真実探求
それでも、昔の警察は、取り調べの際、暴行に及ぶことで、
「自白の強要」
というものもあった。
さらに、
「大日本帝国時代」
において、治安維持法の中では、
「反政府組織」
「共産主義者」
というものに対しての脅威から、
「拷問により白状させる」
ということが横行していた。
時代として、
「やるかやられるか?」
ということが世界的に当たり前の時代だったことで、
「やむを得ない時代だった」
ということなのかも知れない。
だが、今は、
「疑わしきは罰せず」
ということもあり、
「冤罪」
という問題であったり、
「取り調べ時の自白の強要」
ということから、逆に弁護士の作戦として、
「わざと自白をしておいて、起訴された段階に、裁判から、検察の起訴状に間違いないか?」
と聞かれた時、
「いいえ、私の自白は、警察の強要によるもので、無理矢理に自白させられた」
などと供述すれば、元々の裁判というものが変わってくるということになるだろう。
だから、今では警察の取り調べも、
「行き過ぎ」
というものは極力なくなっていて。
「昭和時代にあった、ほとんど拷問に近いようなやり方は、警察内部でも許されない」
ということになっている。
特に、
「熱血根性」
などと呼ばれていた時代の刑事ドラマというと、
「取り調べというのは、とにかく自白させてしまえばいい」
というような雰囲気だった。
取り調べの時に、容疑者が白状したことで、そのバックにいる組織に乗り込んで、
「一網打尽にする」
などというシーンを毎週のように見ていたではないか。
昭和の頃というと、前述のように、
「熱血根性」
と呼ばれるものが、
「正義」
と呼ばれた時代である。
だから、
「優先すべきは、人情である」
という考え方だった。
今の時代の人間から見れば、
「昔の古臭い考え」
ともいえるだろうが、逆に、今の時代は、
「形式的なことが多く。血が通っていない事務的な対応や、冷静な判断力というものだけで事件を解決している」
といえるだろう。
もっとも、今の時代が、このような時代になったのも、
「昭和時代のツケが回ってきた」
ということなのか、
「熱血根性」
というのは、無理矢理にことを進めるということで、肝心な部分を見落としてしまったりすることで、
「冤罪であったり、被疑者に対しての暴行」
などというものが起こってくるというのである。
特に今の時代は、
「コンプライアンス」
などということで、
「容疑者に対しての対応」
というものが厳しくなっている。
暴行や、脅迫による、
「無理矢理の自供」
というものは許されない。
ただ、一つ疑問に思うことがあるのだが、
「そもそも自供というのは、私がやりました」
というだけでは、
「自供を引き出した」
ということにならないということである。
あくまでも、容疑者が犯行を行ったのであれば、
「いつどのようにして」
という裏付けが必要ということになるのだ。
もちろん、
「犯人しか知らない事実を供述した」
ということであれば、
「それだけでも、起訴するに十分に足りる」
ということであるが、考えてみれば、
「容疑者が冤罪で、無理矢理に自供を引き出した」
ということであれば、捜査するはずの裏付けとなる、
「具体的な犯行」
というものに、辻褄というものが合うわけはない。
それは当たり前のことで、
「やってもいないことをやった」
というのだから、裏付けとなる証言は、
「容疑者がでっちあげるしかない」
ということだ。
それこそ、警察で組み立てた、
「犯行の青写真」
というものを、まるでヒントのように、容疑者があたかも自供したかのように語らせ、いわゆる、
「誘導尋問」
をすることで、
「犯人をでっちあげる」
ということになるのだろう。
これが、昭和時代の、
「警察の取り調べ」
ということであれば、今の人間には信じられないといってもいい。
昭和の時代には、
「飴とムチ」
というものがあった。
「無理矢理に自供させる」
というのが、ムチだとすると、雨というのは、
「泣き落とし」
と呼ばれるものだ。
昔の刑事ドラマなどでは、ベテラン刑事の中には、必ず、
「泣き落とし」
というものに長けている人がいて、
「落としのヤマさん」
などと呼ばれる刑事がいたものだ。
それに、刑事ドラマでよくみられる、
「タバコの提供」
であったり、
「出前のカツ丼」
などが、昭和の刑事ドラマでは、当たり前のようにあったものだ。
しかも、昔は今の時代と違って、
「どこでもタバコが吸える時代」
だったわけで、事務所でも、電車の中でも、さらには、取調室でもタバコが吸えた。
会社であれば、会議室などでタバコを吸っているのは当たり前のことで、警察の取調室でも同じように、
「金属製の丸い灰皿の上に、吸い散らかしたタバコの吸い殻が、突っ込まれているというシーンを結構見たものだ。
それは、面白いことに、そのシーンだけを映像にしていれば、それが、
「取調室」
「会議室」
「雀荘」
のどこなのか?
と聞かれたとしても、ハッキリと分かるというものではないということであろう。
ただ、今の時代は、タバコに関しては、昔と違って、
「室内では、基本的にタバコを吸ってはいけない」
という法律があることで、灰皿すらない。
ただ、今の警察では、取り調べの際、与えられるものに、
「かつ丼の出前」
というのはありえない。
勾留中の取り調べであれば、決まった食事以外は与えられないというのが、決まりになっていて、それは、
「拷問」
というわけではなく、むしろ、
「落としなどによって、自白の強要ができないような対策」
ということであった。
だから今は、昔に比べると、
「取り調べられている方の、人権やプライバシーというものが守られているようで、もっといえば、
「裁判で、弁護士にひっくり返されないようにする」
ということのためでもあるのだ。
今回の事件において、少なくとも、
「容疑者が自殺をするなんて」
と誰もが感じたことであろう。
当然、
「容疑者に対して、不当な取り調べが行われていなかったのか?」
ということも言われた。
「もちろん、不当なことはない」
ということで、実際に、警察の査問委員間の調査では、
「法律の範囲内での、正当な取り調べだった」
ということに終始した。
だが、容疑者は自殺をした。しかも、容疑者は、何やら遺書のようなものを書いていたということだ。
「その遺書がいつ書かれたものなのか?」
というのは分からない。
少なくとも、遺書を用意していて、毒を口の中に隠し持っていたということは、
「衝動的」
かどうかまでは分からないが、
「自殺というものを、最初から考えていたということだ」
ということになるわけであろう。
今度の事件は、そこでいったん打ち切られ、再度時間が経ってから、捜査されることになったが、それ以上、何も出てこないことから、
「被疑者死亡」
ということで、送検され、事件は、
「曖昧になってしまった」