時代に曖昧な必要悪
ただ、この場合は、帰省ラッシュにだけいえるわけではなく、
「大型商業施設の開業時」
ということも同じだということなのだ。
それを冷静に分かっている人は、
「いくら車を持っていたとしても、公共交通機関を使う」
ということになるだろう。
そうなると、
「車がないから、購入できるものは限られてくる」
ということだ。
逆にいえば、
「こんなに混むのが分かっていても、皆車で来る」
というのは、
「買い物をするからだ」
ということに相違ない。
何といっても、
「商業施設に来るのだから。目的は買い物」
ということになるだろう。
しかも、バーゲンでの大安売りなのだ。大量に購入するから意味がある。
例えば、100円のものが、半額の50円になったからといって、それを一個だけ買いに来るということは絶対にしない。
「こんな目に遭っても」
ということである。
大量に購入するだけ、安くなる」
ということで、日持ちの関係もあるが、買えるものをたくさん買わなければ、北意味はないということであろう。
商業施設ということで、
「買い物以外の、レジャーセンターとして遊びに来る」
ということであれば、公共の交通機関でいいはずだ。
それだけで満足だということであれば、そんな人は、一人で来ることだろう。
昔であれば、
「家族全員が出かけるということであれば、半分強制的に、全員がいく」
ということもあっただろう。
「父親の威厳」
というものが働いて、嫌でもいかないといけないということになる。
そんな場合、
「誰が嬉しい」
というのだろう。
父親は、自分の威厳を示すため、あるいは、家族の団結とでも感じてなのか、昭和の高度成長くらいまでであれば、それもありだろうが、
「大型商業施設」
というものができ始めたのは、すでに、
「高度成長が終わってから」
ということであった。
元々、
「都心部の高い家賃に経費が掛けられない」
あるいは、
「インフラの整備で、道路や鉄道網が整備されてきた」
あるいは、
「ドーナツ化現象で、ベッドタウンが充実してきた」
さらには、
「高速のインター近くに物流センター、工場などが移転し、物流コストがかからない」
などという理由からの郊外型の進出であった。
高度成長時代に陰りが見えてきて、しかも、次第に都会では土地の値段がどんどん上がる。
これは、
「バブル経済への布石」
ということであったが、土地の値段が上がってしまえば、都心部ではやっていけない。
それが、時代の流れということであり、そのため、
「家父長制度の崩壊」
というものが、逆に、
「郊外型商業施設の発展」
というものを生み出したという、
「皮肉なことになっていた」
といってもいいだろう。
家の近くは、昔でいう、
「新興住宅街」
であった、
そもそも、
「大型商業施設を誘致した」
ということで、
「あの辺りは住宅街に生まれ変わる」
といわれたのが、今から30年くらい前だった。
それまでは、
「ただの小高い山」
というイメージしかなく、近くを高速のインターはあったが、それはあくまでも、
「都会のど真ん中に、高速道路を通すわけにもいかない」
ということで、しかも、
「高速道路の近くには、物流センターを誘致する」
という同時進行の計画から、高速のインターができたのだ。
だから、高速近くには、たくさんの工場や物流センターがあった。
「食品の工場や物流センターはもちろん、有名家電メーカーなどがたくさんあり。都心部へも便利がいいし、さらに、高速で、他都道府県にも、交通の便がいい」
ということであった。
柏木里との家は、その住宅街にあった。
今は30歳になった彼女は、
「ちょうど生まれた頃に、この辺りが、新興住宅街に生まれ変わるとことだったので、正直、記憶にあるわけではなかった」
だが、彼女の家族が、都心の近くから、この辺りに土地を買って引っ越してきたのは、彼女が、小学生に上がったくらいの頃だった。
その頃になると、街は十分に、
「住宅街」
として発展していた。
今は結婚している彼女であったが、結婚相手は、中学の頃から同じクラスで、高校卒業まで一緒だったのだが、さすがに、大学は別々ということになり、彼は、地元の大学に進学し、彼女は、東京の大学に入学することになった。
そもそも、高校時代に付き合っていた二人は、
「大学を卒業して、お互いに気持ちが変わらなければ、結婚したいな」
と彼が言ったので、
「そうしよう」
といって、大学生活を別々に送った。
聡子が帰ってくると、彼は待っていてくれて、
「まだ、気持ちは変わっていない」
という。
聡子も、その気持ちに変わりはなかったが、しかし、
「都会の生活が、思ったよりも自分を変えた」
と考える聡子は、彼のように、
「一刀両断の決断」
というわけにはいかなかった。
「ちょっと待って、さすがにすぐに結婚というのは」
といって、彼をなだめた。
というのは、
「昔に比べて、離婚率が爆発的に高い」
ということと、
「少子高齢化」
ということを真剣に考え、
「子供を作っても、ちゃんと育てられるか?」
ということもあったのだ。
一番の問題は、
「保育園問題」
もちろん、家計の問題も大きいが、果たしてうまくいくのかということが気になったのだ。
そして、結婚した場合に、住む家などのことを考えると、簡単に、
「じゃあ、結婚しよう」
というわけにはいかないのだった。
「今の時代は、好いたはれたの時代ではない」
といえるだろう。
「好きだから結婚する」
というのは、考えてみれば、
「一時期の幻」
だったのかも知れない。
昔であれば、
「家を守るため」
あるいは、
「子々孫々の繁栄」
ということで、結局は、
「家」
という問題で、結婚が決まっていた時代があった。
だから、
「恋愛結婚などといわれるものが出てきてから、平成になって、簡単に離婚する」
という、
「成田離婚」
などという時代になるまで、どれくらいの期間があっただろうか?
それこそ、30年もなかったかも知れない。
しかも、昔は、戦争によって、労働人口の不足という問題から、
「産めや育てよ」
という時代だったことを思えば、そのうちに、人口問題というものから、
「あまり人口が増えすぎるのも」
ということになったのだが、今度は、それを制限してしまうと、今の、
「少子高齢化問題」
ということになるのであった。
だから、
「政策というのは、やりすぎてもまずい」
ということで、
「過ぎたるは及ばざるがごとし」
といってもいいだろう。
しかも、恋愛結婚という自由が蔓延したことで、我慢をするという風潮がなくなったことから、もちろん、それだけが理由ではないのだろうが、
「離婚率の増大」
ということから、
「新婚旅行から帰ってきて、いきなり、離婚届を提出する」
という、
「成田離婚」
というものが増えてきたのだ。
考えてみれば、確かに合理的ではある。
「子供ができてからでは、離婚するのも難しい」
ということになれば、