時代に曖昧な必要悪
などというのが、その特効薬というものであろう。
今回の、
「世界的なパンデミック」
というものにおける特効薬は、経口薬ということで、
「飲み薬」
というものだったのだ。
薬というものにも、
「ワクチン」
であったり、
「特効薬」
などとその種類によって、効果も、接種方法も違ったりしている。
どちらにしても、今回のワクチンにしても、
「いわれていたほどの大パニック」
ということにはならなかったが、それなりに、大きな問題を社会に投げかけたはずである。
そういう意味で、
「薬害問題」
などというものは、シビアな問題であるということもあり、特に、
「精神疾患」
という問題は、最近増えてきたり、さらには、多様化もしているということから、その問題も大きくなっているといってもいいだろう。
実際に、
「精神疾患だったかどうか分からない」
というのは、
「もう、聡子という女性が、どんな病気だったのか?」
ということを調べることができないということであった。
それが、どういうことを示しているのかというと、それは、
「聡子が、すでに、この世のものではない」
ということを示しているのであった。
聡子の死
聡子は、パートが終われば、いつもまっすぐに家に帰ることが多かった。
パートは毎日行っているわけではなく、
「平日の週三回」
ということで、
「月水金」
の三日間の約6時間働いているということであった。
その間に不倫をするというのは、昼間の火曜日か、木曜日がほとんどで、
聡子は、家には、
「シフト制」
ということを話しているので、
「仕事が何曜日にあるのか?」
とはハッキリといっていない。
義理の親も、
「お義父さんが、世話になっている」
ということもあって、あまり余計なことはいわなかった。
聡子にはうしろめたさがないわけではないが、
「やることだけはやっている」
ということと、
「旦那は、自分で勝手なことをやっているのだから、私だって」
という思いから、そこまでのうしろめたさなど感じているわけではないのだった。
確かに、旦那の様子を見ていると、
「私が精神疾患になりそうなのに、誰も私のことを気にもしてくれない」
と思っていた。
両親に関しては、
「自分たちのことだけで大変だ」
ということは分かっているので、そんな両親に対しても、余計に腹が立つのは、新吉に対してのことだった。
「そんなに好きなようにしたいんだったら、離婚すればいいのに」
と思ったが、それは自分も同じことで、
「どうして、自分から離婚を言い出そうとは思わないのか?」
とも思わせるのだ。
その一つには、
「自分を悲劇のヒロインに仕立てあげたい」
という気持ちがあるからなのかも知れない。
「離婚というものを考えるのであれば、もっと早めに考えていて、少なくとも、両親と同居ということはなかっただろう」
と思うのだ。
かといって、
「両親との同居が嫌だ」
ということではない。
確かに、ちょっと前までは、
「同居なんて、まっぽらごめんだわ」
と思っていた。
離婚というものを、どのように考えるかということを思えば、
「別に、嫌ではない」
と考えると、
「このまま結婚したままの状態で、それぞれに楽しむというのも悪くない」
と考えるようにもなったのだが、これは、自分の自尊心が許さない。
それは、
「夫に対しても、優位な考え方になるからだ」
それを思えば、プライドが許さないといってもいいだろう。
そもそも、
「プライドって何なんだ?」
ということである。
「自分も、夫も、W不倫ということで、お互いに、好きなようにしているのだから、
「ウインウインではないか?」
ということであるが、これは、
「最後までうまく行って」
ということであり、
「このまま、死ぬまでうまくいくということはありえない」
と考えると、
「もし、破局が来た時」
ということを考えると、
「どっちが、不利な状態になるだろう?」
と考えた時、未来のことなので、想定ができるわけもないということになるだろう。
そう考えると、
「何が優位なのか?」
ということになるというものだ。
結局、表に出た時、
「どっちが悪いか?」
ということが問題になるのだが、最後に、
「どっちも悪い」
という風になった時、
「自分は、蚊帳の外にいられるだろうか?」
ということである。
そんなことあるわけはなく、それこそ、
「喧嘩両成敗」
というごとく、
「どちらも悪い」
ということになるだろう。
確かに、
「旦那も悪い」
ということであれば、両成敗でもいいと割り切れる人もいるだろうが、果たして、
「聡子に、割り切るだけの気持ちがあるだろうか?」
ということになり、聡子には、割り切ることができないと思えば、
「喧嘩両成敗」
であっても、結局は、
「自分も負けたことになる」」
といえる。
それを考えると、
「最後に破局を迎える時、自分の正当性というのは、三分の一しかない」
ということになる。
それは、大きなリスクに違いないだろう。
聡子は、そんな中、ズルズルと不倫を続けてきた。
旦那に比べれば、まだまだ短い不倫期間であったが、長さは問題ではない。
「一度でも、足を突っ込んでしまうと、そこは、同じ穴のムジナということになるのではないだろうか?」
ということである。
しかも、聡子は、
「不倫の最中で死ぬ」
ということになってしまった。
病死でも自殺でもない。
「明らかに殺害された」
ということであった。
服毒ということであったが、
「どうして自殺ではない」
といえるのかというと、それは、死体を見た時の最初で分かったことだった。
というのは、彼女の顔は、誰なのか分からないほどに、めちゃくちゃに傷つけられている。
「野犬に食いちぎられたのか?」
といえなくもなかったが、鑑識が調べてみると、
「鋭利な刃物で故意に傷つけられています」
ということが歴然だったことだった。
だから、最初これを見た時、
「野犬に食いちぎられた?」
と考えたが、
そもそも、最近は、そんなに人の顔を食いちぎるような野犬が、街中を徘徊しているわけもない。
餌がないような時代でもないので、何も死体がもし、転がっていたとして、野犬が顔を食いちぎるということもおかしいだろう。
その証拠に、
「顔以外の場所はきれいなもので、食いちぎられているというあとはない」
ということであった。
昔の推理小説などであれば、
「死体損壊トリック」
つまりは、
「顔のない死体のトリック」
ということで、
「死体の身元を分からなくするため」
ということで行われるのだが、その場合は、
「特徴のある部分」
であったり、
「指紋のある手首」
も一緒に身元を判明できなくするというのが、当然のことだといえるだろう。
しかし、
「手首もあれば、顔以外を傷つけられたところもない」
今の時代であれば、
「死体損壊」