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「稲作」
 なるものができてくると、
「一つの土地に永住して、そこで稲作に興ずる」
 ということになると、
「同じ土地を皆で分け合う」
 ということから、一つの集落ができて、次第にその集落が大きくなることで、
「クニ」
 というものができあがっていくのだった。
 そうなると、問題は、
「不公平」
 というものが出てくるということだ。
 というのは、
「稲作に必要なのは、新鮮で豊富な水」
 ということになる。
 土地というものは、
「全部が全部、水が豊富なところ」
 というわけではなく、
「一部のところにしか、新鮮な水はない」
 ということで、稲作をするための豊富な水を得るということから、
「新鮮な水があるところに、人が集まってくる」
 ということだ。
 それが、
「クニになる」
 と考えれば、辻褄が合ってくるわけで、そうなった時に、
「争いが起こる」
 というのは、必然なことである。
「誰もが、安心して生活をしたい」
 と考えるだろう。
「一つの水源を皆で分け与える」
 ということで、皆が安心して、生きていけるというわけではない。
 次第に、
「水の豊富さが原因で、安心できるところと、水が少ないことで、毎年、コメができるかどうかが不安なところが出てくる」
 ということになる。
 そうなると、水に不安があるところは、
「近隣の水が豊富な人を襲って、それになりかわろう」
 と考えるだろう。
 中には、
「争いをしたくないということで、再度新鮮な水をもとめて、別の土地を模索する」
 という人も出てくるだろうが、
「いつ見つかるかどうか?」
 もっといえば、
「本当に見つけることができるか分からない」
 という状況で、それだったら、
「明らかに豊富な水があるところを自分のものにする方が早い」
 ということで、争いというものが起こってくる。
 そこから、人間は、
「欲というもののために、争いを起こすようになり、一つのクニというものを収めるために、法律というものが必要」
 ということになったのだ。
 そして、その法律だけではなく、秩序を保つためには、
「君主」
 というものの存在は不可欠で、それが、
「王」
 というものが君臨することで、
「団結と、統制が保てる」
 ということになるのだ。
 もっといえば、そこに君主というものが、
「欲」
 というものを持つと、今度は、
「まわりのクニを征服し、自分が、さらに大きな土地の支配者になりたい」
 と考えるのだ。
 そうやって、次第に大きな土地を支配する君主が生まれてくることになった。
 それが、
「大和朝廷」
 であり、
「古墳時代」
 という、その権威をひけらかすことで、国家の安定を保とうと考えるようになった。
 当時はまだ、仏教というのも伝来する前の時代で、
「法律」
 というものも、ハッキリしていなかったことだろう。
 何しろ、
「歴史的な事実を記した書物」
 というものがなかったわけで、その理由が、
「文字がなかった」
 ということからなので、法律というものができる環境になかったといってもいいだろう。
 大陸から文字が伝わり、仏教も伝わった。
 そこで、法律として、文章化されたものが、
「厩戸王」
 つまりは、昔でいう。
「聖徳太子」
 の時代に、
「十七条憲法」
 という形で出来上がったのだ。
 そもそも憲法というものは、今の時代でもそうなのだが、
「一般市民を戒める」
 というものではない。
 あくまでも、
「国を治める、政治家や役人を戒めるもの」
 ということであった。
 今の時代であれば、
「国民を戒めるための、民法であったり刑法などの私法と呼ばれる法律を作る、立法機関としての、国会議員が、正しい私法を作るための役人に対しての法律」
 というものである。
 大和時代であれば、
「役人を戒める法律」
 ということで、それ以外の農民であったり、一般の人たちを戒めるものはなかったわけで、あったとしても、それはあくまでも、
「土地にかかわること」
 ということで、言い方を変えると、
「当時は、人間扱いされていたのは、役人だけだったのではないか?」
 といえるのかも知れない。
 何しろ、奈良時代になっても、役人以外の人の暮らしというと、それこそ、
「弥生時代と変わっていない」
 というほどのもので、記録として、
「差別的なことが残っていない」
 ということで、それは、
「差別は当たり前」
 と考えられていたからなのかも知れない。
 それだけ、役人と一般市民との間の発想には開きがあり、一般市民が、
「奴隷同様に扱われていた」
 という考え方も出てくるかも知れない。
 そうでなければ、古墳時代のような、
「巨大陵墓」
 というものを、農民を駆り立てて作らせるということもないだろう。
 それこそ、
「古代エジプトが、奴隷を使ってピラミッドを作らせた」
 ということと、まったく変わらないといってもいいだろう。
 古代エジプトの奴隷問題に対して、その警鐘を鳴らしたのが、
「モーゼの十戒」
 と呼ばれるもので、話の内容は、奴隷解放ということであるが、日本においても、
「聖徳太子が憲法というものを作った」
 というのは、
「仏教伝来の時代」
 とかぶっているということから、
「宗教が政治に絡む」
 というのは、古代エジプトのモーゼの話を鑑みたところであっても、
「太古の昔から言われてきたこと」
 ということであり、
「宗教と、法律というのは、切っても切り離せないもの」
 といってもいいだろう。
 それが時代が進んで、
「大航海時代」
 というのが訪れると、ヨーロッパの国が、海を渡って、アジアに進出してくるようになった。
 アジアの国に、
「貿易を求める」
 ということと、
「キリスト教の布教」
 というものを求めて、宣教師や商人が送られてくることになったのだ。
 最初は、普通に貿易をしていたのだが、そのうちに、ヨーロッパの方で、
「アジア蔑視」
 という風潮からか、貿易で損をしないようにということからなのか、
「あくまでも、自分たちの立場を歴然とした優位性を持ったものにしないといけない」
 と考えたのだろう。
 それによって、
「アジアの国を植民地」
 ということにして。
「支配する」
 という考えが蔓延してきた。
 その手段として、
「宣教師を送り込むことによって、相手の国がそれまで信じてきたであろう、国教であったり、仏教思想との間に諍いを起こし、その混乱に乗じて、自国軍を出動させ、鎮圧と称し、相手国を占領する」
 という、
「盗人猛々しい」
 という方法を取ってきたのだ。
 まんまと成功うし、アジアのほとんどの国は、結局、
「欧州の植民地」
 ということになったのだ。
 日本は、何とか植民地になることはなかったが、結局幕末と呼ばれた時代に、アメリカの、
「砲艦外交」
 というものによって、力による開国を迫られたことで、
「植民地の危機」
 というものに直面したのだ。
 ただ、運がいいといえばいいのか、
「イギリスとフランスの敵対」
 というものから、うまく明治維新というものがなったことで、
「植民地化というものがまぬがれた」
 ということであった。