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真実探求

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「学生時代の作文」
 というものであったり、
「手紙だったり」
 というのが普通であっただろう。
 あとは、大学でのレポートというものであろうが、そのほとんどは、実際に調べたことを、自分なりにまとめて、それを提出するということで、少なくとも、
「架空の話」
 ということではない。
 だから、文字数などというのは限られていて、
「レポートであれば、原稿用紙数十枚がせいぜい」
 ということになるのではないだろうか。
 しかし、これが、小説などになれば、そうもいかない。
 原稿用紙が数十枚程度ということであれば、短編小説がいいところであろう。
 実際の文庫本が、約50ページくらいまでを
「短編小説」
 というのであれば、原稿用紙換算でいけば、
「70枚がいいところなのかも知れない」
 それを一冊の本にするとすれば、300ページと考えれば、6作品は必要になるということで、短編を6作品といえば、アマチュアであれば、少しハードルが高いだろう。
 しかも、それが、
「長編一作品」
 ということになると、さらに気が遠くなるといっても過言ではない。
 つまりは、
「最初から前のめりにはなれない」
 ということで、やっているうちに、
「自分にはできない」
 と感じるようになると、
「自分で自分に限界を作ってしまい、それが結界として立ちはだかることで、先に進めない」
 というのが、それまで、
「小説を趣味にする人が、決定的に少なかった理由の一つだ」
 といってもいいだろう。
 もう一つの理由としては、
「実際に小説を書けるようになってから」
 ということである。
 それまで
「自分にはできない」
 という高いハードルを越えると、たいていは、
「俺は天才なのかも知れない」
 という、自惚れというものを感じてしまうものだ。
 そんな天才を自分で感じると、今度は、出来上がった作品を、
「本を出したい」
 と思うことだろう。
 つまり、
「プロの作家としてデビューしたい」
 と感じることである。
 そんな時の、
「プロへの道」
 ということで、大きく分けると、
「二つの道」
 があると言われる。
 一つは、
「文学賞であったり、新人賞に入賞し、出版社と契約する」
 という方法である。
 一番オーソドックスなものであるが、実際には。入賞までの道のりは大変なものだ。
 しかも、入賞しても、
「それがゴール」
 というわけではなく、実際には、まだ、
「スタートラインにも立っていない」
 ということだ。
 つまりは、
「プロになるチャンスを得た」
 ということで、出版社やマスゴミは、
「次回作への期待」
 というものを寄せる。
 つまり、次回作が、入賞作よりもいいものであれば、やっとそこで、
「プロの作家」
 として認められるということである。
 実際に、毎年、いくつもの新人賞、文学賞というものがあり、それを受賞する人が必ず一人はいるだけで、
「プロデビュー」
 というチャンスを得るわけで、その中で果たして、
「プロ作家」
 として継続できている人がいるということだろうか。
「入選することがゴール」
 ということで、別にプロ作家になりたいと思っていない人であれば、それでいいのだが、そうではなく、中には、
「入選した」
 ということを機会に、本格的にプロ作家としてやっていくということを決断し、
「会社を辞める」
 という人も少なくないだろう。
 しかし、
「俺にはプロになれない」
 ということに気が付いてからでは後の祭りというものである。
 そして、今度は、プロになるための方法として、
「出版社に原稿を持ち込む」
 という方法である。
 これは、
「新人賞」
 などといったコンクールのなかった時代という頃の主流であったが、
「出版社に自分から営業を仕掛ける」
 ということであるが、実際には、
「担当者が相手をしてくれるのはいい方で、ほとんどは、門前払いというのがいいところだ」
 といってもいい。
 ただ、昔であれば、出版社の方も、
「ほぼ零細企業」
 といってもいい状態だったので、原稿を持ち込む人も少ないので、
「とりあえず受け取る」
 というところもあっただろう。
 しかし、面談の中で、人間を見たうえで、
「これじゃあな」
 と思い、ほとんどは、担当者から、
「時間の無駄だった」
 ということで、原稿を開くこともせずに、そのままごみ箱行きというのが当たり前のようになっていくのだった。
 だから、ほとんど、
「持ち込み」
 などということをする人はいなくなった。
 何とか、新人賞に滑り込むということを目指すというものである。
 しかし、その道は厳しい。
「チャンスを得る」
 という段階すら、遠くに見える程度の人ばかりだということだ。
 そこで出てきたのが、この、
「自費出版関係の出版社」
 というものだった。
 彼らの狙いは、
「プロになりたいが、方法は二つしかなく、そのどちらも、まったく相手次第で、こちらの要望はまったく分からない」
 ということであった。
 特に一番作家が考えるということで、
「自分の作品のレベルがどの程度なのか?」
 ということであった。
「新人賞に応募しても、一次審査。二次審査というものへの合格者が発表される」
 というところはいいが、
「審査に関しての問い合わせは、一切できません」
 ということで、ほとんど非公開による、いきなりの賞の発表というのであれば、まったく自分のレベルが分からないというもので、
「本来なら、あと一息で入選の実力がある」
 という人が、アッサリと、プロになるのを諦めてみたり、
「どんなに努力しても、一定のラインを突破できない」
 という人が、
「あともう少しだ」
 と思い込んで、諦めないという人もいる。
 それはそれで立派なのかも知れないが、実際には他に素質があり、小説を諦めれば、そちらの素質が芽を出すという人もいることを思えば、
「非公開」
 というのは、理不尽ではないだろうか?
 それを考えると、
「出版社というのは、自分たちで自分の首を絞めているようなものだ」
 といえるのではないだろうか?
 そういう意味で、
「自費出版社系」
 という会社は、やり方が画期的であった。
 作家になりたい人たちも、このような、
「出版社の闇」
 というものが見えているといってもいいだろう。
 だから、
「自費出版社系」
 というものが出てきてから、あっという間にブームとなり、社会問題となり、その社会問題というものが、
「天国から地獄」
 というルートを描いたということも、途中から気づいた人もかなりいたに違いない。
 彼らのやり方の、
「何がよかったのか?」
 というと、一番画期駅だったのは、
「送ってもらった原稿は、必ず読んで、批評をして返します」
 というところだったのだ。
 新人賞に応募しても、その審査に関しては、まったくの非公開。
 自分がどのレベルなのかもわからない。だから、当然、
「どこがよくて、どこが悪いのか?」
 などまったく分かるわけはないということであった。
 とにかく、
「プロを目指す人が一番知りたい」
 というところを教えてもらえるというのは一番である。
作品名:真実探求 作家名:森本晃次