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真実と事実の絡み

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 途中からは、
「ひどい法律だ」
 という話もあった、
「緊急事態宣言」
 であったが、
「世界的なパンデミック」
 というものに見舞われていたという時期であったが、実際には、
「日本という国は、海外から、しかも、パンデミック発症を引き起こした国の主席を招こうとしていた」
 ということだったのである。
 しかも、
「国賓」
 ということでである。
 つまり、
「国賓を招こうというのだから、水際対策ということをしてしまうと、言い訳が利かなくなる」
 ということで、
「伝染病が世界的に流行した場合というのは、水際対策というのは、何をおいても、最優先だ」
 ということになっているにも関わらず、政府が最初に行ったのが、
「学校閉鎖」
 というものだった。
 そもそも、
「国内に蔓延している」
 ということが大前提としてあった上での、
「学校閉鎖」
 ということであれば、
「百歩譲って分からなくもない」
 ということだが、そんなエビデンスもないままに、政府が、勝手にやったことだった。
 この、
「勝手に」
 というのも、あくまでも、
「ソーリの独断」
 だったのだ。
 実際には、
「ソーリの側近が知らなかった」
 ということで、本来であれば、
「政府の要人が学校であったり、文科省に手回しをして、スムーズに学校閉鎖を行わせる」
 というのが当たり前のことであった。
 なぜなら、今の時代の、
「少子高齢化」
 ということの弊害として、
「保育園」
 などを充実させるということが一番の問題だったのだが、その保育園であったり、幼稚園という施設に何の連絡もなく、
「学校閉鎖を行う」
 というわけで、
「子供たちを誰が預かってくれるのか?」
 ということであった。
 しかも、その問題が解決することもなく、ほぼ立て続けに、今度は政府が、
「緊急事態宣言」
 というものを出したのだ。
 つまりは、
「人流抑制」
 ということを念頭にした。
「休業要請」
 である。
 確かに、保育園が閉鎖ということになれば、
「どこに預けて会社にいけばいいのか?」
 という問題が大きく、
「何の根回しもないままに、国家が勝手に、この体制をぶち壊した」
 ということで、
「政府要人も、文科省」
 としても、
「メンツをつぶされた」
 ということで、大いに怒っていたことであろう。
 しかし、さらに今度は、その問題が解決するまでもなく、今度は、
「休業要請」
 ということで、
「子供をどこに預けるか?」
 という問題はなくなったが、そもそも、
「子供を預けなければいけないのは、働きに出る時に、誰も預かってくれない」
 ということから、
「働きに出るということを当たり前だ」
 ということにして、そこからの問題だったものを、その問題を根こそぎに、
「問題を、最悪な形のひとくくりにしよう」
 という考えで、どうしようもない状態にした」
 ということであった。
 確かに、
「人流抑制」
 というのは、国民の多数が賛成したということで、
「国民の意見を二分した」
 ということであったが、まだ、その頃はよかった。
 それ以降、このパンデミックが続いているという間、政府が打ち出した意見に、
「国民はことごとく反対していた」
 ということで、民主主義国家ということであれば、
「政府は、どうにも動けない」
 ということで、
「その問題をいかに解決するか?」
 というのが、一番の問題だったというべきであろうが、実際には、
「多数決を取って、反対意見が、80%「近くもあるのに、こともあろうに政府は、多数決という民主主義の基本を靴がしてでも、自分たちの意見を通そうとする」
 という事態だったのだ。
 そもそも、
「反対が80%もいるのだから、普通に考えただけで、その意見がどれほどの危険なものだということであったり、ひどい者なのか?」
 ということが分かっているということである。
 しかし、実際には、それを、
「強行突破する」
 ということで、自分たちの意見を通したのだから、
「民主主義の政府」
 ということであるはずのものが、まるで、
「独裁政治」
 というようになるのだから、その時国民は、
「この国は、もう終わった」
 と感じたことだろう。
 実際にそれ以降の政府も、ろくなものではなかった。
「今の政権が変われば、これ以上悪くなることはないだろう」
 と思えるほどの、
「腐った政府」
 だったのだが、何と、
「政府が変わった」
 ということで、最初の数か月くらいはせめて、
「今度のソーリには期待しよう」
 と思うのであろうが、それが、今の政府など、政府として、実際に動き始める前といってもいい、
「組閣の時点」
 で、
「今度の政府は腐っている」
 と言われるのだから、もう、本当にこの国は、
「どうしようもない」
 と言っていいだろう。
 何しろ、パンデミックの最中、
「休業要請に応じてくれれば、支援金を出す」
 ということあったが、実際には、
「手続きをするのに、難しすぎてよく分からない」
 ということであったり、
「申請しても、お金が出るまでに、半年近くかかる」
 ということで、
「休業に応じて、お金に困るのが待ったなし」
 という状態であれば、あっという間に、つまりは、
「支援金が出る前に、倒産してしまう」
 というところがたくさんあったということである。
 さらに、もっとひどいのは、
「ワクチン問題」
 の時であった。
 確かに、まだまだ正体が分からないウイルスということで、
「1年やそこらでワクチンを開発した」
 ということであるから、そのワクチンに対しての対策として、
「もし、何かあったら、政府が責任を持つ」
 ということで、ワクチンを促進したのだが、実際にワクチンを接種したことで、なくなったという人がいるのに、政府は、
「因果関係が認められない」
 などという、
「本来であれば、当たり前のことであるが、自分たちが、責任を取る」
 と言っておいて、その責任を取らないどころか、
「接種に関しては、自己責任」
 と言って、
「煽ったくせに、責任を転嫁した」
 ということであった。
 だから、
「こんな政府誰が信じられるものか」
 ということで、
「政府は、国民に顔向けできないほどのことをした」
 ということなのだろうが、政府は、
「パンデミック」
 というものが去ったことを、本来であれば、
「ブームの解消」
 ということになるわけで、しかも、実際には、まだまだ蔓延状態にあるにも関わらず、
「パンデミックの解消は、政府の努力によるもの」
 ということで、手柄を自分たちのものとしているのであった。
 本来であれば、
「パンデミックというものは、定期的に起こる可能性があるもので、一番大切なのは、危機が去ったあとの、検証ではないか?」
 ということであるが、今の政府は、それすらやっていないのである。
 要するに、
「危機が去り、自分たちの手柄だ」
 というのであれば、堂々と、どのように危機を回避させたのかということを宣伝するはずなのに、それをしない。
 それをしようとすると、
「どのような方法を取り、それが功を奏したのか?」
作品名:真実と事実の絡み 作家名:森本晃次