悪魔と正義のジレンマ
「実は主人の研究室と、文科省の研究室とで、マインドコントロール、いえ、もっといえば、洗脳のような研究を合同でしているんです。そして、元々の研究は、「精神疾患とスピリチュアルな研究」ということでしたが、最近、主人がある研究に成功したようなことをほのめかしたんです。本来であれば、学会で発表するまで、家族にも絶対に漏らしてはいけないようなことをですね。だから私たちも何かおかしいということで気にしていたんですが、私のために主人が、会社でいえば、専務のような人を私に以前からつけてくれていて、彼が探ってくれたところによると、どうやら大学病院に通っていて、しかも、かなり悪いらしいということでした。もちろん、彼がそれを探るまでにはかなりの苦労がありましたが、分かってしまうと、何か主人の考えも分かってきたような気がしてですね」
「どういうことですか?」
「主人は、余命が限られているようなんです。その中で研究も一応の成功を見た。そこで。どうしても、研究を早く完成させたい。できれば、自分の存命中にということだったようなんですが、それはかなわないというのが、医者の意見でした。そこで、主人は、自分を使って、その臨床実験をしようとしたんでしょうね。だから、今回の事件は自殺ということではなく、洗脳した相手に自分を殺させることにしたんです。そのためには、協力者が必要で、それを請け負ったのが、私にとっての専務であり、彼は私の味方でしたが、もちろん、主人の命令には逆らえません。最初は、主人の強要だったようですが、考えてみれば、彼も主人に同情したんでしょうね。彼としても、研究所員ですから、科学者の端くれです。彼の気持ちも分かります。ただ、かわいそうなのは洗脳された少年なんでしょうね。少年は、少し頭が足りないと言われていたようですが、その専務に、どうやら、肉体管理をされていたようです、恐ろしいことで、洗脳するために、まず、肉体を征服する必要があった。ただ、彼がその性癖を誰から教わったかということを考えると、もうそれ以上考えるのを辞めたくなるんですが、一番怖いのは、何といっても、その専務のような男というのが、文科省からの派遣だったということですね。それを考えると、何か国家レベルで何かが動いているように思えて恐ろしいんです」
というのであった。
「じゃあ、殺害した少年は、主人の研究によって洗脳されたことで、どれだけ残酷なことができるか?」
ということだったんですか?
「いいえ、さすがに、そんな殺人鬼のようなことをする人間は作れないと思います。昨日の主人の遺書なるものが、パソコンに送られてきたんですが、その内容には、今回の主人の目的と気持ちが書いていました。主人とすれば、あくまでも、不治の病や、植物化した人を安楽死させることができるような考えを、法律からではなく、科学的にできないかということで、心理的に、一時的な悪魔を作り上げようと考えたんです。悪魔だけど、実は天使というようなですね」
という。
「そんなこと……」
といって、河合刑事は、初めてこの事件で、苦々しい思いが走った。
「これだったら、普通の殺人事件の方が、まだまだマシな気がする」
ということである。
確かに、考え方は立派なのかも知れないが、やっていることは、道徳的にどうなのだろうか?
これではまるで、細川ガラシャの話を思い出した。
キリスト教では、自殺は許されない」
ということで、関ヶ原の戦いの前夜。
「石田治部が、会津征伐に向かった武将の留守を狙って、家族を人質にして、自分の方に味方をさせる」
というやり方を取ったが、皆が人質になる中で、細川ガラシャは、
「自分は主人の足かせになりたくはない」
ということで、人質を拒んだ。
しかし、相手は決して殺そうとはしないだろうから、相手に屈するということは、
「そのまま人質になる」
ということである。
だから、ガラシャは考えた。
「自害はできないのであれば、配下のものに殺される」
というやり方である。
今では、
「まるで美談」
ということで伝わっているが、果たしてそうだろうか?
自害ができないからといって、人に殺人を教唆させるのは、果たしてキリスト教では許されるのだろうか?
河合刑事は、キリスト教のことも、殺人者の考えも分からない。
しかも、時代は、
「群雄割拠の戦国時代」
時代が違うということで一言で片付けられるものであろうか?
それを考えると、やるせなさが残る中、
「まるで考えは堂々巡りを繰り返す」
ということで、
「永遠に交わることのない平行線」
ということを考えるのであった。
だから、
「細川ガラシャの自殺」
というものを、今回の事件でも感じた。
そう思えば、
「これを果たして美談としていいのだろうか?」
ということである。
「自分が警察の人間だから」
という立場から考えると、確かに、許されることではない。
しかし、だからと言って。この問題を、
「博士のエゴだ」
という一言で片づけるということもできないであろう。
それを考えると、奥さんの覚悟も、そして、専務と称する男の気持ちも、さらには、死んでいった博士も、それぞれに、言い分はあるのだろう。
「だが……」
問題は、
「洗脳された少年」
ということだ。
博士とすれば、睡眠薬を飲むことで、相手に一気に急所を狙わせることができるということで、実際に、眠りつくまでの時間、緊張が走ったのは間違いないだろう。その間に胃薬を飲んだのは、計画通りで、睡眠薬は殺害されることを分かっていないということを強調するための念には念を入れてっもことだったのだ。
何らかの薬であったり、洗脳術のようなもので、
「操られていた」
ということなのであろうが、それは、
「行為としては悪魔であるが、考え方は正義だ」
といえるが、これが逆の解釈であればどうだろう?
「考え方は正義だが、行為は悪魔で、許されることではない」
というのが、警察としての立場、
だから、
「こんなことは絶対に許されない」
と本来であれば、今回の関係者とすれば、皆、その事実を、
「墓場まで持っていく」
と考えるはずなのに、それをしなかった。
それは、
「真実は一つではない」
という言葉で示されるのではないだろうか?
奥さんから聞いたパスワードを元に博士の、
「遺書なる内容」
を見てみたのだが、そこには、
「私の罪」
ということで書かれていた。
そして、今回の事件を警察に正直に言っても構わないと書かれていて、そして、少年は、あくまでも洗脳されていたので、
「自分の意志ではない」
ということを強調している。
そして、洗面所の薬についても書かれていて、
「あれは、自分が少年をかばうためにやったこと。結果がどう出るかは分からないが、少なくとも、私が私の意志でしたことだということが分かれば、少年に殺意がなかったことを証明できるのではないだろうか?」
ということであった。
ただ、自分の罪として、
「裏を返せば、無意識であれば殺人鬼となる少年を作ろうとしたのは自分の罪であるが、これに関して、本当に間違っているのかどうかは分からない」
作品名:悪魔と正義のジレンマ 作家名:森本晃次