複数トリックの組み合わせ
というものが予期できなかったと、百歩譲って考えられるとしても、今回問題となってえいる、
「年金制度の崩壊」
というのは、
「ずっと昔から言われてきたこと」
ということになるのだ。
それを、今まで、政府とすれば、
「対策を考えていた」
というかも知れないが、何ら有効な手立てもないまま、今まで放っておいたことで、結局、
「年金制度の崩壊」
というものを迎えた。
しかし、実際には、
「厚生年金」
というものを、
「給与天引き」
という形で行ってきたのに、最後には、
「その年金がもらえない」
ということになるわけだ。
そもそも、
「年金」
というのは、
「働けなくなる老後において、その生活を保障する」
というものだったはずで、
「社会保障というものの、根底だった」
といえるだろう。
働くことができる年齢の間に、給与の中から、
「年金として、もらえる時期まで、国家に預けておく」
というのが、年金制度というものだった。
もちろん、その間に、
「国家の運営のために、使える金」
ということで、
「一種の税金」
という形にしてきたものだった。
しかし、実際に、その年金が、今では、どんどん、天引き額が高くなっているにも関わらず、実際にもらえる年金は、
「昔は55歳だったのに、今では、65歳」
ということで、どんどん高齢化してくるということであった。
「しまいには、
「定年制度」
というのもなくなり、
「死ぬまで働け」
と言わんばかりの、
「まるで、奴隷制度のようにこき使われる」
ということになるのだ。
もし、それができないのであれば、もっと最悪である。昔の時代にあった、
「楢山節考」
などのような、
「姥捨て山」
と言われる、
「働けず、食い扶持だけで、存在が世の中の害」
とでもいうような、
「年寄りは山に捨てる」
というとんでもない風習を再現しなければ、
「国家が成り立たない」
という世界が、真剣に来るのかも知れない。
つまりは、今では、
「安楽死」
というものが認められないが、いずれは認められることになったとしても、それはあくまでも、
「姥捨て山」
という風習を、現代によみがえらせるための、
「苦肉の策」
ということでの、認可ということになるのではないだろうか?
それこそ、
「政府の欺瞞」
であり、今のままの政府であれば、それくらいのことは普通にあってしかるべきといってもいいだろう。
それが、
「日本の将来」
だと思えば、
「これほど情けないことはない」
といえるのではないだろうか?
少なくとも、このままでは、
「避けられない事実」
ということになるのである。
それを思えば、
「今を生きる」
というだけで、国民は精一杯なのだ。
「将来が何も見えてこない」
ということになれば、
「何に対して我慢をすればいいのか?」
ということになり、それは、集団生活の中では、無法地帯を産むということで、治安も、統制も守れないということになり、
「安全保障などありえない」
ということになるだろう。
本来であれば、それを力を使ってでも、担うのが、
「政府」
というものであるはずなのに、その政府が、
「まったく機能していない」
ということで、
「我慢をしないでいい」
ということが、決してありがたいことではないということだ。
だから、
「少なくとも今の生活は保障されていてほしい」
という考え方から、
「男女平等」
「プライバシーの保護」
「コンプライアンス問題」
というものが、目の前の問題として起こってきたのだろう。
しかし。中には、
「当時の社会問題」
というものから言われ出したというものもあるということで、
「プライバシー保護」
などというのは、ネットの普及ということから問題となってきた、
「ネットによる詐欺問題」
というもの、さらに、
「ストーカー問題」
というものから個人を守るということでの問題などがそうである。
ストーカー問題というのも、ある意味、
「昔のように、我慢しなくなった」
ということから、性欲などに我慢をしなくなったことで、
「異性に付きまとう」
ということで、自分の欲求不満を晴らしたり、
「恋愛感情を満たす」
ということで、勝手な勘違いや思い込みから生まれてきたのが、
「ストーカー」
というもので、以前は、似たような行為があっても、それが犯罪ということで立証されることはなかったが、実際に被害件数も、問題となるほどではなかったということからか、ある程度まで数が増えてきて、さらには、
「ストーカー殺人」
などという、
「猟奇的な凶悪犯」
が生まれてくるということになると、さすがに、国家も、
「放っておくわけにはいかない」
ということで、
「ストーカー規制法」
というものが造られ、
「現代における、典型的な犯罪の種類」
ということになったのだ。
それも、
「我慢しなくなった」
ということが影響しているといえるわけで、
「無法地帯というものに世の中が向かっている」
ということを表したものだといえるだろう。
さらに、ネットの普及によって発生した詐欺事件。
これは、
「住所、指名などの情報を業者が売り買いしたりすることで、詐欺による犯罪が起こる」
ということで、こちらも、
「現代における、典型的な犯罪の種類」
といってもいいだろう。
また、
「男女同権」
という問題も、元々、
「男女雇用均等法」
という問題から、波及したもので、昔から言われていた、
「男尊女卑」
という問題が根底にあるのであった。
この問題は、日本だけにあったものではなく、昔から、全世界レベルであったもので、
「奴隷問題」
などと同じで、いわゆる、
「差別問題」
ということでの、社会問題なのだ。
これには、前述における、
「表裏の問題」
というものが潜んでいるといってもいいだろう。
「世の中というのは、人間関係を含んだところで、必ず、表があれば、裏がある」
ということになるのだ。
「我慢できなくなる」
ということが、
「我慢しなくてもいい」
という、
「どこかでの結界をぶち破ることになるものだ」
と考えれば、
「裏表の問題」
というものには、必ず、
「どこかに結界というものが存在する」
といってもいいだろう。
「飽きっぽい」
ということは、
「基本的に、我慢しない」
ということから出てくるもので、逆をいえば、
「我慢ができないタイプ」
ということであれば、
「しない」
ということと、
「できるできない」
という問題の、
「どこに、結界があるのか?」
ということである。
「我慢しない」
というのは、
「我慢できるかも知れないが、しない」
ということであり、
「我慢できない」
というのは、
「するしないという問題以前にできない」
ということで、
「物理的な不可能」
というものを意味しているといってもいいだろう。
だから、我慢できなくなってしまうと、
「ある意味、終わりだ」
といってもいい。
そして、その結界というものが、
「結婚」
作品名:複数トリックの組み合わせ 作家名:森本晃次