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真実と事実の絡み

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 と思うのだった。
 この中で、一番この三人を、
「何か怪しい」
 と思ったのは、樋口刑事だった。
 しかし、結局は、
「考えすぎなのではないか?」
 と思ったが、ただ、
「なぜ、誰も知らない死体が、そこに殺害されて放置されたのか?」
 という疑問が残るわけだった。

                 不倫の果て

 事件は被害者が、
「不倫をしている」
 ということから判明したものといってもいいが、実際には、
「警察も、関係者も、まだそこまで分かっていなかった」
 しかし、
「奥さんは女の勘というものから、なんとなく、浮気が絡んでいるのではないだろうか?」
 ということに気づいているようだった。
 その奥さんにとって、
「警察の捜査が、そのうち、不倫に行きつく」
 ということが分かっているので、犯人にとって、
「もし、それが計画の中にあったのだとすれば、自分は事件に巻き込まれたことになるのではないか?」
 と考えたのだ。
 確かに、事件に巻き込まれたということであれば、
「用心に用心を越しておくに越したことはない」
 といえるだろう。
 警察が、自分たちを守ってくれるわけではないということは、誰よりも分かっているつもりだった。
 奥さんには、過去に、
「警察を当てにして、ひどい目にあった」
 という記憶があったからだ。
 あれは、まだ結婚前で、大学を卒業してから、一人暮らしを始めて、3年目くらいだっただろうか。
 会社の仕事にも慣れてきて。
「そのおかげで、一人暮らしも、楽しくなってきた」
 そもそも、あまり部屋の掃除をしたり、こぎれいにするということは嫌いな方だったので、
「マンションの決まり」
 ということに関しては、結構真面目に守っていた。
「決められたことさえ守っていれば、余計な問題が起こるということはない」
 と考えていたからで、特に、
「ごみの分別」
 であったり、
「半期に一度の、クリーンでー」
 というべき、
「町内会の掃除」
 というものにも毎回参加していた。
 参加しなくても、
「罰金を払えばいい」
 ということになるのだろうが、それでは、
「罰金さえ払えば、出なくてもいいのか?」
 ということで、罰金制というものには、賛否両論あったが、奥さんは、
「罰金制は悪いことではない」
 とも思っていた。
 というのも、
「やりたくない連中が出てきても、邪魔になるだけだ」
 と、自分も同じ穴のムジナだと思っているくせに、実際には、
「罰金制反対」
 という立場だったのだ。
 それを考えると、
「どこか理不尽ではあるが、逆も正なりという言葉もあるではないか?」
 と考えていた。
 だから、彼女は、
「できることであれば、従う」
 という、
「臨機応変制」
 というものを考えていたのであった。
 そんな始めての一人暮らしというものに、充実感を感じ始めてくると、
「これが、自分の充実感なんだ」
 と思っていたが、それをまるで見透かしているかのように、まわりの奥さんがいろいろといってきたのだ。
「私たちのグループに入らない?」
 というような誘いだった。
 奥さんとすれば、実は、それが嫌だったのだ。
 というのも、
「奥さん同士の結束というものが、一番当てにならない」
 と思っていたからで、
「仲間内という意識を持っていると、お互いに、信用できなくなった時、タイミングが合わない時、どうしていいのか分からずに、問題が大きくなる」
 と考えていたのだ。
 というのも、その時、
「浮気というのは、決して許されることではない」
 というような、
「勧善懲悪」
 だと思っていた。
 だが、勧善懲悪のような顔をして、近所の奥さんが、自分を誘い込む、自分たちの団体というものが、いかに、
「欺瞞に満ちた団体だ」
 ということだと分かると、
「普段の会話」
 というものであっても、その先にあるものは、
「自分というものを、いかに着飾って見せるか?」
 というものであると考えると、
「これほど厄介なものはない」
 と思うのだった。
 確かに、
「恰好のいいことを言っていても、しょせんは、言い訳というものを、先にしている」
 というもので、本来であれば、
「転ばぬ先の杖」
 というものであれば、それでいいということなのだろうが、実際には、
「言い訳でしかない」
 ということなのだ。
 だから、その人達は、当然のごとく、
「勧善懲悪」
 というのが合言葉のようで、その考え方を超越しようと考えると、今度は、すべての言葉が、
「欺瞞に満ちた言葉」
 に聞こえてくるのである。
 それは、
「自分が天邪鬼だからではないか?」
 と奥さんは考えていたようだ。
「天邪鬼」
 というのは、
「人と同じでは嫌だ」
 ということであり、そこには、
「善悪」
 という考えは二の次というものであった。
 いわゆる、
「耽美主義」
 と呼ばれるものと同じで、
「道徳や理念というものなどよりも、美というものが優先する」
 というのが、
「耽美主義」
 と言われるものであった。
 だから、
「勧善懲悪」
 というものではありえないわけであるが、逆に、
「耽美主義者にとっての勧善懲悪」
 というものが、
「耽美主義だ」
 と考えると、
「耽美主義というのは、勧善懲悪というものを凌駕したものだ」
 といえるのではないだろうか?
 それは、まるで、
「マトリョシカ人形」
 であったり、
「合わせ鏡」
 と言われるもののような気がして、それが、
「限りなくゼロに近い」
 というものを形成していると考えるようになったのだ。
「マトリョシカ人形」
 というのは、ロシアの民芸品の一種で、
「人形が蓋になっていて、その蓋を開くと、その中からまた人形が出てくる。そして、その人形を開けると、中にはまた人形が……」
 というような仕掛けのものである。
「合わせ鏡」
 というのは、
「自分の左右、あるいは前後に鏡を置いて、そこに映っていく、無数の自分の姿」
 というものをいうのだ。
 どちらも、
「どんどん小さくなってくるというもので、その奥には、絶対にゼロになることのないもの」
 というものがあり、それが、
「無限」
 というものへとつながっているという発想であった。
 そんな、
「小さくはなるが、絶対にゼロにならないための、無限なのか?」
 あるいは
「無限を証明するために、ゼロにならないことなのか、同じ観点ではあるが、近づいているつもりでも遠ざかっているということであれば、
「不倫というものは、何かを自分の中で証明するために、するのではないだろうか?」
 と考える人もいるという。
 確かに、
「不倫というものは悪いことだ」
 と言われているが、本当にそうだろうか?
 これは言い訳にしかならないのかも知れないが、
「配偶者のいいところを見つけるために、他の異性を意識する」
 というと、
「言い訳だ」
 と言われるだろう。
 しかし、男性の中には、それくらいに奥さんがなってくれないと、自信が持てないという人もいる。
「不倫や浮気を奥さんがしないのは、自分を好きだという感覚があるからではなく、そもそも、男性というものを知らない」
作品名:真実と事実の絡み 作家名:森本晃次