念には念を
というのは、裁判所から出されたもので、それに逆らえば、それなりの処罰を受けるということで、
「抑止」
ということになるのかも知れないが、
そもそも、
「接近命令に従わない」
という人間は、
「精神的におかしい」
ということで、
「警察の目が光っていないと何をするか分からない」
ということであろう。
しかも、
「警察の目が光っていても、それを承知で、何とかしよう」
と思っているのだとすれば、それこそ何をするか分からない。
下手をすれば、
「相手を殺して、自分も自殺をする」
というところまで血迷っているのかも知れない。
そんな状態になって、実際に、
「すぐには駆け付けられない」
ということで、
「被害者が出てしまった」
ということになれば、世間は何というだろう。
「警察が見殺しにした」
ということになり、もっといえば、だからこそ、
「警察は、何かが起こらないと決して動かない」
ということになるのだ。
「そもそも警察が、警備体制を完璧にできていれば、こんな悲劇は起こらなかった」
といってもいいだろう。
しかし、結果としては、
「警備体制の問題」
ということに触れずに、
「犯人の凶悪さ」
ということを強く訴えることで、
「自分たちへの非難を避けて、警察の正当性を訴えよう」
ということの裏返しだということではないだろうか?
それを考えると、
「確かに、犯人がすべて悪いのだろうが、だからと言って、警察は何も悪くない」
などといえるわけはない。
「警察への追及を逃れる」
ということのためには、
「立っているものは親でも使え」
といわんばかりに、
「犯人も、自分たちの保身のために利用する」
ということになるのだろう。
「人一人の命は、地球よりも重い」
という人がいるが、警察の場合はそうではない。
「一人の命を助けようとすると、それ以外の命が危なくなる」
ということであれば、
「一人を救うか、一人を犠牲にしてでも、全員を救うか?」
ということを考えれば、
「私法というのは、公共の福祉が大切」
ということで、当然、
「全員の命を助ける」
ということになるだろう。
「多数決」
という意味での発想と同じことであり、それが、
「公共の福祉」
といってもいいだろう。
それは、刑法における、
「違法性の阻却」
ということに似ている。
刑法の場合では、
「正当防衛」
というものと、
「緊急避難」
というものが、その二つの間に考えられるということである。
「正当防衛」
というのは、
「相手を殺さなければ、自分がやられていた」
ということでの正当性だということで、
「1:1」
の場合である、
これは、理屈としては分かりやすい。相手は、
「自業自得だ」
ということになるからだ。
しかし、
「緊急避難」
というのは少し違う。
「大型客船が沈んだ場合など、救命ボートに流れ着いたひとが、定員以上の人が、船に乗ろうとした時、もし載せれば、皆海に沈んでしまう」
ということになった場合である。
もし、乗ってきた人を助ければ、全員が死ぬということであれば、この場合こそ、
「一人を助けるか、その人以外のボートの人を救うか?」
という問題である。
法律では、
「この場合は、全員を助けるために、一人をも殺しにしたり、あわやくば、船に乗ろうとしたのを妨害したとしても、罪には問われない」
ということである。
これは、普通に考えれば当たり前のことであるが、身内の人であったり、近親者であったりすれば、それはたまらないことになるだろう。
「お前たちのために、自分の身内が」
ということで。実際に生き残った人が、
「そんなことがなかった」
とでもいうように、幸せに暮らしていれば、
「逆恨み」
ということもないとは限らないだろう。
それを思うと、
「人の命というのは、何なんだ?」
と考えてしまうということだ。
公園に泊まっていた車の中に死体があるということに気づいた掃除スタッフは、急いで警察に連絡した。
「何かあったら、まず警察」
ということは、最初から言われていたので、当然のごとく軽擦に電話した。
その人が警察に連絡するのは初めてのことで、
「まさか、連絡する最初が、殺人事件だなんて」
と、完全に取り乱していたのだった。
目撃者
もっとも、それも無理もないことで、いくら、
「何かあったら、警察に」
といわれてはいたが、
「少々のことでは、見て見ぬふり」
と感じていたのだ。
「煩わしいことは嫌い」
というのが共通下意見であり、それは、従業員だけではなく、公園の運営会社としても、
「なるべく波風を立てたくない」
というのは当たり前のことであった。
つまり、
「警察とは立場が違う」
ということだ。
確かに、公園の運営をしているわけだから、
「治安を守るのは当たり前」
と考えているわけだが、実際には、警察というものがあるわけなので、そこまで深く入り込む必要はないということだ。
逆に、何か起これば、
「ややこしいことに巻き込まれた」
といってよく、
「事件などないに越したことはない」
ということである。
しかし、事件は起こってしまった。
警察に連絡をして、まもなくやってくるだろう。
運営会社にも連絡を入れ、警察へ通報した旨をいうと、
「後は、警察の指示に従ってください」
という指示を受けただけだった。
そうこうしているうちに、警察がやってきた。刑事が鑑識を連れて、ものものしい事態である。
パトランプとサイレンが物々しく、完全に、一日の始まりである早朝の、厳かな雰囲気は台無しということであった。
パトカーが数台やってきていて、無言のうちに、形式的に見えるほど、事件現場というものが出来上がっていく。
規制線が敷かれ、
「いかにも、殺害現場と化していた」
といっていいだろう。
最初は、無線から聞こえる機械音のような声と、ざわざわと喧騒とした雰囲気が、当たりを包んでいたが、その中で、鑑識の捜査は、実にテキパキと動いているように見えたのだ。
その様子を見ながら、二人の刑事が、
「これは、自殺ですかね?」
ということであったが、
「うん、何とも言えないかも知れないが、見たところ、これと言った外傷もなければ、争った跡もない。自殺だとすれば、服毒自殺なのだろうが、見ていると、苦しんだ後というのも、見当たらない」
という。
要するに、
「鑑識に委ねるしかない」
ということであろう。
鑑識がいろいろ調べていると、
「これは、殺人ですね。首を絞められた痕がありますね」
ということであった。
そもそも、その死体が見つかったのは、車の運転席に、もたれるようにして座っていたことで、ハッキリとは分からなかった、
頭を下げていたし、刑事としては、
「服毒自殺」
だということに、思い込みを持っていたことで、首筋も見たのだが、その時は光の関係か、
「絞殺された痕」
というのが分からなかったのだ。
鑑識がある程度調べ、