念には念を
というものであり、しかも、
「法律改正」
ということで、抑止力が強くなってきたにも関わらず、
「何も変わっていない」
と思えたり、
「どんどん悪質になってきている」
と感じるのは、あくまでも、
「数字というものに出てこない何かがある」
といってもいいのではないだろうか?
「昔からの探偵小説」
であったり、それ以降の、
「ミステリー小説」
といわれるものが、ドラマ化されたりしたことでの、
「二時間サスペンスドラマ」
というものが、流行った時期もあった。
昭和の頃であれば、1時間ものの、
「刑事ドラマ」
というのがあったが、平成に入っての、
「二時間サスペンス」
というものは、少しその様相が変わってきたといってもいいだろう。
昭和の刑事ドラマというと、
「どこかの警察署の刑事課というものにスポットを浴びせ、毎回刑事の一人が主人公として、入れ替わりに事件を解決する」
というものが多かった。
その場合は、どちらかというと、
「ヒューマンドラマ」
という様相を呈していて、
「社会的な立場」
であったり、
「家族や社会とのかかわり」
などというものを中心に描いている。
それに比べ、
「二時間サスペンス」
というのは、
「主人公は、刑事とは限らない」
ということだ。
探偵が主人公なのだが、それも、
「探偵という職業というわけではなく、ルポライターや、弁護士、果ては、温泉女将などと、推理に関係ないと思われる人が事件を解決する」
ということでの、話が多い。
それが、
「刑事というものを信用できないことで、架空のヒーローを作り上げる」
ということに、面白さを見出すということで、それだけ、
「勧善懲悪」
という考えを生み出すという発想になるのだろう。
それが、警察というものに対して、当てにならないという発想であったり、
「縦割りや、横のつながりが、融通の利かない警察に、うんざりしている」
と考えるのだろう。
その証拠に、世紀末に掛けて、
「トレンディドラマ」
というものが流行った時代があり、その時代にも、
「刑事ドラマ」
というものが相変わらずあったのだが、それは、
「昭和の時代の刑事ドラマ」
とも、
「二時間サスペンス」
というものとも違っているのだ。
二時間サスペンスというものは、ドラマの中で、うまく旅に出る演出をしたりして旅先を宣伝するということで、
「経済を活性化させよう」
という意図が働いていた、
それは今の時代の、アニメやドラマなどによくみられる、
「グルメや旅をテーマにした」
という話に繋がっていくといってもいいだろう。
世紀末の刑事ドラマというのは、これはまた斬新なものであり、特に、
「階級社会としての縦割り」
であったり、
「縄張り意識という横の連携」
というものが、警察の、
「融通が利かない」
ということをテーマにしたもので、初めて見た時には、ほとんどの人が、
「ここまでやっていいのか?」
と、目を疑う気持ちになったかも知れない。
実際に、
「放送局に、警察などから抗議があったかも知れない」
という話は聞いたことはなかったが、あったとしても、それはそれで、
「無理のないこと」
といえるかも知れない。
それだけ、
「昭和から、平成。そして今の時代」
という間に、
「ミステリードラマ」
というのは、大きく変わってきたといってもいいだろう。
特に、今の時代では、昔のたいてい小説時代にあった、
「トリック」
であったり、
「謎解きの醍醐味」
などというのは薄れてきているといってもいい。
昔は、トリックにもパターンがあり、その中に法則めいたものがあったことから、そのバリエーションで、いろいろなパターンの話を作ることができたが、最近では、
「科学捜査の発展」
ということから、
「昔のトリック」
というものは成立しないという時代になってきた。
特に、
「顔のない死体のトリック」
というものは、
「死体が誰か分からない」
ということでの、トリックや謎解きに大いなる醍醐味があったものだが、今の時代では、
「いくら顔を潰したり、特徴のある部分を切り取ったりしても、DNA鑑定をすれば、すぐに分かる」
ということで、それこそ、
「白骨になっても同じ」
ということであった。
昔であれば、
「殺人の時効は15年」
ということであったが、今は、その時効制度は、
「殺人などの凶悪犯」
では撤廃されているということからも、
「完全犯罪はさらにありえなくなった」
といえるだろう。
そもそも、
「小説などではあるかも知れないが、実際にはありえない」
といわれる、
「交換殺人」
というものも、
「時効がない」
ということで、結局は、
「あり得ない」
ということになるのであろう。
それが、今の時代の、
「犯罪への抑止力」
となるべきなのだが、
「本当に抑止になっているのか?」
と考えれば、
「先人の、科学捜査の先駆者の人たちの努力が何だったのか?」
ということになるわけで、ただ、それでも、犯罪が起きてからの、検挙率が少しでも増えているのであれば、
「努力は決して無駄ではない」
ということだ。
ただ、
「検挙率」
というものだけを宣伝するという片手落ちの考え方が、もし存在するのであれば、
「警察の将来」
というのも、
「当てにならない」
といってもいいかも知れない。
「社会問題で法律を変えるだけで、抑止になる」
という考えがいい加減、怪しいということを早く気づいてほしいということである。
その日は、ずっと暖かくなってきたのに、まるで春先くらいの早朝のような寒さに逆戻りしていた。
夜露の影響か、車の窓ガラスは、水滴で濡れていた。そのおかげで前を見ることはできず、それでも、朝5時過ぎというくらいであれば、少し明るくなってきていた。
花見の時期も終わり、そろそろゴールデンウイークという時期で、世の中は、少し浮かれている時期くらいだったかも知れない。
朝の公園というと、派遣なのか、掃除のアルバイトの人が結構いる。
年齢的には、比較的高齢者が多く、
「シルバー人材センター」
あたりから、派遣されてきているという人も多いようだ。
ある時期、つまりは、
「世界的なパンデミック」
ということで、
「人流を抑える」
という時期は、
「公園の早朝の掃除」
というのもなかった時期が多く、ここ2年前くらいに復活していたのだ。
その前の2年ほどは、早朝の掃除を見ることもなく、
「きっと、管理人のような人が、ちょこちょこやっている」
という程度なのではないか?
ということであったのだ。
そんな時期の早朝で、掃除のアルバイトをしていると、特に駐車場では、
「気を遣う」
ということも多かったりする。
「車の中に人がいるかもしれない」
ということは、分かっていることではあったが、
「カップルがいると、なんとなくやりにくいな」
といっている人がいて、
「まあ、そりゃあそうだ」
ということで、納得しているという人もいる。
だが、それは、