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表裏別離殺人事件

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「共犯者」
 というものがいたりすると、その場合は、
「犯罪に対する気持ちの温度差というものがあると、今の犯罪計画遂行に対しての優先順位が変わってくる:
 といえるだろう。
 主犯であれば、
「何があっても、相手にとどめを刺すことができなければ、実行する意味はない」
 ということになるだろう。
 しかし、これが共犯で、その共犯としても、例えば、
「犯人から何か弱みを握られていて、強制的に犯罪に協力させられるということがある」
 つまりは、
「共犯者にとっては、今回の事件に対して、被害者に対して、何の恨みもない」
 ということになる。
「だから、むしろ、共犯者は、被害者の家族に協力的」
 といえるだろう。
 だから、
「犯人にとって、決して有利というわけではない。逆に、余計な爆弾を背負った形になるのだ」
 といってもいいだろう。
 だから、
「共犯者が多いと、捕まるリスクが高まる」
 といわれているのだ。
 よほど、
「絶対に逆らえない」
 という人で、しかも、
「冷静沈着に犯行を遂行できる」
 という人間ではないといけないということだ。
「脅迫によるもの」
 という強引なものであれば、失敗のリスクは大きいというものであろう。
 そして、もう一つの考え方として、
「策を弄すれば弄するほど、頭のいい捜査員に見破られる危険性がある」
 といってもいいだろう。
 昔から、
「探偵小説」
 といわれた時代から、
「本格派探偵小説」
 というものの定義として、
「頭が聡明な探偵が、鮮やかに犯人が考えたトリックを解明し、謎解きを行う」
 というものがある。
 つまり、
「そんな昔から、トリックや犯罪においての謎というもののパターンは、知り尽くされている」
 といってもいいだろう。
 しかも、今の時代は、昔と違って、
「犯罪をやりにくい時代にした」
 といってもいいだろう。
 それは、
「警察の捜査が、優秀だ」
 ということもないとは言えないが、それよりも、
「科学の発展により、今では通用しなくなったトリックが増えた」
 ということである。
 特に、
「死体損壊トリック」
 つまりは、
「顔のない死体のトリック」
 のように、
「顔をめちゃくちゃにしたり、首なし死体にしたり」
 ということで、さらに、
「手首を切断したり」
 あるいは、
「特徴のある部分を、故意に傷つけたり」
 ということで、身元を分からないようにできたのだが、今では、
「DNA鑑定」
 などというものから、死体が、たとえ、数十年前に殺害され、白骨化したものということであっても、簡単に判明するということで、
 昔から言われていた、
「顔のない死体のトリック」
 ということで、
「被害者と加害者が入れ替わる」
 という、
「探偵小説の公式」
 というものが、今は使えなくなっているのだ。
 もっとも、これだけ探偵小説で定着すれば、さすがに犯人も、同じ手口をいつまでも使うということもしないだろう。
 だから、さすがに、サスペンスであっても、昔のトリックをそのまま使ったりということはしないだろう。
 そもそも、探偵小説というものは、昔から、
「戒律」
 といわれるものがあった。
「ノックスの十戒」
 であったり、
「バンダインの二十則」
 といわれるものであったりする。
 それが、
「最後まで犯人を表に出さない」
 ということであったり、
「密室殺人」
 というものに、秘密の抜け穴というものを複数作ったり、あるいは、
「探偵が犯人だ」
 などという奇抜なものは、
「反則だ」
 といわれたりもした。
 しかし、それを分かったうえで、わざとその、
「戒律を破る」
 という手法もあったりする。
「探偵が犯人である」
 ということが戒律と分かっていて、わざと、それを使う人もいる。
 分かっていて書くのだから、それだけ、
「叙述というものに自信がある」
 ということで、それこそ、
「作者と読者の戦い」
 といってもいいだろう、
 それこそ、
「犯人である作者と、探偵や警察である読者との間のバトル」
 といってもいいのだはないだろうか?
 つまり、
「作者の、読者を欺く」
 ということがいかに功を奏するかということで、
「作者という犯人が立てた計画を、いかに探偵である読者が見破るか?」
 ということで、
「叙述というトリック」
 が、大いに力を発揮するということになるだろう。
 戒律というものが、
「いかに、事件を解決するのに、その材料になるか?」
 ということで、
「作者には不利だが、読者には有利」
 といってもいいかも知れない。
 中には、
「読者への挑戦」
 という書き方をする人もいるが、さすがに、
「作者に不利だ」
 ということになれば、作者側からの挑戦状を、そんなに簡単に示すことはできないだろう。
 ということであった。
 だから、犯人にとって、
「いかに、警察を欺こうか?」
 ということを考えたとすれば、
「いくらでも策を弄する」
 ということで、
「策はいくらあっても、足りるということはない」
 と思うのだ。
 これは、探偵側が、
「犯人の気持ちになって考えることができる」
 というからである。
「何といっても、主導権は犯人側にあり、犯人側が計画した通りにまずは展開するのだ」。
 ということが当たり前ということであり、逆にいえば、
「いくら犯人側に主導権があるといっても、犯人側が、簡単に警察の身になって考えるということは難しいだろう」
 ということである。
 犯罪計画を立てると、そこに、動機から、相手に対しての恨みの程度などから、犯人側の計画が青写真のように見えてくるということもあるだろう。
 しかし、犯人側は、
「警察が、どのような証拠であったり、証人を揃えるか?」
 ということを前もって分かるということはない。
「策を弄する」
 という意味で、
「警察を欺くということでの、証人のでっちあげ」
 であったり、
「犯行をカモフラージュ」
 などということをしたとしても、結局は、
「策を弄した」
 ということに変わりなく、一歩間違えれば、その考えが警察に看破されるということになりかねないであろう。
 しかも、犯罪において、
「自分たちが考えついて、相手を騙すようなことは、自分が同じことをされるということに気づかないものである」
 ということになるだろう。
 特に、
「犯人が、最後に警察や、探偵が犯人に一杯食わせようとする時、犯人側が、まさか自分たちの計画が見破られ散るわけはない」
 という思いがあったとすれば、警察とすれば、
「相手と同じことをすることで、相手を屈辱的に欺くことはできる」
 ということで、
「犯人側に、自白をさせる」
 ということであったり、
「犯人側のやる気を挫く」
 ということで、事件を、
「一気に解決に導く」
 ということもありだということであろう。
 さらに考えられることとして、
「木を隠すには、森の中」
 という言葉があるが、それも犯罪に使ったりということもある。
 逆に、
「森を隠すには木の中」
 というような、
「逆転の発想をめぐらす場合」
 というのがあるが、それは、
作品名:表裏別離殺人事件 作家名:森本晃次