのかも知れない。
 それは、
「我慢しない」
 ということが、身体の中の免疫として、
「我慢できない」
 という体質になってきたとも考えられる。
 それが、精神的なものからの派生ということであるから、余計に、世の中に、
「成田離婚」
 というものを呼ぶのであろう。
 そう、
「我慢しなくてもいいんだ」
 ということが、今の時代では当たり前のようになってきているが、果たして、それが、
「我慢できない体質の人間を産んでいる」
 ということで、
「いい面もあるが、その反面。悪い面も潜んでいる」
 といえるのではないだろうか?
 実際に、ここに一人の男がいるが、彼も、
「我慢できない体質になっている」
 ということを、自覚していないことで、自分が奥さんに対して、
「飽きてしまった」
 ということを、
「飽きっぽい性格だ」
 ということで、何とか納得させようとしている。
 それが、世の中の、
「我慢しなくてもいいという風潮が生んだ弊害」
 といってもいいだろう。
 今は、教育自体がそういう時代になっている。
 昭和の頃であれば、
「我慢して頑張る」
 というのが美学だった時代である。
 これは、
「我慢することで、その先に見える結界突破というものが、分かっている」
 ということからであった。
「我慢して、その我慢の先にある結界を突破すると、天国が見えてくる」
 という発想で、それこそ、
「生みの苦しみ」
 というものではないだろうか?
 だから、本番で成功するために、練習やリハーサルを行うのであり、その時に、
「結界突破」
 をしておけば、
「本番で失敗することはない」
 といえるだろう。
 成功するためには、
「自分に自信を持たなければいけない」
 ということで、その自信を得るには、
「結界を突破するための、苦労だ」
 ということになる。
 何事も、
「我慢しなくてもいい」
 ということになると、
「途中で投げ出してもいい」
 という気持ちを植え付けることになり、
「結局は、最後の栄光というものが何なのか分からない」
 ということになる。
「漠然としたものしか、目指すものになければ、簡単に投げ出すということになり、達成感という欲が満たされない」
 ということになり、
「達成感」
 というのも、欲の一種で、
「征服欲」
 とはまた違ったものだ。
 達成感」
 というものには、目標というものがあり、それを突破できた人間にしか感じることができないものである。
「征服欲」
 というのは、自分の努力だけで得られるものではなく、逆にいえば、
「他力本願」
 というものでも得ることができる。
「どちらが欲しいのか?」
 ということになると、それこそ、
「その人の感覚」
 ということになるのだろうが、もちろん、
「その時々によっても違う」
 というものであり、逆にいえば、
「征服欲が満たされたおかげで、達成感をえられなかった」
 ということであったり、さらには、
「達成感が得られたので、征服欲というものが得られなかった」
 という場合もあるだろう。
 結果は、どちらかしか得られなければ、分からないことではあるが、
「どちらが、自分にとって、より満足できるか?」
 ということであり、実際に、
「征服欲」
 というものと、
「達成感」
 というものが、
「表裏の関係」
 ということであれば、
「たぶん、これは平行線を描くことになるに違いない」
 ということになるであろう。
「成田離婚」
 ということまではいかないが、結婚したことで、手に入れた女に対して、
「身体の関係に飽きてしまった」
 と感じることになるまでに、時間が掛からなかった。
 だから、それまで、
「飽きっぽいというわけではない」
 と思っていたにも関わらず、
「セックスというものを女房に感じなくなった」
 ということを、最初は、
「飽きっぽい」
 と感じたのと、
「何かの病気ではないか?」
 と感じたことであった。
 そのうちに、
「他のオンナに対しては、性欲が湧いてくる」
 いや、
「今までは、彼女がいるから」
 ということで、気にもしていなかったまわりの女性を、
「オンナとして見るようになった」
 と感じたのである。
 他の人のように、
「成田離婚のように、すぐに離婚してしまおう」
 とも考えたが、そこで、思ったのが、
「セックスに関してだけ飽きを感じ、それ以外のことでは、ずっと一緒にいたいと思う」