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念には念を

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 ということで、再度確認されただけということであった。
「詳しいことは結果待ち」
 という、分かり切っていたことだったのだ。
 しかし、その発表の中で、秋元刑事が、今度は少し気になったこととして、
「今回の事件で、私が気になったことを言ってもいいですか?」
 と、また前置きを置いたので、桜井警部補は、また前のめりになり、
「どういうことですか?」
 と聞いてみた。
「私が気になったのは、毒を飲んでいるところで、再度首を絞められているということなんですよ」
 という。
「念には念を入れたのでは?」
 というと、
「いえいえ、念には念を入れるということが、毒殺であるのかなと思いましてね。何かで殴った後に首を絞めたというようなことはたまにありますよね。その場合は、本人が自分で両方やった場合もあれば、事後共犯という形おあるということですね。だけど、毒殺であれば、死に切れるかどうかは、毒の回り方なので、何も首を絞める必要はないと思うんです。これが、睡眠薬ということであれば分かるんですよ、相手の動きを封じるということですね。でも、毒薬というのは、睡眠薬とは違い、そう簡単に手に入れることのできないものであるわけで、それをわざわざ用意しての犯罪計画なのだから、首を絞める必要はないわけですよね? そんなことをすれば、ボロが出るかも知れないと普通であれば考えるからです。しかも、犯人が複数で、事後共犯などがあったとすれば、その二人は計画性がまったくないというわけで、おかしなことになりませんかね?」
「なるほど、もし、君がいうように事後共犯がいるとすれば、毒で苦しんでいるところに。とどめをさすようなことはしないだろうし、犯人も、念には念を入れるということはないだろうというわけだね?」
 と桜井警部補がいうと、
「ええ、そうです、どうも、毒殺の痕の絞殺ということに、少し疑問を持つと、どうにも怪しいという気持ちが消えなくなったんですよ。これは私の悪い癖ですので、皆さんには申し訳ないと思うのですが」
 ということであった。
 それを聴いて、その場にいる人は、
「まさにその通りだ」
 と、考えた。
 特に、一番、
「その通りだ」
 と考えたのは、
「樋口刑事」
 であった。
 どちらかといえば、同僚でありながら、一番、
「ライバル視」
 しているということで、秋元刑事の話を聞かされ、
「しまった、この発想があったんだ」
 と、敬意を表すると同時に、
「自分の浅はかさ」
 というものが、先を越された発想から、悔しさを感じさせるのであった。
「なるほど、今から思えば、実際に諸相捜査で、何かの違和感を感じていたのを分かっていながら、そこにたどり着けなかった」
 ということで、悔しさがあった、
 しかし、逆に考えると、
「秋元刑事は、あくまでも、客観的に見ていた」
 ということで、
「今後、いかに事件を見ていくか?」
 ということを考えるうえで。
「自分は、秋元刑事のようにはなれない」
 という思いと、
「皆が皆秋元刑事では捜査が進まない」
 ということも分かっているので、結局、
「自分は自分の資質を表に出すことで、真実に近づく」
 ということになると思うのだった。
 それをまとめるのが、
「桜井警部補」
 であり、
「門倉本部長」
 ということであろう。
 捜査の中心にいる」
 ということを自覚しながら、
「自分もいずれは、桜井警部補の位置に」
 と思っていた。
 実際に、見ている限り、
「秋元刑事には、その立ち位置は難しいだろう」
 と思えることから、
「自分の進む道は決まっている」
 と感じながらも、秋元刑事に対して、
「何やら嫉妬心を抱いている」
 と感じさせられるのであった。
 この事件において、今の秋元刑事の意見というのは、正直、
「的を得ていた」
 と言ってもいいだろう。
 確かに、殺人において、
「念には念を入れる」
 ということはありがちであり、その状況を踏まえれば、刑事であれば、分かるというものなのかも知れないが、
「下手にやりすぎると、計画は思っていたことと違う方向に行ってしまう」
 ということを、
「刑事は理解している」
 と感じていた。
 しかも、そのことを、
「最近の犯人は分かっている人が多い」
 というもの分かっていることであった。
 もちろん、
「衝動的な犯罪」
 であったり、
「計画性のない犯罪」
 というものであれば、そんなことを気にする犯人はいないだろうが、
「犯人というものが、犯罪目的を完遂する」
 ということが第一目的だということであれば、確かに、
「念には念を入れる」
 ということは当たり前だろう。
 ただ、本当にそれだけではないはずだ。
 犯人としても、
「目的を完遂することができれば、次に考えることとして、自分がいかに逃れられるか?」
 ということを考えるはずで、それが、
「犯罪のそれぞれの段階で気持ちが変わってくる」
 とも考えられるということだ。
 確かに、最初は、動機というものが、
「怨恨」
 であったり、
「追い詰められて」
 ということであれば、
「相手を殺さないと、自分の未来はない」
 と思うことだろう。
 しかし、もっといえば、
「自分の未来を確かなものにするために、相手を殺す」
 ということになるのだ。
 だから、
「相手を殺しても、自分が捕まってしまうことで、明日がない」
 ということになれば、
「それが本末転倒だ」
 ということに、
「気づいたか、気づかないか?」
 ということになるのだ。
 それを考えると、
「念には念を入れる」
 ということで、犯罪の露呈リスクというものが、跳ね上がるということであれば、
「そんな危険を犯さない」
 といえるだろう。
 もっといえば、
「捕まる可能性があるくらいであれば、もう一度計画を練り直す」
 ということであってもいいわけで、もし、
「それはできない」
 ということであれば、考えられることとしては、
「犯人にとって時間がない」
 ということではないか?
 ということであった。
 つまり、
「犯人は、何かの病を抱えていて、自分の命が尽きるまでに、相手を殺す」
 ということで、その動機というのも絞られてくるというもので、
「金銭面」
 というものはありえないことであり、そうなると、ほぼ、
「怨恨」
 ということに絞られるのではないだろうか?
 さすがに、この時は、そこまでの発想はなかったが、
「秋元刑事の指摘」
 というのは、実に、
「的を得ている」
 ということであり、
「それが、事件の謎を解くカギになる」
 といえるのではないかということは、この場にいた人は、予感として持っていたのであった。
 そして、
「今回の事件は、意外と、早く解決するのではないか?」
 とも覆えた。
 ただ、それは、
「推理だけが先行する形」
 ということになるが、それも、
「裏付けがなかなか取れないことがある」
 ということでの、
「起訴に至るまでの経緯」
 ということでは時間が掛かるが、
「真相に近いところまで行くのに、そんなには時間が掛からない」
 と感じたのは、
「今度の事件が、思ったよりも、辻褄が合っている」
作品名:念には念を 作家名:森本晃次