真実と事実の絡み
と言ってもいいのかも知れない。
絵画教室
美穂が貝塚と結婚して、半年くらいが経っていた。スナックのママも辞めて、いわゆる、
「社長夫人」
ということになり、家に引きこもることが多かったが、想像していたような、
「社長夫人」
ということはなく、
「少しだけ大き目の一軒家に住んでいるだけの夫婦」
ということで、同居の家族もおらず、余計に家が大きく感じられるのであった。
美穂は、
「花嫁修業」
らしいことは一切やっていない。
料理も、軽食くらいであれば、作ることはできるが、凝った料理ができるわけでもなく、掃除洗濯も、一通りできるというだけで、基本を教えてもらっているわけではなかったので、何をするにも時間が掛かったのである。
幸いなことに一人ということで、
「ゆっくりとやればいい」
ということで、旦那から言われていたので、時間を掛けて、慣れてくることにした。
他の人との接触は、なるべくしないようにしていた。
買い物もたまにはいくが、今の時代は、ネットスーパーなどがあることから、表に出なくてもよくなった。
しかも、ゆっくりといろいろやっていると、一日があっという間に過ぎていて、旦那が帰ってきても、
「ごめんなさい。夕飯の支度、これからなんです」
という日もあったりした。
それでも、旦那は。
「いいんだよ。ゆっくりやれば」
という優しい声を掛けてくれ、その優しさに甘えることにした。
実際に、甘えるしかないという美穂は、どうしても、肩肘が張る生活をすることになっているのであった。
それでも、さすがに半年も毎日同じことをやっていると、ある程度慣れてくるというもので、毎日を、
「時間に追われる」
ということはなくなった。
本人は、
「時間に追われている」
という感覚はなく、ただ、
「余裕がない」
と思っていたのだ。
本当であれば、
「余裕がないから、時間に追われる」
と思うのだろうが、美穂は、その感覚はなかったのだった。
だから最近は、
「買い物に出かける」
ということもできるようになり、家にいても、できた時間で、テレビを見るということもできるようになった。
ただ、続けて見るというのは、なかなか難しく、ドラマなどは、
「録画しておいて、それを見る」
ということをよくするようになった。
美穂は、
「二時間サスペンスドラマ」
というのが、昔から好きだった。
いわゆる、
「推理もの」
ということだが、
「本職は探偵ではないのに、いろいろな職業の人が事件にかかわることで、警察よりも鋭い推理で事件を解決する」
という内容に、胸のすく思いというのを感じていたのだ。
もちろん、
「二時間サスペンス」
というものを、最初から最後まで続けて見ていれば、家事が滞ってしまう。
さすがにまずいので、録画をしたものを、あとから見るということをするようになったのだ。
そもそも、ミステリーに関しては興味があった。
中学くらいの頃だったか、ちょうど、二時間サスペンスというのが流行っていて、今から思えば、
「毎日のようにやっていた」
と思うほどだ。
最近では、特定のチャンネルで、昼下がりに再放送をしている。俳優を見ていると、
「毎回同じ人が出ている」
という感覚を覚えながら、その俳優たちが、
「まだまだ若いな」
と思えるほどで、
「本放送がいつくらいだったのか?」
と考えると、
「そうそう、やっぱり中学時代くらいだった」
と感じるのだった。
「どうして、その頃だったのか?」
というのが分かったのかというと、
「サスペンスドラマのエンディングテーマ」
というものを聞けば、それがちょうど流行っていた曲で、特に中学時代という多感な時期であれば、
「それぞれの曲に、自分のその時の思い出というものが残っている」
ということになる、
「曲を聞けば、いろいろなことが思い出される」
というのも、今になって、
「サスペンスドラマを見るのが好きだ」
というゆえんということであった。
もちろん、
「ミステリーが好きだ」
という理由が一番で、中学時代には、文芸部に所属していて、
「推理小説を読むのが好き」
というのが、入部動機であった。
ちょうど皆、サスペンス好きの人が集まっていて、よく、
「サスペンス談義」
をしたものだ。
人によって見るところが違っているのもいいところで、
「角度によって、こんなに見方が違うものか?」
と、まさか、サスペンス劇場で感じさせられるとは思ってもいなかったことが、美穂にとって新鮮な気持ちにさせられたのだった。
一番多い意見というのは、
「勧善懲悪なところ」
ということであった。
主人公は、本当は探偵ではなく、他の仕事をしているのだが、一度巻き込まれた事件で、警察のお株を奪うような推理を披露して、警察から一目置かれることになった主人公は、自分が、
「探偵の真似事をしている」
ということを明かさず、いつも、おせっかいにも事件に首を突っ込もうとして、最初は警察に煙たがられ、
「あわやくば、あいつが怪しい」
とばかりに、警察から、
「重要容疑者扱い」
を受けるが、
「刑事の中で、主人公を知っているという人がいる」
ということで、
「警察が手のひらを返して、主人公をもてはやす」
というまるで、
「水戸黄門の印籠を出すシーン」
というものを彷彿させるというものだ。
「遠山の金さんにおいての、桜吹雪」
同様、日本人はとかく、こういう話に弱い。
勧善懲悪という意識と、
「弱い立場の人が虐げられているところに、正義のヒーローが現れる」
ということでの、
「判官びいき」
というのも、影響しているのだろう。
とかく、時代劇などの、
「赤穂浪士」
「新選組」
などという、
「忠義に徹する」
というところも、日本人の心を打つというものである。
サスペンス劇場では、表立った、
「忠義」
というものはでてこないが、
「どこか、匂わせるところを感じる」
というのが、美穂にとって、サスペンス劇場を見る上での、
「勧善懲悪」
であったり、
「判官びいき」
というものに近いものだと言ってもいいだろう。
そんなサスペンス劇場を見ていると、最初は、
「慣れない家事でくたびれた気持ちをいやす」
という意味での、
「気分転換」
ということであったが、そこに、また自分のくせである。
「マヒした感覚」
というものが出てきたことで、何か、我に返るような感覚に陥ることで、ふと、
「これが、最初に望んだ結婚生活なのか?」
と考えるようになった。
元々、結婚生活というものがどういうものなのか、想像もつかなかった。
だから、マヒした感覚であることをいいことに、
「これが結婚生活だ」
と表に出てきた結果から判断すると思っていたので。
「マヒした感覚」
というものを、悪いとはまったく思っていなかった。
だからこそ、
「これが結婚生活なんだ」
と思うと、別に嫌でもないし、
「慣れてくれば、そこから、楽しみも出てくるだろう」
と思っていたが、危惧があるとすれば、