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真実と事実の絡み

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 という考え方で、この場合の、
「力の均衡」
 というものは、
「抑止力」
 というものにかかわってくるといえるだろう。
「ヘビは、カエルと食べてしまうと、カエルが、ナメクジににらみを利かせていることで、ナメクジが自分を襲ってこないということから、
「カエルというものは、自分の餌であると同時に、ナメクジという天敵への抑止になっている」
 ということだ。
 だから、自分がカエルを襲いに行ってしまうと、抑止というタガが外れたナメクジが、自分に襲い掛かってくるということになる。
 つまり、
「動いてしまうと負け」
 ということで、
「静の状態の力の均衡だ」
 と言ってもいいだろう。
 三つ巴の場合は、
「動かないと、力の均衡が保てない」
 ともいえることで、
「動の状態による力の均衡」
 と言ってもいいかも知れない。
 今回の場合、それぞれ3人が、
「三人が三人とも、その度合いは違うが、考えていることは、同じところにたどり着いている」
 ということで、それぞれ、
「死体がある」
 ということは分かっていたが、
「それが人間の死体である」
 ということに、警察が発見するまでは、それぞれに、疑心暗鬼でありながら、最終的にはたどり着いた。
 それが、
「三つ巴」
 ということでの結論なのか、
「三すくみ」
 ということでの結論なのか、正直分かっていないようだった。
 というのも、
「奥さんとしては、それが人間の死体であってほしくない」
 という感覚は、
「いくら昼間、パートに出かけることで、いないことが多いと言っても、旦那であったり、管理人たちに比べれば、一番多く、事件のあった部屋にかかわっていると言っておいいだろう」
 ということは、
「警察に疑われる可能性も皆無ではないが、それよりも、何度も同じことを聴かれ、時間を割かれることで、痛くもない腹を探られる」
 ということになる。
 今は別に、奥さん仲間に入っているわけではないし、
「近所づきあい」
 というのも頻繁ということではないので、まわりの人からみれば、
「あの人がやったのかしら?」
 と言われても、自分がどんな人間なのかということを知られているわけではないので、余計に、まわりからいろいろ言われることになるだろう。
 さらに、もっと言えば、
「近所づきあいをしていたとすれば、今度は、警察から根掘り葉掘り、奥さんのことを聴かれたとして、その時に、何も知らないのをいいことに、いかにも犯人だとでも言われてしまうと、立場がなくなってしまう」
 というものだ。
 人間、
「どこで誰に恨みを買っているか分からない」
 ということで、だから彼女は、
「近所づきあいをしない」
 のであった。
 それが、
「功を奏する」
 というのか、それとも、
「災いとなる」
 というのか分からない。
 それこそ、まるで、
「三すくみ」
 と、
「三つ巴」
 のそれぞれの関係性に対しての、言われ方のようではないだろうか?
 そう考えると、
「この三人の中で一番立場的に難しいのは、奥さんなのではないか?」
 と考えられる。
 そして、次に問題になるのは、
「管理人」
 であろうか?
 管理人は、今回、
「管理人ということで、カギを持っていることと、責任者という手前、呼び出されることになったわけだが、そもそも、責任者ということで、最初からこの事件から逃れられない」
 と言ってもいいだろう。
 しかも、
「責任者として、こういう場合はどう対応すればいいか?」
 あるいは、
「どう対応しなければいけないのか?」
 ということも分かっているというもので、ただ、最近の管理人が、そこまで意識して仕事をしているかということは疑問である。
 あくまでも、
「こういうことはまれであり、自分には関係がない」
 と思っている人も多いだろう。
「何かがあったとしても、窃盗や火事のようなもので、その時にはパニックになってしまうかも知れないが、警察から疑われたり、事件を曖昧にできない」
 ということで、
「いろいろ、警察とのかかわりを、最後までしなければいけない」
 ということになるだろう。
 しかも、
「冷静な目で見なければいかず、住民が不安に感じていれば、いろいろ話を聞いてあげたりしないといけない」
 それを思えば、一気に責任重大な位置に置かれることになるだろう。
 だから、彼はこの事件が、
「殺人事件だ」
 と分かった時、自分の中で、
「責任者としての覚悟」
 というものを、最初に考えたのだ。
 これは、奥さんよりも、大きなかかわりと言ってもよく、それこそ、
「社会的な立場」
 というものから逃げられないからだといえるだろう。
 奥さんの場合は、
「事件に直接関係がない」
 と分かれば、それ以上追及されることもない。
 あるとすれば、
「もし、何かを目撃していたり、犯人が判明し、その人の裁判における証人として、出廷させられるかも知れない」
 というくらいであった。
 彼女は、
「自分が犯人ではない」
 と自分で分かっているだけに、
「管理人ほど、この事件にかかわっていることはない」
 ということで、少し安心はしていた。
 旦那の方は、さらに、
「蚊帳の外」
 であった。
「第一発見者」
 という以外では、何も関係ない。だから、
「完全に他人事だ」
 と思っているのだった。
 それぞれに、度合いが違うということで、パターンとしては、
「三すくみの関係」
 ということであろうか、それを、三人がそれぞれに、
「抑止力」
 というものを感じているようで、それが、
「三すくみ」
 というものを形成しているということになるのではないだろうか?
 この事件でもう一つ大きな特徴があるのは、
「三人が三人とも、そこで死んでいる人間を知らない」
 ということだった。
 第一発見者となった、管理人と旦那は、直接死んでいるところを見たので、すぐに分かったが、奥さんの方は、少し落ち着いた状態で死体を見た。
 しかも、腐乱してはいるが、
「放置された状態ではない」
 ということから、かなり、発見された死体というのが、見た目、
「大きなショックを与えない」
 ということで、顔の確認もしっかりとできたことだろう。
 警察とすれば、
「被害者が誰なのか?」
 ということは判明していたが、発見に携わった三人に確認をしてもらったことではあるが、その後も、
「被害者が、貝塚である」
 ということはいわなかった。
 というのは、発見した二人も、あとから確認した奥さんも、その死体を見て。
「○○さん」
 とばかりに、名前を特定しなかったということで、わざと教えなかったのだ。
 というのは、
「三人の中の誰か、ひょっとすればすべての人が分かっていて、その上で黙っているのではないか?」
 と考えたからである。
 刑事としては、
「考えすぎ」
 と言われるかも知れないが、いくら第一発見者と言っても、うかつなことはいえないと思ったのだ。
 もし、相手が聞いてくれば、答えるだろう。
 なぜなら、相手が聞いてくるということは、
「知っていて隠す意思がないのではないか?」
 と考えるからであり、そう思うと、
「この三人は、本当に第一発見者に過ぎない」
作品名:真実と事実の絡み 作家名:森本晃次