悪魔と正義のジレンマ
「この部屋は、掃除をするようになっていたんですか?」
と聞かれた方は、
「ええ、別にプレートはなかったからですね」
という。
「実は、お客様はまだチェックアウトをされていないのですが、本日のご予定の場所から、まだ来ていないと連絡がありましたので、お部屋に内線をしたんですが、お返事がないんですよ。それで心配になってきてみたんです」
ということであった。
「そうだったんですね。ただ、お客様の中には、プレートを貼り忘れている人や、中には、前の日に表で飲みすぎたか何かで、深夜戻ってきてから、爆睡してしまって、前後不覚という人もいるので、一概には言えないですがね」
と掃除スタッフはいうのだった。
このホテルの掃除は、ホテルが直接雇っているわけではなく、掃除の派遣会社から雇われている派遣社員ということだった。
直接雇用ということではないので、なかなかはっきりと何かを言えるわけではないが、そのせいもあって、逆に、会話がないとコミュニケーションが取れないということで、そのたりはうまく行っていたのであった。
だから、二人が話をしていることは、相手を説得しているつもりでも、相手はむしろ、最初から分かっているといってもいいことであった。
ただ、今回は、
「現れはずの場所に現れず、相手から連絡があり、内線を入れてみたが、応答がない。しかも、プレートも出ていない」
ということを考えると、
「このまま放っておくわけにはいかない」
とホテルボーイは考えた。
さっそく、フロア長に話をして、再度、表から扉を叩いたり、フロントから連絡を入れてみたりしたが、相変わらず応答はなかった。
「しょうがないですね」
ということで、合鍵を使って中に入ったが、カードキーをさしたところで、すべての電気がついた。
このホテルは、カードキーを入り口近くに差すことで、すべての電気が使えるようになるのだが、実際に電気をつけるには、すぐそばのメインスイッチを入れる必要があったが、実際に、メインスイッチを入れることなく、すべての電気がついたことから、
「最初からメインスイッチが入っていた」
ということと、
「すべての電気をつけっぱなしにしていた」
ということが分かるというものであった。
ただ、このような客は、普通であり、チェックインしてしまえば、カードキーを持っているわけなので、
「ホテル内にいる時」
あるいは、
「外出から帰った時」
という場合でも、わざわざメインスイッチを切るということをしないのは、ホテルマンであったり、清掃スタッフには
「当たり前のこと」
として、認識されていることであろう。
「ただ、これは、警察の人には認識できていなかったことのようだった」
それが、警察とすれば、
「ホテルスタッフとの一番の認識違いだった」
ということを、その時は分かっていなかったのであった。
死体発見
ホテルボーイと、掃除スタッフが、同時に部屋に入った時、そこに人の気配は感じられなかったが、間違いなく、違和感というものはあった、
まるで、湿気を帯びたかのようで、最初は、
「風呂にお湯がたまっていて、浴室の扉でも開いているのではないか?」
と感じたほどだった。
湿気を帯びた、けだるさを感じさせる雰囲気において、
「水もお湯になると、どこか鼻を衝く臭いがしてくる」
ということを知っている人が多かったので、皆浴室をまず確認した。
ビジネスホテルというのは、ほとんどが、
「バストイレが一体化した」
といわれる、
「ユニットバスの形式をとっている。
狭い部屋に、半分くらいが浴槽になっていて、手前に、洗面台とその横に、申し訳なさそうに、様式トイレが設けられている。
そして、浴槽には天井からブラインドのような白いシートがかかっていた。少し厚めで、水を通さない仕掛けになっていることで、シャワーを使った時に、トイレや洗面の足元が水浸しにならないための工夫である。
西洋の人にはいいのかも知れないが、日本人としてはあまりありがたいものではない。
だから、浴槽に浸かると疲れが取れるということで浴槽に浸かることが好きな日本人にとっては、たぶんであるが、
「ユニットバスを使うのを嫌だと思っている人は少なくないだろう」
そういう意味で、湿気が部屋に入り込むというのは、無理もないことであった。中には、強引にお湯を貯めて、浴槽に浸かる人もいる。だとすれば、ユニットバスの内部は、湿気に溢れているといってもいい状態で、そうなると、寝室の方を含め、部屋全体に湿気が充満しているのも、無理のないことだといえるだろう。
スタッフは最初そう思い、逆に、
「バスからの湿気が溢れているということであれば、さっきまで使っていたと考えれば、今は眠っているのかも知れない」
と思い、
「これは失礼なことをしてしまったかな?」
とは思ったが、心配して連絡をしてきたところがあったわけで、そちらを無視することもできないということで、
「お客様には申し訳ないが、起きてもらうしかない」
と覚悟を決めて、ホテルボーイは中に入ろうとした。
しかし、そこで、清掃スタッフが、ホテルボーイを制するように、
「本当に大丈夫ですか?」
というのだった、
そこで、ホテルボーイは我に返ったのだが、彼とすれば、
「まずは、自分の解釈が思い込みであり、その思い込みから、客が安全であるということに至ると、今度は、自分の義務を果たさなければいけない」
ということから、
「お客様を起こさないといけない」
と思ったわけで、清掃スタッフは、その義務がないことで、もう少しホテルボーイにくらべて、冷静に見ることができたのだった。
つまりは、
「本当にお客様は、大丈夫なんだろうか?」
ということであった。
最初から比べて、ホテルボーイは、
「いい方に解釈をした」
というわけであり、それが、自分の職務から来たことだったのだが、掃除スタッフとすれば、
「あくまでも、清掃をこなす」
というだけで、実際には、
「お客様を相手にする」
というどころか、
「顔を合わせると気まずい」
というくらいになることが分かっているので、たった数秒という実に短い時間であっても、
「その考え方」
というのが、正反対の方向に向かってしまえば、
「その距離が結構広がってしまった」
としても、無理のないことだといってもいいだろう。
だから、ホテルボーイも、
「まさか、止められる」
とは思っていなかっただろうし、清掃スタッフも、
「まさかホテルボーイが、安直に中に入っていこうとするなど、思ってもいなかっただけに、ビックリしたのだった。
そもそも、ホテルボーイというのは、手袋をしているので、問題はなかったが、掃除スタッフは、
「掃除を始めると軍手をはめるが、それまでは素手だ」
ということであったが、冷静に考えるようになると、
「軍手をはめる方がいい」
と考えたのだ。
その時、清掃スタッフには、その臭いが実に嫌なもので、自分の身体がムズムズしてくるのを感じると、
「これは、血の臭いだ」
ということに気づいたのだった。
作品名:悪魔と正義のジレンマ 作家名:森本晃次