自殺というパンデミック
ということになるだろう。
実際に、警察というところは、
「何かが起こらないと動かない」
と言われる。
「犯罪の未然の防止」
ということを考えず、検挙率を上げるということだけに専念するからだ。
だが、自殺などのように、
「何かが起きたとしても、自殺であれば、それ以上の捜査をしない」
ということで、これも結局、
「何かが起こらないと動かない」
というのと何が違うのかということになるのであろう。
本当であれば、
「自殺に対しても、真摯に向き合ってその動機の真意を調べることをすれば、自殺というものを未然に防ぐことができるのかも知れない」
ということである。
何といっても、殺人であっても、自殺であっても、人の命が奪われるということに変わりはないのだ。まわりの人間とすれば、
「死んだ人間は生き返ってはこない」
ということで、諦めるしかないというのが、現状なのだろうか?
実際に自殺というものを考える人は少なくはないだろう。
「程度の差はあるかも知れないけど、生きてきて、一度も自殺を考えたことがない」
という人は果たして、どれくらいいるといえるのだろうか?
そんな風に考えたことは実際にはなかった。
「なぜ、それを考えないのか?」
ということを考えると、その理由として、
「自殺をしたことがある」
などというと、ドン引きされてしまう。
と思うからなのかも知れない。
確かに、女性の手首を見ると、リスカのためらい傷があったりするのを見ると、怖くなるということだってあるだろう。
それどころか、
「女性が手首にリストバンドをしていると、リスカの痕ではないか?」
ということを考えてしまう自分が怖いという人もいるかも知れない。
実際に自殺というものをしようと思うと、
「思い立った時に勢いでしないと、できなくなるのではないか?」
と思うのだ。
ためらい傷があるだけ、実際に自殺を何度も考える人がいるのだろうか?
中には、
「自傷行為がくせのようになっている人がいるかも知れない」
と感じてしまう。
要するに、人から聞いた言葉で、
「死ぬ勇気など、そう何度もできるものではない」
ということを聴いたことがあり、その人は実際に、自殺未遂を図ったことがあるという人であれば、その説得力は、相当にあるものだと言ってもいいだろう。
だから、
「死にたいと思えば、その時に一気に死んでしまわないと、次には勇気が持てない」
といえるだろう。
例えば、
「死にきれなくて、生き返った時」
人によっては、
「その時、死んでしまっていた方がよかった」
と感じる人もいるのではないだろうか?
死にきれずに、後遺症になる人だっているだろう。
特に、
「服毒自殺」
であったり、
「ガスなどを使っての自殺」
ということであれば、
「命は助かるかも知れないが、自殺を図って死にきれなかったことで、植物人間になってしまう」
などということがあれば、残った家族からすれば、
「安楽死」
というものを選ぶことはできない。
「生命維持装置というものを使わないと、生存ができない。それを使わないということになると、安楽死ということになり、それは許されないということで、下手をすれば、殺人罪に問われることになるだろう」
というものである。
「本人がどういう意志で死のうと思ったのか?」
ということを、家族には本質的に分からない。
もし、死に切ったとしても、家族に掛ける迷惑は、尋常ではないだろう。
「家族が死ぬ」
というだけでもショッキングなのに、理由も分からずに、死のうとして死にきれないということで、そのとばっちりが完全に残された人に及ぶということになれば、
「これ以上の罪はない」
ということになる。
鉄道への飛び込み自殺の場合もそうだが、
「自殺というものは、残された人間に残るリスクが大きすぎる」
ということだってあるのだ。
自殺をする人だって、それなりに悩んで、
「最終的に死ぬしかない」
と考えるというのは、気持ちが分からなくもない。
だからと言って、
「短絡的に死を選ぶ」
というのが悪いことだというのは、あまりにも考え方が単純すぎる。
「実際には、そんな道徳的なことで解決するのであれば、何も最初から死を選んだりはしない」
と思うことだろう。
だが、自殺をすることで、残された人間がから、
「こんなことなら、一思いに死んでくれた方がよかった」
と思われるのも惨めなものだ。
それでも、
「1年我慢すれば、息を吹き返す」
という保障でもあれば別だが、そんなものもなく、
「とってもではないが、生命維持装置に使うお金がない」
ということになれば、それこそ、
「鉄道への飛び込み」
の賠償金と同じで、
「法律でどうすることもできない」
という、こちらは、
「安楽死を認めない」
という刑法から考えれば、
「こちらも、身を売らなければいけない」
ということになるだろう。
もし、女性であれば、水商売」
ということもあるだろう。
もっとも、
「水商売では稼ぎきれない」
ということで、
「風俗入り」
ということもあり得ることであろう。
一人目の自殺者
今の時代は昔と違って、
「風俗嬢と言っても、世間に顔向けができない」
などということもない。
もちろん、
「家族に身バレしないように」
ということに対して一番気を遣うことになるだろう。
風俗嬢というと、最近では、
「アルバイト感覚」
でやっている子も少なくはない。
昔であれば、
「家族が借金をした」
ということがその主流だったかも知れないが、今の場合は、そこに、
「ホスト狂い」
というものがあったり、
「実際にセックスが好きだ」
ということで、
「性風俗が天職だ」
と思っている人もいるのではないだろうか。
もちろん、
「集客のための設定」
ということにしている人もいるかも知れないが、皆が皆そうだとも思えない。
中には、
「風俗店を、点々と渡り歩いている」
という、いわゆる、
「転々虫」
と呼ばれる人もいる。
それは、
「店の体制であったり、嫌な客が多い」
などということから、女の子自身が、
「働きやすい」
ということを考えて移転することも多いだろう。
もちろん、スタッフに嫌な人がいたり、
「女性の職場」
ということで、しかも、立場としては、
「個人事業主扱い」
ということで、同業者の女の子たちの間でも、結構問題があったりするというではないか。
だから、
「できるだけやりやすいとことで働く」
と考えるのだろう。
もちろん、自殺をした家族がいて、前述のような、
「鉄道自殺」
をした人であったり、
「自殺未遂に終わったが、植物人間になってしまった」
ということで、借金だけが残ってしまい、それを嫌でも払わなければいけなくなったという人もいて、その家族が、
「地獄を見ている」
ということもあるだろう。
だから、風俗嬢の中というと、実際にはどうなのか分からないが、よく言われることとして、
「家族の借金」
あるいは、
「付き合っている男の借金」
作品名:自殺というパンデミック 作家名:森本晃次