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真実と事実の絡み

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「自分がまだ社長業のための、丁稚奉公のようなことをしていた頃のことだった」
 というのは、
「社長というのは、息子だからということで、すぐにできるものではない」
 もちろん、大学時代には、
「親の会社を継ぐ」
 ということから、大学の経営学部で、
「経営学の基礎」
 を学ぶことから始まり、そのまま、
「親父の会社に入社できる」
 というわけではない。
「子会社」
 であったり、
「取引先の会社」
 というもので、
「しばらく勉強する」
 ということが、いわゆる、
「丁稚奉公」
 と言われるものだったのだ。
 子会社や取引先としても、社長になる人を預かって、育てたということで、
「他のライバル会社より、一歩先に行ける」
 ということから、どちらの会社にもメリットがあるというものだ。
 その時、貝塚が、
「世話になった会社の社長の息子」
 と仲が良かったのだ。
 まだその子供は大学に入ったばかりくらいで、貝塚も、20代後半ということで、
「その頃の年代からすれば、本来では、仲良くなるには、年の差がある」
 と言われるかも知れないが、どちらも、
「社長の息子」
 ということで、年齢的なものを考えることなく、自然と仲良くなっていたと言ってもいいだろう。
 しかも、貝塚の方が年上なのに、立場的には、
「どちらが上とは言えないような関係」
 ということだった。
 しかも、貝塚の方は、
「立場の強い会社の御曹司」
 ということで、どうにも、違和感のある関係に見えて仕方がなかったのだが、二人の間に確執などなく、それこそ、
「小学生時代から知っている幼馴染」
 という感覚に近いと言っても過言ではないだろう。
「小学生の頃から、いつも一人でいるのが当たり前だ」
 と自覚していた貝塚には、その頃の自分が、
「自分のことを一番理解していた頃ではなかったか?」
 と考えるのだ。
 本当であれば、社長になった今が、その頃だということなのだろうが、
「そこが、自分の引退というものを考える」
 というきっかけになったことであり、
「いつの間にか、今見えている青写真で、本当は、どんどん会社を大きくすることにまい進しなければいけないのに、どこか、後進に道を譲って、自分は引退する」
 というようなものが出来上がっているのであった。
 もちろん、
「今すぐ」
 などということはありえないのであるが、
「いずれは来ることで、毎年のように、時間が経つのが早くなってきている」
 と考えると、
「当たり前のことを当たり前として考えるというのが、今の自分というものだ」
 と感じていた。
 同じ立場のような川端に、最初はどこか同情的に感じていた貝塚だったが、貝塚に対して、川端が、
「やっかみのようなものを抱いている」
 ということを、まったく感じていたわけではなかった。
 というのも、
「川端は、あくまでも、下請け会社の社長の息子」
 ということで、立場的には、
「川端の方が低い」
 というわけだ。
 成績もそんなによくはないと言われているので、
「父親の苦悩」
 というのも、結構なものだったことだろう。
 そんなことは分かっていることであって、だからこそ、貝塚としては、自分では、
「やさしさから」
 と思いながら、
「川端に余計なことを考えさせないようにしよう」
 と考えるようになったのだった。
 ただ、これはやさしさではなく、貝塚の、
「自己顕示欲」
 というか、
「優越感」
 というものを満たすためのものだったといえるだろう。
 どんなに頑張っても、立場が変わるわけはないのだから、
「川端に勝ち目はない」
 というわけで、川端にとっては、
「劣等感以外の何ものでもない」
 ということになるのだ。
 それを、
「優しさから」
 という言葉で片付けるということであれば、それは、完全に
「自分のわがまま」
 と言ってもいいだろう。
 わがままというのがどういうことかというと、
「立場的には絶対的なもの」
 としてゆるぎない状態を、相手に感じさせないことで、自分が優位に立つということは、
「相手本人にだけ分からずに、まわりには分からせることで、自分の立場を周りに対しても、同時に威圧する態度に出ることができる」
 というもので、
 その立場を、まわりが、相手に話をしても、それは自分が行ったことではなく、不可抗力だというあざとさを見せることで、
「自分の立場がゆるぎないものにするだけの立場とパワーを手に入れた」
 ということになるのだろう。
 そんなあざとさが、相手に分からせるということで、
「洗脳する」
 ということが、あくまでも、自分たちが悪くないと自然に感じさせるということであり、
「これほどの確信犯はない」
 ということになるだろう。
 その時の貝塚の、
「川端に対しての態度は、そうだった」
 のだろう。
 川端は、まだ大学生になったばかりで、
「世の中というものを分かるはずもない」
 ということであったので、それを分かったうえで、川端を攻撃するというのは、これほど、
「悪質なことはない」
 といえるのではないだろうか?
 そんな川端が、
「天才学者」
 と言われていたというのは、あくまでも、
「大学での友達からの皮肉だった」
 ということである。
 大学には、一応、現役での入学だった。
 ただ、彼は、
「基本的に頭がいい」
 というわけではなく、大学合格も、
「何かの間違いではないか?」
 などという、ひどい誹謗中傷を受けたのだった。
 ただ、これを言い出したのは、
「同じ高校から入学した人」
 ということで、その人は、川端よりも、数ランク上だったはずなのに、成績としては、「ギリギリでの入学」
 ということだった。
 だから、彼は、事実かどうか分からないが、
「いまさら」
 というところもあったが、
「逆にいまさらだからこそ、ウワサになっても、すぐに忘れてくれる」
 ということで、
「自動的に冷めてくるはずだ」
 という思いからの、誹謗中傷を流したのだった。
 その内容というのが、
「高校受験が、裏口入学だった」
 というウワサを流したのだ。
 高校時代ということで、それこそ、
「いまさら」
 と言ってもいいだろう。
 高校時代に、
「どのようにして裏口だったのか?」
 ということで、いろいろなウワサがあった。
「試験問題を、大学関係者から買った」
 という話、そして、
「お金の金額が点数分」
 ということで、あとから、高校側との金額交渉で、
「出せる額」
 というのが、
「その点数に値するだけのものだった」
 という話などである。
 とにかく、
「高校には不正で入学した」
 というウワサが、高校時代に流れることはなく、大学に合格してから言われるようになったというのは、
「何かのカラクリがある」
 ということであろう。
「その時の金額でその後もめることになった」
 ということなのか、あるいは、
「本当に裏口入学が行われ、その後、学校側か、川端家の中で、何やら、厄介な問題ごとが持ち上がった」
 ということなのか、
 とにかく、
「予期せぬ出来事」
 というのが持ち上がったということで、
「大学入試の後」
作品名:真実と事実の絡み 作家名:森本晃次