真実探求
と言われていた。
テストの成績も、面接も確かに悪くはなかった。しかし、結果は不合格。数回テストは受けたが、どうにも合格に及ばない。
最初の頃は、真剣に悩み、精神的にもかなりきつかったが、途中から、真面目な思いよりも、
「惰性になってしまっている」
ということを自覚するのがつらかったのだ。
だが、必死になって就活に望めばン望むほど、自分が惨めに感じられた。
それがどうしてなのか分からない。たぶん、スチュワーデスという仕事が、
「本当に自分の目指しているものなのか?」
と考えるようになったからであろう。
そして、何度も不合格を受けるうちに、
「自分にはふさわしくない」
と感じるようになった。
それは、
「基準が高すぎて、自分にそぐわない仕事だ」
と思うことと、
「そんな仕事に時間を費やすということが、無駄ではないか?」
と感じるようになったことである。
「夢の実現」
というものを諦める勇気と、
「時間の無駄」
ということを分かっているのに、それを、勇気のなさで決めかねているという、
「優柔不断さ」
というものが、自分の中でジレンマとなって、苦しむことになるのが、忌々しい思いにさせているのではないかと感じるのだった。
それを、一番よく分かったのは、沢田だった。
やよいは、自分のことを、
「勧善懲悪な性格だ」
と思っていたが、沢田は自分のことをそうは思っていなかった。
もし、勧善懲悪だという思いがあったとすれば、
「自費出版会社なんかに、自ら身を落とすことはなかったんだ」
と思っているからだ。
つまり、
「自費出版会社のことを、最初から詐欺集団だと自覚していた」
ということである。
それは、
「自分の野望を叶えたい」
という気持ちがあったからなのかも知れない。
「では、野望とはいったい何なのか?」
ということであるが、正直、自分でもよく分からない。
「お金がほしい」
という思いがあったのかどうなのかも、自費出版を辞めた時には分からなかった。
彼は、実にうまいタイミングで辞めたといってもいいわけだが、それは、
「ここにいてはヤバい」
という気持ちがなかったわけではないが、それよりも、
「無情な気持ちになった」
というのも事実だった。
実際に、自殺を考えたこともあった。
自殺に至らなかったのだから、
「勇気がなかった」
ということである。
「自殺する勇気もない」
そして、
「時間を無駄に過ごした」
という思いは、その程度の大小こそあれ、やよいと同じ考えだったのかも知れない。
「スチュワーデスになりたい」
と思うが、なれずに、あがいている。
そのうちに、
「何のために、スチュワーデスになりたいと思ったのか?」
という基本的な思いに立ち返った時、やっとやよいは、スチュワーデスを諦める気持ちになったのだ。
それを見ていると、
「まるで、俺の人生のようではないか?」
と、沢田は感じた。
沢田は、まるで娘といってもいいくらいの年齢であるやよいを見ていて、どこか恋心のようなものを抱いていた。
「最初から恋心があったのかも知れないな」
と次第に思ってくるのだが、やよいの方も、最初から、
「恋心を抱いていた」
と思っていたのだ。
しかし、実際には、
「最初から」
というのは錯覚で、確かに最初から、沢田に対して、他の人には抱いたことのない特別な思いがあったが、最初は、
「尊敬」
のようなものだった。
父親に対して抱く、頼もしさのようなものだったのだが、それが、
「恋心に変わった」
というのはいつからだったのだろう?
それは、沢田が、
「最初からやよいに恋心を抱いていたのかも知れない」
ということを感じ始めた時だった。
お互いにそれとは知らずに、同じタイミングで、波長が合うというのか、相手を見ていると気づくことがあるという感覚になるのであった。
それこそが、本当の恋愛感情なのかも知れない。
それが、
「男と女」
という感情ではなく、
「気持ちの上でつながる」
という思い、それを、
「純愛」
というものではないだろうか?
ただ、人間というのは、
「純愛というものだけで我慢できるものなのだろうか?」
といえる。
人間には、
「欲」
というものがあり、それが強すぎると、ろくなことはないというのが当たり前のことだといえるだろうが、逆に、
「欲がない」
というのは、それ以上に、
「人間の営みというものを、根本から崩すものになる」
といってもいいのではないだろうか?
というのは、
「食欲」
「睡眠欲」
「性欲」
などの、生きていくうえで、どうしても必要なもの。
さらには、
「物欲」
「金銭欲」
「名誉欲」
という、こちらも生きていくうえでは必要なものとしては、前述の三つと変わりはないだろう、
しかし、前述の三つは、
「人間の本能」
というものとかかわっていると考えれば、絶対に必要なものといってもいいだろう。
それが、
「生存に必要なもの」
ということで、後者とは明らかに違う。
後者の場合は、比較的、あまりよくは言われないが、必要であるとはいえるだろう。
後者をもし、
「悪」
として捉えるとすれば、それこそ、
「必要悪」
といってもいいだろう。
やよいの、
「スチュワーデスになりたい」
というものは、欲で考えれば、
「名誉欲」
といってもいいかも知れない。
ただ、これは、諦めるには、かなりの勇気がいるのも否めない。今まで、それを目標にして生きてきたわけで、諦めるということは、自分の人生における、一つの指針を失うということで、
「生きがいを失う」
ということになるだろう。
これは、沢田が、
「自費出版会社に入った」
ということにも言える。
「この会社で、自分のやりたいことをやる」
ということだったはずだ。
「自分のやりたいことと、自分にできることの融合」
というのが、やりがいとなり、そして、生きがいとなってくるという考え方が、彼にとっての、
「名誉欲だった」
といってもいい。
実は、やよいは知らなかったが、
「結婚しよう」
と思った三郎は、
「学生時代に、小説を書いていて、この自費出版社系の会社に引っかかった」
という過去があった。
これは、三郎にとっても、
「黒歴史」
だったのだ。
誰にも、そのことを言わずに、自分の胸だけに納めてきた。
「なんとも、恥さらしな真似をしたものだ」
と自分を苛めたものだった。
それでも、何とか表に出すことがなかったのは、
「親の威厳」
というものに頼ったからだ。
「親のお金で、何とか本を出す」
ということをしようと考え、親を説得したところまではよかったが、
「まあ、親も、どこまで自費出版社を信じていたのか分からない」
といってもいいだろう。
「どうせ、騙されている」
ということは分かっているが、まだ学生で、一途に信じている息子を言いくるめても、簡単にいくわけはないということを分かっていたのだ。
だから、
「痛い目に遭えば分かるだろう」
ということで、お金に関しては、
「無駄になるかも知れないが、授業料」