自殺というパンデミック
それまで、他の警官にも、刑事にも、ここまではなかった。完全に、清水刑事に懇願するように訴えているのだ。清水刑事は、その異常さにびっくりして、
「どういうことなんだ?」
と思わず聞いていた。
「あいつは、俺に殺されなくても、自殺をするつもりだったんだ」
というではないか?
内容をまったく知らない清水刑事は、ビックリしていたが、さすがにまわりの警官が、
「清水刑事、こいつの勝手な言い分なんで、気にしないでください」
といって、男を引きずるように、留置場に連れていった。
清水刑事は、キョトンとしていたが、次第に気になってきたのだ。話を聞いてみると、
「ホスト同士の、醜い争いの果てですよ」
というので、
「そうなんだ」
とその時は感じたが、どうにも気になって、担当の、水木刑事に聴いてみると、何やらみな騒ぎがするのだった。
「自殺するつもりだったなんて、あの容疑者によくわかったものだな」
と、清水刑事がいうと、
「ちょっと考えれば、確かにそうなんですよね」
と、最初は、完全な戯言だとしか思っていなかった水木刑事も、次第に、気になってきたようだ。
ただ、
「どうして、あの時、我々に訴えることもなく、清水刑事に訴えたんでしょうか? 我々は、ずっと面と向かって取り調べを行っていたというのに」
と水木刑事は言ったが、
「それは私も気になっているんだ。急にそのことに気づいて、たまたま私が通りかかったことで、訴えることにしたのだろうか?」
と清水刑事がいうと、
「そのあたりは何ともいえないんですが、ただ、あの容疑者は、実際には殺人に関してはまったく否定はしていないんです。事情聴取に対しても素直に応じてますからね。でも、それはあくまでも、自分がやったことを素直に供述しているということで、奴には、後悔の念は一切ありません。むしろ、憎々しい相手を殺したことで、せいせいしているとでも言いたげなんですよ」
と水木刑事は言った。
「そういう犯人こそ、自分が手を下さなくても死ぬことになった相手を自分で殺したことをどう感じるんですかね? 早まったと思うのか、でも、取り調べのような男であれば、殺したことを後悔なんかしないと思うんですけどね」
と清水刑事がいうと、
「そうなんですよね。二重人格なんじゃないですか?」
と水木刑事が、何気なく言ったつもりだったが、それを聴いて、清水刑事は明らかに、何かに反応したかのように、考え込んでいた。
その様子は、
「自分の殻に閉じこもって考えている」
と言った雰囲気だといってもいいだろう。
その時はすでに、
「中村つかさは、自殺」
ということで処理されていた。
ただ、胸にあった痣も考えると、何か、後ろ髪を引かれるかのような気持ちになっていたのも、正直なところであった。
そして、もう一つ。彼女の中にあったと思われる、
「二重人格性」
その時は、わざわざ彼女のもう一人の自分である、
「ホスト狂い」
というところまで捜査はしなかった。
あくまでも、
「表に見えている彼女の性格」
ということからの、表面上の捜査しかできなかったのだ。
「胸の痣」
というのと、
「真面目で実直な性格」
というわりに、部屋が散らかっていたという事実だけで、いくら疑問を感じたとしても、捜査をできるのは、そこまであった。
「警察はそんなに暇じゃない」
ということであろう。
ただ、この、
「つかさが自殺をした」
ということと、
「彼女にとっての、もう一人の自分が狂っていたホストが殺された」
いや、性格には、
「自殺を考えていた」
ということが結びついてくることになるとは、その時はさすがに、清水刑事も分かってはいなかっただろう。
そう、問題は、
「殺人」
ということでなく、
「自殺」
ということになるのだ。
自殺というのは、
「自分で自分を葬ること」
法律的には、誰にも罪はないといってもいいだろうが、これが宗教になると、
「自殺も許されない」
という、キリスト教の教えから、一つの例として、
「明智玉」
つまりは、
「細川ガラシャ」
という女性の悲劇になるということであろう。
自殺というのは、確かに、誰かを殺すというわけではないので、犯人が特定されるわけではない。
それは正確にいえば、
「自殺をするには、それなりの理由があるわけで、自殺を実行した人を追い詰めた」
という意味では、
「犯人といっても余りある」
といえるのではないだろうか?
「殺人犯ということで、裁きを受ける」
というわけではなく、追い詰めた人は、その罪を分かっていても、実際に手を下したわけではないので、ひょっとすると、他の犯罪、詐欺罪などで、裁かれることになるかも知れないが、少なくとも、殺人ということにはならない。
「そういう意味で、殺人ということに対して、完全犯罪というものが成立するのではないか?」
といってもいいであろう。
そんな時、飛び込んできたのが、
「いちかが自殺をした」
ということであった。
いちかの自殺の原因は、
「ホスト狂いになりかけていた」
ということが一つ考えられたことであった。
ただ、彼女を知っている人からみれば、
「えっ? いちかさんが自殺?」
という。
彼女は、苗字こそ変えていたが、下の名前は本名だった。それも、
「彼女はそういう変なところにこだわりがあるの。せっかくもらった名前を偽りたくないんですって。それに、この職業が、自分の天職だと思っているようで、だから、デリヘルを怖くないといっていたの」
ということであった。
そして、
「彼女は、この仕事に誇りを持っていたので、一時期、ホストに嵌りかけたんだけど、すぐに我に返ったみたいだわ」
という。
「どうして、そんな律儀に見えるような彼女が、ホストになんか引っかかったんだろうね?」
と聞くと、その友達は、少し考えてから、
「どうやら、失恋したらしいの」
という。
「相手は?」
と聞くと、彼女もそれを聴かれるのを覚悟はしていたようだが、また少し考えて、
「ハッキリとは知らない」
と答えただけだった。
ただ、
「川村いちか」
という女性が律儀な性格だということだけは分かった。
「ところで、あなたは、中村つかささんという女性をご存じですか?」
と、刑事は聴いた。
その刑事が、清水刑事だったのだが、その名前を聞いた友達は、頭を傾げて、
「いいえ」
と答えた。
その時、考えたりはしなかったので、素直に聞いたことがなかったと答えたのだろう。
だが、今度は、
「じゃあ、あいりという名前の女性をご存じありませんか?」
と聞いた。
その時、彼女は一瞬ビクッとして、また考え込んだ。きっと聞き覚えがあるということであろう。
この、
「あいり」
という名前は、実は中村つかさの、ソープにおける源氏名であった。
その名前を知っているということは、
「中村つかさと、河村いちかという女性は、知り合いだった」
ということを表しているのだ。
「では、なぜ清水刑事が、ここで、中村つかさの名前を出したのか?」
ということであるが、
それが、
「今回の事件で、ある共通点があった」
作品名:自殺というパンデミック 作家名:森本晃次