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「道徳を教えるのは大人の役目」
 という考えが崩壊したといってもいいだろう。
 それが次第に狂ってくるようになると、
「うちの教育方針」
 ということを盾に、今の時代では、
「幼児虐待」
 であったり、
「児童虐待」
 というのが社会問題になってきて、それが、
「プライバシーの保護」
 という、
「憲法で認められている」
 ということを盾にされてしまうと、どうにもならないのである。
 これも、法律における、
「表裏の問題」
 といってもいいだろう。
「表があれば裏がある」
 ということで、その境目が見えないことから、
「幼児虐待」
 などという問題を解決できず、悲劇が起こるということになるのだ。
 もちろん、
「児童相談所」
 などでも頑張っているのだろうが、これが結局、
「法律の限界」
 ということが見えてきているということになれば、
「児童虐待」
 という問題だけではなく、
「裏表」
 というものの存在から、
「永久に解決できない」
 と考えられる問題が、今も山積しているにも関わらず、
「それが解決されないまま、どんどん新しいものが出てくる」
 ということになるに違いない。
 そういう意味で、
「飽きっぽい」
 という人が増えてきたというのは、
「我慢できない」
 ということのウラであるだけではなく、
「何かの表でもあるかも知れない」
 ということになるのではないだろうか?
 それを感じさせるのが、
「離婚の急増」
 というものではないだろうか?
 昭和の頃までは、
「離婚というと、戸籍に傷がつく」
 ということで、
「離婚したいと思っても、必至で我慢する」
 という時代だった。
「それがいいことだ」
 とは言わないが、いつの間にか、
「我慢する必要なんてない」
 と考えるようになると、
「結婚するよりも、離婚率がかなり高い」
 ということで、
「バツイチ」
 などという言葉が出てきて、
「バツイチの方がモテる」
 などと言われるようになってきてから、かなり久しいといってもいいだろう。
 特に、昭和が終わってからというもの、
「成田離婚」
 という言葉も流行り、
「付き合っていた時には分からなかった相手のことが、いざ結婚ということになると、我慢できなくなる」
 ということから、
「新婚旅行から帰ってきて、相手が見えてしまったことで、我慢することなく、そのまま離婚」
 という考えになるのだ。
 もっとも、
「やり直すには、早い方がいい」
 という考え方も普通にありであろう。
 さらに、時代が、
「その考えを後押しする時代だった」
 といってもいいだろう。
 いわゆる、
「バブル崩壊」
 という時代である。
 この時代というのは、
「それまで言われていた神話」
 というものが簡単に崩壊した時代だった。
 その最たる例が、
「銀行の破綻」
 ということであった。
「銀行は絶対に潰れない」
 ということが、昭和の時代から言われてきた。
 というのは、
「経済が大混乱になるから、政府が銀行が破綻しないように守るからである」
 ということであったが、
「政府が守ることができないほどに経済全体が破綻して、見殺しにするしかなかった」
 ということである。
 といっても、銀行も、
「自業自得」
 ということもある。
 というのは、
「銀行が破綻した」
 というのは、バブル時代にいわれていた、
「事業を拡大すればするほど儲かる」
 という、
「これも一種の神話」
 であったが、それに乗せられる形で、
「過剰融資」
 というのを行っていた。
 銀行は、金を貸し付け、その利息で利益を得ていたわけで、
「確実に返ってくる」
 という神話を元に、
「貸す金を過剰に渡すことで、その分利益が出る」
 という算数の単純計算をしたことで、
「結局、貸した金が利益どころか、元本も返ってこない」
 ということで、結局、破綻の道しかないということになるわけで、そもそも、
「どうして、誰もこのような時代が来るということを考えなかったのか?」
 というほど、
「バブル時代」
 というのが、異様な考えの人たちばかりだったということで、それこそ、
「一つの発想に凝り固まった新興宗教のようだった」
 といってもいいのではないだろうか?
 そんな時代になると、
「夫婦の絆」
 というのもおかしくなってきた。
 とはいえ、それまでの、
「夫婦の絆」
 というのが、
「本当によかったのか?」
 と聞かれると、実際には、実に、何と答えていいのか難しいところであった。
 何といっても、それまでの時代というと、
「家長制度」
 と言われるもので、昔から続いている。
「跡取りがいて、家を守っていく」
 という風習であるが、だから、長男が重宝されるというものであった。
「長男が家を継ぐ」
 ということで、
「男の子を産めない女は、嫁失格」
 と言われたりしたものだ。
 江戸時代など、それがシビアだったりしたのは、二代将軍秀忠、三代将軍家光の時代くらいであろうか、
 徳川幕府が成立する前が、
「戦国時代だった」
 ということもあり、
「戦国の世に戻してはいけない」
 ということから、
「強力な幕府を作る」
 ということから、大名の力をすぐ必要があるわけであり、そのために、
「参勤交代」
 であったり、
「天下普請:
 ということで、金を使わせたり、
「一国一城令」
 などということで、大名に戦をする力をそぐということが行われたものだった。
 そして、
「何かあったら、大名を取りつぶす」
 ということから、その口実を、絶えず幕府は探していたりした。
 その、
「恰好の口実」
 というものが、
「お家断絶」
 ということで、
「跡取りがいない家」
 というものは、それを口実として、
「改易」
 ということになり、その領主は、とってかわられるということになるのだ。
 そうなると、抱えていた家臣もすべてが路頭に迷うということになり、一時期、
「浪人が増えてしまった」
 という大きな社会問題だったのだ。
 それも当たり前のことであり、
「領主がいなくなれば、その土地で働いていたほとんどの武士が、失業する」
 ということになるからである。
 だから、
「大名家が取りつぶされる」
 ということは、大名家に限らず、その領内にとっては、命にもかかわる大問題ということになるのだった。
 だから、
「世継ぎがいない」
 というのは大変なことであり、中には、
「世継ぎをでっちあげる」
 というところもあったことだろう。
 そして、その長男である世継ぎが、代々世襲ということで、土地を収めていく。それが、幕末まで続くのだった。
 しかし、この家長制度というものは、さらに続いた、
 時代は、明治維新によって、大日本帝国と言われる、
「立憲君主国」
 というものになり、それまでの封建制度というものは崩壊したが、
「家長制度」
 というのは残った。
 さらに、
「さきの大戦」
 において、大日本帝国と同時に、
「立憲君主制」
 というのも崩壊し、敗戦を機に、
「民主主義国家」
 というものに生まれ変わったのであった。
 それによって、民主国家に生まれ変わったが、元からあった、