悪魔と正義のジレンマ
「間違いではないか?」
といわれ始めたくらいだ。
特に、
「あの人は、極悪人だ」
といわれていた人が、今では、
「実は、その時代の救世主だった」
などといわれるようになってきたりしている。
古くは、
「極悪非道で、うつけだった」
といわれていた織田信長が、実は。
「革命児で、先見の明があった」
といわれてみたり、最近では、その織田信長を討った、明智光秀は、
「本当は、頭がよく、冷静な人物で、家臣から慕われていた」
といわれるようになったりした。
それは、
「関ヶ原の戦い」
において、西軍を率いた、
「石田三成」
にも言えることで、徳川家康を主人公とする映画やドラマでも、
「一定の人物」
という描かれ方をしたうえで、悪役とは描かれていないことが多い。
もっとも、三成を、
「悪役」
ということで描いてしまうと、
「せっかくの主人公である家康が、関ヶ原の戦いを、おのれの欲のために起こした」
といわれかねないということからでもあろう。
歴史というのは、そういう意味でも、
「見方によっても、まったく変わってくる」
ということで。少なくとも、
「暗記の学問などでは決してない」
ということになる。
だから、時代が最近になるにつれて、
「歴女」
などということで、昔であれば、
「歴史が好きだなんて言えば、女のくせにという目で見られてしまうのではないだろうか?」
ということで、歴史が好きでも、大っぴらに言えなかったが、最近では、
「歴史が好きだというと、トレンドだ」
という風に思う人がいて、それだけ歴史を、
「理解の学問」
と思っている人もいるだろう。
その証拠に、
「歴史というのは、見方によって、まったく見え方が変わってくる」
というもので、逆にいえば、
「理屈さえ通っていれば、少なくとも、間違いだと言われることはない」
といってもいい。
この理屈を河合刑事は、自分が学生の頃から感じていた。
だから、まわりに対して、
「好きな学問は歴史だ」
というようになってきたのであった。
確かに歴史を好きだというと嫌われるところは今でもあるが、かなり緩和されているのは、それだけ、
「時代が変わってきた」
ということであろうか?
しかし、それに比べて世の中は、歴史認識ほど変化はない。
「旧態依然として」
という言葉のように、
「神話と呼ばれていることが正しい」
という固定観念に固まっているといってもいいだろう。
特に、神話のように言われてきたこととして、
「運動する時は、水を飲んではいけない」
といわれていた。
これは、本当に当たり前のこととして言われていたことで、今であれば、
「水を飲まないと、熱中症になる」
ということになるのだ。
しかし、昔は、
「水を飲んではいけない」
という理由として、二つ言われていた。
一つは、
「バテるから」
ということ、そして、もう一つは、
「腹を壊す」
ということであっただろう。
確かに、水をたくさん飲んでしまうと、汗が猛烈に噴き出してきて、発汗のために、バテるというのは、普通に考えられることであった。
そして、水を飲んでから急激に運動すれば、腹を壊すのも当たり前といっていい。
つまり、
「水を飲んではいけない」
ということではなく、
「水を飲んでもいいが、がぶ飲みすることはなく、飲んだら、少し休憩して無理のない運動をする」
ということであれば、問題はなかったのだ。
つまり、
「一つの神話のような言い伝えを、神話として思い込ませるということになるから、他の考えを打ち消すことになり、融通が利かない」
ということになるのである。
しかし、時代が進み、
「地球温暖化」
といわれるようになると、気温がそれまでは、最高でも、
「34度」
というのが、一年に数回あればいいというくらいであった。
しかし、世紀末くらいから、
「異常気象」
ということが叫ばれるようになり、気温がどんどん上昇してくるのであった。
あれから、四半世紀くらい経ったのだが、
今では、
「35度くらいは当たり前で、ひどい時は、年に何度か、体温よりも高い気温となる」
というのが当たり前のようになっていたのである。
気温が30度以上を真夏日というが、
「確かに昔は、夏は、30度を少し超えるくらい」
ということで、真夏日が、最高気温のバロメーターであったが、徐々に、
「35度を猛暑日という」
というようになり、猛暑部が最高気温のバロメーターになったのだ。
それが、今では、
「猛暑日は当たり前」
というようになり、ひどい時には、
「最低気温が、真夏日を下回らない」
という事態にもなってくる。
そうなると、
「扇風機などで耐えられるものではない」
ということで、昔であれば、
「ずっとクーラーに当たっていれば、クーラー病といって、頭痛が我慢できなくなってしまったりする」
といわれていたが、今では、
「我慢せずに、クーラーをつけて、夏を乗り切る」
というのが当たり前になってきたのだ。
特に、
「熱中症というのは、夜でもなる」
といわれている。
それは、昔夏の症状としてよく言われていた、
「日射病」
というものと混乱しているからではないだろうか?
「日射病」
というのは、その名のごとき、
「直射日光を頭に浴びることで、頭の熱が上昇する」
ということであった、
しかし、今言われている熱中症というのは、
「身体の中に、熱がこもってしまうことで起こる症状」
ということで、
「日射病とは違うもの」
といってもいいだろう。
だから、夜の湿気がある時、身体から熱を出すことができずに籠ってしまうことで、外は涼しいのに、身体だけに熱がこもるという意味で、
「見た目には分からない症状のようだ」
ということになるだろう。
これも、
「神話」
と呼ばれる、
「迷信」
というものが招いた罪といってもいいのではないだろうか?
だから、昔から言われてきた神話が、実際にはことごとく崩壊しているにも関わらず、それに気づくことなく来ていると、時代に乗り遅れるだけではなく、
「将来のない世界を作ってしまう」
ということになる。
ただ、
「昔言われていたことが間違いだ」
ということで、
「今が絶対に正しい:
ということでもない。
「時代を見つめる目を、いかにして養うか?」
ということが大切になってくることなのだろう。
それを思えば、
「警察の捜査も、神話に惑わされてはいけないが、正しいと言われている今のことでも、本当にすべて正しいのかという考えを持っておく必要がある」
といえるだろう。
そんな中で、今度は、一番肝心な防犯カメラの解析班が、事件の真意を暴こうと、目を皿のようにして犯行現場を見つめていた。
もちろん、部屋の中に防犯カメラがあるわけはなく、通路や、部屋の中に入ったであろう犯人を捜すべく、防犯カメラに集中していた。
基本的には、被害者が外出から帰ってきた前日の10時半くらいから、殺害が確認されるまでの、翌日の朝10時過ぎくらいまでの、12時間くらいということになる。
作品名:悪魔と正義のジレンマ 作家名:森本晃次