自殺というパンデミック
「そんな早朝から、高級店に行こう」
という人はいないということからも、考えただけでも、高級店が早朝に営業するというのは、あまり現実的ではないといえるだろう。
つかさが通っていた店は、いわゆる、
「大衆店」
と呼ばれる店であった。
そもそも、それぞれのランクで一番多い店というと、大衆店ということになるだろう。そして、大衆店というのは、
「ライバルが多い」
ということもあり、それぞれに、
「店の顔」
といってもいい、
「コンセプトが決まっているところでないと、なかなか続かない」
といってもいい。
他の店との差別化というのか、それとも、同じ性癖の人が集まってくるということで、
「固定客がつきやすい」
というものである。
いわゆる、
「○○専門店」
というもので、
「コスプレ」」
であったり、
「奥様専門店」
などというものである。
だから、客もコンセプトに沿ったプレイを楽しむので、いわゆる、
「ソープの技」
と言われるものがなくとも、客は満足する。
「一緒にいるだけで、癒しになる」
とも思えるようになるからだ。
この感覚は、
「彼女がいなくて、寂しい男たちばかり」
ということではない。
むしろ、彼女がいる人の方が多いかも知れない。
言い方は悪いが、
「いつも同じ女とばかり一緒にいると、飽きてくる」
と考える人もいるだろう。
そういう人の言い訳として、
「風俗遊びは、不倫や浮気ではない」
ということになるからだ。
「不倫や浮気ではない疑似恋愛なので、お互いに割り切っていることで、彼女を裏切っているわけではない」
と思うだろう。
女の子のほとんどは、バレると、
「それでも許せない」
と思う人も少なくないだろう。
だが、
「浮気でも不倫でもない」
という理屈に間違いはなく、男としては、
「浮気ではない」
と思いながら、もめることを恐れて、なるべくバレないようにしないといけないと考えることであろう。
もっとも、女性の中には、
「浮気ではない」
ということから、容認している女性もいるだろう。
しかし、そういう女性は、いつ、豹変して、今までの言い分を変えないとも限らない。それは覚悟しておいた方がいいかも知れない。
そういう意味で、
「結婚する人が減ってきた」
ということで、
「家庭を持つよりも、癒しとして女性と接する方が自由でいい」
と思う人もいるだろう。
「結婚して子供を産んだとしても、育てるのも大変だし、親子関係ということで、いろいろな社会問題を見ていると、子供などほしくない」
と思う人もすくなくない。
昔は女性の中には、
「結婚しなくてもいいから、子供はほしい」
という人もいたが、今のような子育てが、明らかに難しい時代となっては、誰がそんなことを思うというのか、実際にそう思う人がいたら、その心境を聞いてみたいものである。
だから、今の風俗嬢は、昔のように、
「いかがわしい」
という印象は払しょくされているといってもいいではないだろうか。
もっとも、それは、
「まだまだ一部の人間からだけ」
ということかも知れないが、
「キチンとルールを守って、疑似恋愛を楽しんでいる」
という客も多いだろう。
それこそ、昔のように、
「ボーナスが出れば、また来るか?」
という時代と違い、今では、1、2カ月でまた来るということができるような、いわゆる、
「リーズナブルになった」
といってもいいだろう。
「二か月くらいだったら、遠距離恋愛を考えれば、間隔としては短い」
ということで、問題は、
「会える時間が、一時間から長くても二時間」
ということで、その間に、会話や、サービスを受けるということなので、
「恋愛とすれば短い」
と感じることだろう。
しかし、
「ダラダラ長い時間会っていたとして、それが充実しているといえるのだろうか?」
ということを考えると、
「彼女ができて、時々デートする時、相手が束縛する相手であれば、自由がないと感じるに違いない」
と思う。
それを考えると、
「一時間や二時間くらいがちょうどいいのかも知れないな」
と感じるのだ。
だから、
「また会いたい」
と感じるのであり、疑似恋愛としては、ちょうどいい時間なのかも知れない。
しかも、
「その日をその女性だけのために終わるわけではなく、残りの時間を自分のために使えると思うことで、充実した一日だった」
と思えると考えることが、
「店を出た後の罪悪感にはならない」
といってもいいかも知れない。
それが、一日の終わりであったとしても、癒しをもらえたことが満足につながると考えると、
「別に彼女などいなくてもいい」
と考えることだろう。
もちろん、
「彼女がいて、恋愛が最高に楽しい」
と思っている人からみれば、この考え方は、
「彼女もできないやつの、言い訳に過ぎない」
と思われるかも知れないが、
「それなら別にそれでもいい」
と思う。
逆に、
「一人の女に執着するというのは、寂しくはないか?」
と思うほどで、
「結婚は男の墓場だ」
というではないか?
実際に、離婚する夫婦も結構いるわけで、特に、
「飽きっぽい」
と思っている人にとっては、
「結婚が男の墓場だ」
というのも、納得がいくといってもいいだろう。
「子供がかわいい」
と思うのであれば、
「今のこれからの時代を生きさせるというのは、それこそ、この世の地獄というものを見せることになるのでかわいそうだ」
と、どうして誰も思わないのか?
とも感じるのだ。
もっとも、今のままでいけば、自分が老人になった時、誰も養ってくれる人がいないということになり、
「たぶん、定年や年金などというものはなくなり、死ぬまで働く」
ということになるのだろう。
それを考えると、いたたまれないが、
「どうせ、俺が一人や二人子供を持ったところで、まったく体制に影響はない」
と思うことだろう。
それこそ、選挙と同じで、
「俺の一票で、世の中がよくなるわけではない」
と誰もが思えば、
「誰が選挙になどいくものか」
と考えるのが普通である。
だから、
「選挙にいく人というのは、政治に興味がある人で、支持政党が固まっている人か、時間だけはある老人くらいではないか?」
ということである。
ただ、それも、今の与党は、老人票というもので支えられているところもあるが、今のように、
「老人を痛めつけるような政治をしていると、その票が入らなくなる」
ということを、今の政府は分かっているのだろうか?
今の世の中は、
「政府も自分で自分の首を絞めているということを、果たして分かっているのだろうか?」
ということである。
やはり、
「誰がやっても一緒」
というソーリの座というものは、金にまみれただけの、疑似空間なのかも知れないのであった。
そんなソープに勤めている彼女が、真面目で実直だというのは、お店の雰囲気を見れば分かる気がする。
とても、部屋にあったあんな、
「ケバケバシイ」
と思えるような衣装は、この店では似合わない。
作品名:自殺というパンデミック 作家名:森本晃次