真実探求
そもそも、第一次世界大戦終了後、20年ほどで起こった世界大戦。その原因となるものはいくつか考えられるが、一番の問題は、
「ベルサイユ体制」
というものに問題があったということであろう。
これは、
「戦勝国である連合国が、敗戦国であるドイツに対して、むごいともいえる賠償を課したり、二度と戦争を起こさせないようにということで行われた、植民地の没収であったり、国土の分割などが、ドイツという国を追い詰め。結局、ナチスの台頭という強力な政府の出現を招くことで、独裁国家をつくることになった」
と考えるからであろう。
だから連合国は、
「国家に賠償をかけると、国民全員が被害を被る」
ということで、責任を、当時の国家元首に押し付けることで、
「国家体制を維持し、再度の戦争を起こさせない」
という方向にもっていこうということにしたのだろう。
ただ、元々の世界大戦を引き起こしたのは、民族主義という問題からだったわけで、ナチスドイツの、
「ホロコースト」
であったり、
「ジェノサイド」
と言われるような問題は、そもそも、
「第一次世界大戦」
のきっかけとなった、
「多国籍国家」
などの問題から、
「単一民族の国家」
というのが一番正しいという考えと、
「弱い政府は罪悪」
ということから、
「独裁でもいいので、強い政府を望む」
ということになったのだろう。
そんな第二次大戦であったが、日本の場合は、
「無謀な戦争」
というものに、連合国によって引きずりこまれたわけであるが、それも、
「資源の乏しい」
と言われる日本に対して。
「石油の全面的な輸出制限」
ということをしたのだから、日本とすれば、方法は二つしかない。
「従来の、外交による交渉」
を続けるか、
「戦争の準備をするか?」
ということであるが、
「さすがに日本への石油輸出の全面禁止」
ということになると、我慢にも限界がある。
それでも、日本は、
「外交と戦争」
の両面から、何とか戦争回避を模索していたが、
「ハルノート」
と呼ばれる、
「最後通牒」
というものを突き付けられることで、結局戦争は不可避になった。
その時、
「机上演習」
でも、
「日本には、万に一つの勝ち目もない」
ということになったらしいのだが、そこで考えられた方法として、
「日露戦争の再現」
といってもいい作戦であった。
日露戦争というのも、
「弱小明治日本」
と言われた、
「アジアの小国」
が、世界有数の大国であるロシアと、戦争をするということになったわけで、
「日英同盟」
であったり、
「傷だらけではあったが、何とか当初の計画通りに、陸軍の攻勢、さらには、ロシアバルチック艦隊の撃破」
ということから、
「時ここに至れり」
ということで、
「決定的な勝利の後で、講和に持ち込むことで、何とか、勝利をもぎ取り、最良の条件で和睦をする」
というのが、日本の作戦だったのだ。
実際に、満州において、これ以上敵を追うだけの兵力を維持していない国としては、本当にここが潮時だったということである。
だから、連合艦隊司令長官である山本五十六が言った言葉として、
「戦争を、もしやれといわれれば、半年や一年は存分に暴れるということはできるであろうか、それが、二年、三年ということになれば、まったく保障はできません」
と言ったというが、まさにその通りだった。
実際に、戦争が始まって半年くらいから、戦局は傾いていき、一年も経てば、決定的な敗戦を、迎えたことで、防戦一方になったのだった。
それが、
「真珠湾における。空母や燃料タンクをそのままにして、二次攻撃を行わなかった」
ということを失態と見る考え方であったり、
「ミッドウェイ海戦における、爆弾と魚雷との兵装転換のまずさ。そして、適作作戦の甘さ」
などという失態を繰り返すことで、どんどん追い詰められることになる。
元々、もっと早く、
「連戦戦勝」
という時期、
特に、
「インドネシアの油田を手に入れた」
という時点で、それ以上の宣戦拡大作戦さえしなければ、かなり戦況は違っていただろう。
だから、日本は当初の計画にあった、
「連戦連勝を続け、決定的な勝利を得たところで、講和を申し入れる」
という状況を見逃してしまったのである。
「勝ちすぎた」
とも言われるが、実際には、
「辞めるわけにはいかない」
という状態であったというのも、しょうがないところだったのだろう。
特に、
「勝った勝った」
と、マスゴミが騒いだことにより、世論は、
「どうして連戦連勝のこの時に、戦争を辞めなければいけないのか?」
ということになる。
しかも、問題は、
「戦争の大義」
ということである。
「日本が中心になって、欧米列強からアジアを解放し、そこに大東亜共栄圏を建設する」
という大義名分があることで、国民は戦争を始めた国家や軍を指示することになったのだといえるだろう。
だから、
「ここで辞めてしまうと、ただの侵略になってしまう」
ということで、政府も軍も、辞めるわけにはいかないのだ。
しかも、陸軍などは、
「士気に影響する」
ということもあり、講和には、絶対に反対であろう。
そもそも、
「ここで講和するくらいなら、最初から戦争などしなければよかった」
というかも知れない。
実際は、
「陸軍の士気の低下の問題が、陸軍を戦争へと駆り立てた」
のであって、
「戦争などしなければよかった」
という選択肢は。そもそも、陸軍にはないだろう。
それを考えると、
「無謀な戦争だった」
というのは、
「一周回って正しい」
といってもいいかも知れない。
そういう意味で、
「戦争も、ブームに沿った事業も、引き際が肝心だ」
といってもいいだろう。
獄中で、
「死を選ぶことになったやよいという女性は、なぜ死を選ばなければいけなかったのか?」
ということであるが、
彼女としても、
「何か、引き際を間違えたのではないか?」
と考えている人もいるようだった。
ただ、その人が考えることとして、
「彼女は犯人ではないような気がする」
ということであり、逆に、
「彼女は犯人ではないから、自殺をしたのではないか?」
と考える人もいた。
その考えは間違ってはいなかったが、それを警察で証明できるわけではないので、結局何もできなかった、
そして、そんな奇抜な発想をしたのが、あるジャーナリストであり、その人が、
「元は、社会問題になった自費出版社けいの会社の幹部だった」
ということは、誰も知らないだろう。
彼は名前を、
「沢田恭三」
という男で、自費出版社に入る前は、元々、新聞記者だった。
彼は、新聞記者として、若さに任せて、真面目に勧善懲悪というものを目指して、勤めていた。
しかし、若さからなのか、勧善懲悪が行き過ぎたからなのか、
「水が合わない」
ということに気づき始めた。
真面目にやればやるほど、自分が追い詰められるという理不尽な状況に、次第い耐えられなくなっていったのだ。
そこで、当時ブームになりかかっていた、
「自費出版社系の会社」