自殺というパンデミック
客に接待する時には、決まった衣装があるので、そんなケバケバシイ衣装は必要ではない。
それこそ、
「キャバクラのような店であれば、衣装は必要だろうが、あくまでも、通勤は地味な恰好をして、しかも、変装じみた格好をするのが普通ではないだろうか?」
というのは、
「彼女たちにとって一番困ること」
というのは、
「身バレ」
というものだ。
家族はもちろんのこと、彼女たちの中には、昼間、
「昼職」
ということで、事務員などの仕事をした後、夜はソープで働く、あるいは、
「昼間は学生」
という子もいるだろう。
それは、奨学金をもらいながらということから、
「いずれは返さなければいけないお金」
ということなので、そのために、今のうちから働いているという、
「健気な女の子が多い」
ということだ。
それを考えると、客の方としても、
「そんな健気な女の子のために、疑似恋愛でもいいから、癒しをもらおうと、お金は関係ない」
と思っている男も多いことだろう。
だから、
「恋人気分になれる」
という大衆店に来るようになるのだ。
さすがに高級店のような、
「プロの技」
というところまでは思わない。
「きれいな人よりも、人懐っこくてかわいい女の子」
というものに親近感がわくということであろう。
かといって、
「格安店」
などというのは、論外であった。
「ショートコースなど、会話をしていれば、時間がまったく足りない」
ということで、
「何もしなくとも、会話の途中で終了時間を迎える」
といってもいいだろう。
いくら格安といっても、
「一万数千円という金が飛んでいく」
ということを考えると、さすがに、
「人との付き合いでも嫌だな」
と思う人が多いことだろう。
そんな彼女たちにとって、もちろん、親にバレるのは大きな問題だ、
特に、
「うちの子供に何をさせているんだ」
ということで、親が怒鳴り込んでこないとも限らない。
そうなると、女の子だけの問題ではなく、店の問題ということになる、
なぜなら、お店では、
「客同士、あるいは、接客している相手である、客と嬢以外は、受付の男性以外、接触しないようにしているところに、親がいきなり乗りこんできて、騒ぎ出せばどうなるか?」
それは大きなパニックになり、そんな光景を目に下客は、
「こんな店、怖くてもう来れない」
と思うだろう。
また、女の子も、
「明日は我が身」
ということで、そんな場面を目の当たりにすれば、
「他の店に移籍しようか?」
と考えるか、あるいは、
「この稼業はやっていられない」
ということで、どちらにしても、店を辞めることになり、店としては、
「踏んだり蹴ったり」
ということになるに違いない。
それを考えると、
「身バレというのは、店にとっても、女の子にとっても深刻な問題で、絶対に避けないといけない」
ということになるのだ。
だから、身バレを防ぐ対策ということで、まず、必ず、待合室に通される。
そして、待合室から、女の子が覗いて、自分につく客が、自分の知り合いかどうかを確認するということになるのだ。
昔ならマジックミラーであったが、今は防犯カメラなどによって、確認される。
だから、数年前に起こった、
「世界的なパンデミック」
によって、
「マスク着用は、国民の義務」
ということになったが、店に入って受付をすまし、待合室に入ってから、一度スタッフから、
「マスクを外して、あちらを見て下さい」
と言われることがあるが、それが身バレ防止ということになるのだ。
それを知っている人は違和感はないだろうが、何も知らない客は、
「何かおかしいな」
と思う人もいるだろうが、別に騒ぎ立てたりはしない。
そもそも、こういうお店だから、スタッフも客もそれぞれに、警戒心を持っているということは分かっていることで、それだけに、一種のスリルのようなものもあるといっても過言ではないだろう。
それを考えると、
「彼女は、普段から地味な性格ということで、身バレしないための対策として、この店に来る時の変そうとして、派手な格好をしていた」
とも考えられたのだが、実際には、そうではないということのようだ。
そう考えると、
「やはり、彼女は二重人格だったのでは?」
と考えられるのだった。
二重人格
二重人格という言葉はよく聞く。
「二重人格」
と聞いて最初に思い浮かぶのは。小説で有名な、
「ジキル博士とハイド氏」
という話であった。
ジキル博士が発明した薬を自分で服用することで、
「もう一人の自分」
というものをあぶり出すことになり、その人格は、本当の自分である、ジキル博士の意志とは裏腹に、勝手な行動をしているという。
本人は眠っているような状態なのか、まったく記憶になく、世間を騒がしている通り魔のような人物が、まさか自分だとは、最初は思わなかっただろう。
しかしそのうちに気づいてくると、
「俺は、人を平気で殺すことができるような人格を持っている」
と感じるようになり、最後には自分で自分を葬るということになったのだ。
それこそ、
「悲劇だ」
といえるが、これは、教訓として、
「誰にでもいえることで、それこそ、明日は我が身だ」
といってもいいかも知れない。
また、
「二重人格」
というのとは少し違うかも知れないが、
「躁鬱状態を繰り返す」
ということで、今では精神疾患の一種として、
「双極性障害」
などと言われるものがある。
前述では、
「躁状態と鬱状態の混合状態で、躁状態に入る時、今なら何でもできるという感覚から、一番自殺という衝動に駆られやすい」
と記したが、今回の、
「二重人格」
という問題も、この、
「双極性障害」
というものに絡んでいるといえるだろう。
そもそも、精神疾患を持っている人で、躁鬱状態がある人は、
「いろいろ他の精神疾患の症状も併せ持っている」
と言われている。
「双極性障害であり、ADHDであり、統合失調症の気もある」
という人も結構いるということだ。
実際に精神疾患は、表から見ていて、それぞれの元の性格とも照らし合わせてみないといけないということから、
「その症状から、治療法を見出すのは、きわめて難しい」
といえるのではないだろうか?
だから、精神疾患を持っている人の薬というのは、
「ハンパない」
と言われるくらいに、たくさんあるといってもいいだろう。
それこそ、
「朝昼晩」
と、調合された薬を、きちんと薬箱の中で整理でもしておかないと、訳が分からなくなってしまうというものだ。
特に、
「双極性障害」
と呼ばれる病気は、
「薬を飲み続けないといけない」
と言われているようにm厄介な病気だということである。
だからと言って、
「双極性障害だから、二重人格だ」
あるいは、
「二重人格だから、双極性障害だ」
というわけでもない。
二重人格というのは、それだけ幅が人いと考えた方がいいのではないだろうか?
確かに、
「ジキルとハイド」
作品名:自殺というパンデミック 作家名:森本晃次