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悪魔と正義のジレンマ

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「犯人は、わざと、ホテルボーイに見せておいて、実際の証拠だけは、隠蔽する必要があったということなのか?」
 ということである。
「これは、掃除のスタッフにも話を聞いてみないといけないな」
 と河合刑事は考えたのだ。
 少なくとも、そこに胃薬があったということに、不自然さはない。
 おかしいとすれば、
「その証拠品がどこかに行ってしまい、ここで証言がなければ、分からなかった」
 ということだ。
 事件の核心をついているのかどうなのか? 今のところは何ともいえないっ状況であった。
 睡眠薬というものを服用させたということで、その睡眠薬によって眠らされたところで、結局、胸を刺されて死ぬということであれば、普通に考えた時、
「犯人が、相手を殺すことに対して、
「素人」
 ということであり、
「確実に殺すために、相手の動きを封じるために睡眠薬を使う」
 ということであれば、あり得ることだといえるだろう。
 しかし、実際に鑑識の話では、
「犯人は、確実に被害者の急所を狙っていて、声を立てる暇もないくらいに、即死させている」
 ということであったではないか。
 それだけの、まるで、
「スナイパー」
 であるかのような犯人に、そこまで確実に助けるようなことをしないでもいいような気もするのだ。
「それだけ念には念を入れる犯人だ」
 ということであれば、その気持ちも分からなくもないが、それにしては、
「胃薬の袋を置きっぱなしにしておいた」
 ということ、そして、
「パソコンのWIFIの問題」
 と、何か抜けているところがあるように感じるのはどういうことであろうか?
「殺害を実行するということに関しては、確実性はあるが、それ以外のまわりの気配りなどに関しては、ずぶの素人」
 といってもいいかも知れない。
 そんなことを考えてみたが、だからと言って、
「犯人の性格が分かるわけではない」
 逆に、
「とらえどころのない犯人なのか?」
 とも考えられ、
「少なくとも、犯人は一人ではないだろう」
 といえる気がした。
 その感覚を一番持っているのは、
「河合刑事」
 であった。
 そして、河合刑事が、この事件に、
「他の事件になかった何かを感じている」
 ということを想像しているというのを、桜井警部補は思っているようだった。
 もっといえば、
「桜井警部補は、今までの経験から、河合刑事の特殊性を分かっていて、だからこそ、今のところは放したくない」
 と思っているように思えた。
「犯人複数説」
 というのは、桜井警部補も感じていた。
「単独犯にしては、何かおかしい」
 ということは、他の捜査員も感じているようであったが、それは、
「自分にかかわりのある捜査」
 というものを始めてのことだった。
 それだけ、数か所に渡って、捜査網を敷いていて、そのうちのほとんどの捜査員が、
「単独犯ではない」
 と感じているのだとすると、もはや、
「その考えは、通説といってもいい」
 といえるのではないだろうか?
 今回の事件において、気になっているところというのは、事件において、
「どこかにおかしなところが点々としている」
 ということであった。
 おかしなところが事件の捜査上あれば、そこから、次第に事件の糸口が見えてくるというものであり、
「完全犯罪に近づける」
 とすれば、犯人が描いた設計図に狂うことなく、その通りに導けば、他に想像する隙もなく、すべてを暗示に掛けることができる」
 というものである。
 だから、今回の事件は最初から、
「違和感があった」
 といってもいい。
 しかし、それも一つ一つを考えれば、
「河合刑事と桜井警部補のコンビでなければ、何も感じずに、通り過ぎていたことではないか?」
 といわれるかも知れない。
 確かに。WIFIにしても、あれは、河合刑事が、
「パソコンに詳しい」
 ということから分かったことであった。
 ただ、だからといって、捜査員の中には、パソコンに詳しいというのは、山ほどいる。
 今回のことに疑問を持つことができる素質のある人はいるということである。
 しかし、これはあくまでも、
「素質」
 ということであり、
「気が付いたとしても、それを事件と果たして結びつけるということができるだろうか?」
 ということである。
「できるかできないか?」
 それが刑事としての資質なのかも知れない。
「目の前に控えていることに対して、疑問に思ったことを結び付けれるかどうか?」
 それが、問題といってもいいだろう。
 確かに、
「なんでも疑問に感じてしまい、そこで整理ができないということになると、結局混乱させてしまっただけになる」
 ということである。
 つまり、
「疑問に感じたことを、どうして疑問に感じたのかということを理論的に説明できないと、混乱を招く」
 ということであろう。
 それは、
「疑問に感じたことを、自分なりに、どうして疑問に感じたのか?」
 ということを理解できるかどうかである。
 そこで、疑問に感じるのは、自分にではなく、
「理解できなければ、理解できないという自分に対して」
 ということではないだろうか?
 疑問を感じることができるかできないか。それは、場数を踏むということもあるだろうが、
「自分というものを、どこまで信じることができるか?」
 ということだ。
「自分を信じる力があれば、自分が理解できるであろうことを理解する」
 という力を持つことができるという気持ちである。
 河合刑事も、警察に入る前からそうであったが、学生の時には、よく、
「お前は理屈っぽい」
 といわれ、嫌われていた時期があった。
 だから、それが嫌で。
「理屈っぽくない考え方をしよう」
 と思うようになった。
 だが、実際に、それは難しいということで、
「理屈と理解」
 ということをはき違えていたのだった。
「理屈はあくまでも、一般的な事情であったり、誰にでもいえることなのかも知れないが、理解というのは、自分という性格上、一般的にこだわらず、自分の事情でもいいから、納得できることを、理解という」
 と考えていた。
 だから、
「理解するには、理屈を知る必要があり、理屈を知ることは、自分を理解できていないと、一般論として受け入れることができない」
 と考えるようになった。
 だから、今まで学生時代のように、
「理屈を毛嫌いするという人は結構いるが、そういう人に限って。自分を信用することができないんだ」
 ということである。

                 防犯カメラ

 河合刑事は、学生時代から、
「歴史」
 という学問が好きだった。
 しかし、学生時代は、嫌いな人が多かったのだが、それは、
「暗記の学問」
 ということで、いわゆる、
「食わず嫌い」
 というところが多かった。
 河合刑事の少しあとの学年くらいから、
「歴史は暗記の学問ではない」
 ということであったり、
「逆説」
 などといわれ、別の方向から見ることで、いくらでも、解釈できる。
 つまりは、
「答えは一つではない」
 ということで、
「それまで正しいということで教科書に書かれていて、語呂合わせのように覚えてきたことさえ、
作品名:悪魔と正義のジレンマ 作家名:森本晃次