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真実探求

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 ということを物語っているということになるのである。
 そんな時代と同じように、水面下で世の中を捜査している連中も、
「一定の時期に表に出る」
 ということであり、
「ブームの操作」
 であったり、
「社会問題の操作」
 というものを行うことで、
「自分たちにとって都合のいい世の中を作っている」
 といってもいいかも知れない。
 それが、
「政府の裏機関」
 といってもいいだろう。
 特に政府というのが、昔であれば、
「少々騒がれても、何とかできるだけの力があった」
 という時代であればいいのだが、最近では、
「政府自体が弱い」
 つまり、
「その母体、骨組みが弱い」
 ということであるから、
「裏の組織」
 というのも、あまり大っぴらに動けないのだろう。
 だから、今の政治というのは、
「一つのことが解決しても、またすぐに、湧いて出る」
 ということで、
「まるでモグラたたきのようなものだ」
 ということになる。
 実際に、
「今のソーリが変わればいいんだ」
 ということで、
「トップの交代」
 というものを待ち望んでいて、実際にトップが変わると、すぐに、
「前のソーリの方がマシだった」
 ということになる。
 しかも、以前であれば、
「政権交代もやむなし」
 ということであったが、今は、
「政権交代なんてことをすれば、その瞬間に日本は終わりだ」
 とまで言われる時代になってきた。
 こうなると、
「今のソーリは最悪だが、他に変わるやつもいないし、今までの経験から、変わるとさらにひどくなるということから、トップを変えるのは怖い」
 ということで、そのまま続けているだけなのだ。
 それを、暗殺された元ソーリのように、
「歴代就任期間が一位」
 ということを誇りに思っているようだが、実際には、
「他にいない」
 というだけでソーリができていたということに気づいているのかいないのか。
 そもそも、
「就任期間が歴代一位ということが誇りだといっているのって、どうなんだ?」
 ということではないだろうか?
 どうせなら、
「何かの性格を打ち立てた」
 ということで有名なソーリということを政治家ならば目指すべきではないのだろうか?
 これでは、
「参加することに意義がある」
 というオリンピックと変わりはない。
 そもそも、
「オリンピックというのは、プロではない人たちの集まり」
 ということで、最近はプロの参加もあるが、基本的には、
「アマチュアの大海」
 ということである。
 それを、
「プロでなければいけないはずの政治家」
 というものが、
「参加する」
 ということでの、
「就任期間にこだわる」
 というのは、それだけ、政治家というものが落ちたということであろう。
 それが、
「プロスポーツにおける、試合出場」
 というのであれば、
「レギュラーを掴んで、継続した」
 ということで評価されるのは当然だろう。
 それだけの成果もあげているから、表舞台に出れるわけである。
「他になり手がいない」
 という、今の時代のソーリとはわけがちがうというわけだ。
 マスゴミもそれくらいのことは分かっているだろう。
 しかし、あまりそれらを話題にせず、
「政治家をディスりながらも、それが政治家を生かしている」
 ということになるのは、やはり、
「それだけ、他に誰もする人がいない」
 ということであり、それは、
「できる人がいない」
 ということとは、しょせん違っているといってもいいのではないだろうか?
 マスゴミが、勢いをなくしたのは、そのニュースソースとなる、政治家であったり、芸能人が、
「おとなしくなった」
 といえるからなのかも知れないが、そこに、どれだけ、
「裏組織」
 と言われる人たちが絡んでいるというのか、分かったものではない。
 ひょっとすると、
「弱くなった政府に変わって、、裏組織がのし上がっているのではないか?」
 とも考えられる。
「弱き君主は罪悪なり」
 と言われるが、まさにその通りではないだろうか?
 出版社ということでいえば、あれはいつ頃だっただろうか?
「そうだ、そろそろ20年が経とうとしている時期だ」
 ということで、21世紀になってから少ししてくらいの頃だっただろう。
 出版社に、当時としては、
「画期的な」
 といえる出版社が登場した。
 それこそ、
「時代がもたらしたブーム」
 といってもいいかも知れない。
 しかし、その時代においては、
「ブーム」
 というには、そんな甘いものではないと考えられていた。
 特にその時代というと、バブルが崩壊し、それまでのバブル期のような、
「事業を拡大すれば、どんどん儲かる」
 ということで、
「社員に限りがあるわけなので、社員はこき使う」
 という時代だった。
「24時間戦えますか」
 という宣伝文句のスタミナドリンクが売れ、さらに、
「企業戦士」
 と言われ、
「働くことが当たり前」
 の時代だった。
 それでも、文句を言わないのは、
「やればやっただけの給料がもらえるからだ」
 ということであった。
 社員に仕事をさせるには、それだけの報酬を与えなければいけないというのも、常識だったのだ。
 だが、バブルが崩壊すると、今度は、拡大した事業の採算が取れなくなり。結局、拡大した部分がすべて赤字、収入が激減し、拡大した分の支出はそのままということで、問題は、経費節減となり、リストラなどということでの、人員整理が当たり前になり、それでも耐えられない会社は、
「破綻するしかない」
 というところまで追い込まれた。
 そこで、
「大きな会社同士の合併」
 であったり、社員の給料を下げることで、経費節減のために、
「人員整理の一種」
 ということで、
「非正規雇用」
 というものが当たり前ということになってきた。
 だから、非正規雇用の人には、
「残業はさせられない」
 ということで、決まった給料ということになり、バブルの時代のように、
「金はあるが暇はない」
 という時代ではなく。
「金は入ってこないが、時間だけはある」
 ということで、考えられることとして、
「金を使わない趣味」
 ということを考えるようになるだろう。
 その中で、
「小説執筆」
 ということを考える人が爆発的に増えたのだ。
 それまでは、
「小説なんて、俺にはできない」
 と誰もが思うことで、どうせ金を使っても構わないのだからということで、バブルの時代は、
「金がかかってもいい趣味」
 ということを平気でしたいただろう。
 しかし、実際に、
「金のかからない趣味」
 として、
「小説執筆」
 を考えるようになると、それが、
「高尚な趣味」
 であるということに気が付いて、それに目を付けたのが、
「自費出版社系」
 と呼ばれる出版社であったのだ。

                 出版社の闇

 そもそも、
「小説家になりたい」
 という人であったり、
「本を出したい」
 と考える人は、昔から一定数いた。
 しかし、実際に自分で小説を書いてみようと思えば、なかなかうまくいかない。文章を組み立てるという力がないのだ。
 それまで生きてきた中で、文章を書くといえば、
作品名:真実探求 作家名:森本晃次