悪魔と正義のジレンマ
「ええ、その通りなんです。確かに関係者から電話があった時、フロントから内線電話を何度か掛けたそうなんですが、返事がない。そこで心配になってホテルボーイが上がってきたということのようですね」
「そうだろうね。でも、確かに今の話のように、プレートを貼っていなければ、掃除のスタッフは、当然のごとく、カードキーを持っているのだから、空室だと思って、扉を開けることになるだろうね。そうなれば、今回のように、死体が発見されるということは分かっているわけで、その理由としては、プレートがなかったからということになるんだろうね」
「ええ、その通りです。プレートさえあれば、たとえ表から連絡があっても、むやみに部屋に押し入るということまではしないでしょう。少なくとも、午後、下手をすれば、夕方くらいまで、そっとしておくということもあり得るのではないでしょうか?」
ということであった。
そのことは、ホテルボーイにも確認はしてあったので、確かに、
「プレートを貼っていなかった」
というのは、重要な意味があるような気がする。
「犯人が、貼り忘れたということも考えられなくもないが、考えにくいだろうね」
と門倉刑事がいうと、
「そうでしょうね。計画的な犯罪であることには違いないはずですからね」
と桜井警部補が答えて、その話は、疑問が残った中で、一度留め置かれることになった。
「ところで、昨日の被害者の行動はどうだったんだい?」
と桜井警部補が続けると、事情を聴きにいった中堅クラスの刑事が答えた。
「昨日の会合の始まりは、午後からだったようです。遠くからの人は、前日から宿泊していた人もいるようですが、H県からであれば、そこまでしなくてもいいので、午前中の新幹線で、やってきたということです。H県からであれば、新幹線で3時間はかからないですので、朝の新幹線で普通に来れるようですね。本人は、朝直接新幹線の駅に向かって、そこからこちらに来たのは間違いないでしょう」
「誰か証人はいるのかな?」
と桜井警部補が言ったが、
「そこまでのウラは取っていません」
というので、
「念のためにウラを取っておいてください」
というと、
「はあ」
と中堅刑事は、少し不満に感じたのか、返事に覇気はなかったのだ。
「それからの行動ですが、まず、ホテルにチェックインして、旅行カバンをホテルに預け、会合に必要なものだけを、小さなカバンに入れて、外出したとのことでした。その時間は、まだ午前中で、そこから博士はホテルにあるレストランで昼食を摂ってから、会場に向かったということは、ホテルのチェックインと、レストランの従業員の証言から、ウラが取れています」
というのだった。
実際に、そこまでの行動に不自然なことはないようで、それを聴いた門倉警部も、何度か頷いて納得していた。
今度は桜井警部補も、それ以上何も言わず、捜査報告の流れを妨げることはなかった。
「会場の関係者の話は聞けたのかな?」
ということであったが、
「ええ、会合が始まると、もう全員が目撃者ですから、博士が途中で抜け出したり、おかしな行動を取れば分かるというもので、誰に聞いても、博士の怪しい行動ということは見られないという話しでしたね」
ということであった、
これに関しては、
「もちろん、そうだろう」
ということで、ほとんど、
「形式的な報告にしかならないだろう」
ということで、ほぼ、スルーされた。
問題は、会合が終わってからのことで、
「その会合の後は?」
と桜井警部補が聞くと、
「会合自体は、市のコミュニティセンターにある、大ホールで行われたということでしたので、人数的には、100人近い博士や専門家の人が参加されていたようです。だから、その後は、宴会場を貸し切っての大宴会ということでしたが、さすがにそこまでの人が入るところはなかったので、どこかの高級ホテルの会場二つを貸し切ることにしたそうなんです」
という。
「ん? だけほ被害者は、ビジネスホテルで殺されていたわけなんだろう?」
といわれたが、
「ええ、宿泊に関しては、その高級ホテルでは、すでに全員が宿泊できるだけのお部屋がとても用意できないということで、宴会だけになったんです」
と言った。
「普通幹事がしっかりしていれば、そんなこともないのでは?」
と桜井警部補が言った。
確かに、そのような一大イベントが行われる場合、幹事のような人が専門にいて、その人が毎回手配を怠らないものだ。
特に、このような大々的なところで行われる、定期的な会合であれば、しっかりしていない方がおかしいといえるのではないだろうか?
「それがですね、実は今年は少し事情が違うそうなんです」
「というのは?」
「いつもは、もう少し遅い時期に会合が定例会ということで行われるのですが、今年は、一部の博士が出席予定の、世界大会があるようで、それが、会合の時期と重なったので、その時期を外し、前倒しにすることになったんです」
「後ろではいけなかったのかな?」
「それがダメだったそうで。というのも、今回の会合で、その世界大会に出席する人の意見を共有する必要があって、本来であれば、その人たちだけですればいいんですが、その時間もないし、なかなか集まれないということで、それなら、有無の言わさずに集まることのできるこの会合でということになったんです。そのために、宿であったり、宴会の場所の計画はまったく狂ってしまったんですね」
ということであった。
「大変だったんだな」
と桜井警部補に言われ、
「ええ、さすがに100人単位の人の宿泊というと、ずっと前から予約を入れないといけない状態で、こちらの会合も普段であれば、半年以上も前から計画を立てて、宿の手配もしているようなんですね。今回もその予定で宿も取っていたようなんだですが、その後でこのような問題が出てきたということで、幹事の方も、勘弁してほしいと正直感じたということでしたね」
という報告だった。
「なるほど、そういうことなら仕方がないわけだな。それで宴会はつつがなく行われたわけかな?」
「ええ、そうですね。ただ、あまり羽目を外すということはなかったようで、皆夜の10時には、それぞれの宿に引き上げていったということです」
というのだった。
もちろん、翌日には朝から、厳粛な会議があるということで、それは当たり前のことだっただろう。
分かったこととしては、今回の会合は、毎年の予定から、かまり狂ったということなのであろう。
「会場の手配も予定が狂ったわけだよな」
「ええ、そうですね。でも幸いにも、会場の手配は、何とかなったようです、何といっても、会場の手配ができなければ、肝心の会議が成立しませんからね。だから、会場が抑えられる日を中心に、それ以外のホテルの手配であったり、宴会場の手配を決めていたということになりますね」
という報告を聞いて、桜井警部補が言った。
「ということは、今回被害者が宿泊したビジネスホテルは、本人が予約したものではないということになるのかな?」
「ええ、そのようです」
作品名:悪魔と正義のジレンマ 作家名:森本晃次