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芸術と偏執の犯罪

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「裁判に至るまでの段階」
 ということになるのだ。
 これは、
「どんなに相手が目上の人が相手であっても、証拠というものがなければ、勝手に犯人であるということを決められない」
 という基本があるからだろう。
 だから、封建制度の時代であっても、奉行がいたり、代官などがいて、そのシステムがしっかりしているはずなのだろうが、時代劇などでは、そんな要職にある代官であったり、奉行が、悪徳商人と結託し、アコギなことをするのだから、救いようがないということで、だからこそ、
「水戸黄門」
 などという勧善懲悪な時代劇が流行るということになるのだろう。
 特に日本人は性格的に、
「判官びいき」
 といって、
「弱い者の味方」
 ということで、それを、
「勧善懲悪だ」
 と思っていることから、どこかに勘違いというものが生まれてくるのであろう。
 何といっても、徳川時代は、
「身分制がしっかりしていて、理不尽に思えることが多い」
 といえるだろう。
 しかし、実際には、それよりも、
「群雄割拠の戦国時代」
 というものに、そのようにして陥ったのか?
 ということを考え、
「どうすれば、あのような戦国の世に戻さない方法があるというのか?」
 ということを考えると、
「江戸時代の性格というのは、無理もない」
 といってもいいかも知れない。
 そもそも、
「戦国時代に陥った原因」
 というのは、
「中央集権」
 である、室町幕府が弱かったからである。
「弱い君主は罪悪なり」
 と言われるが、まさにその通りだ。
 足利将軍が、政治に目を背け、遊び惚けるなどということになれば、戦は避けられず、特に応仁の乱などで、都を舞台に戦乱ともなれば、守護大名の領国は、隙だらけということになり、
「君主がいない間に、クーデターを起こす」
 という
「下屋上」
 というものが横行してくるのだ。
 これが、
「群雄割拠の戦国時代の始まり」
 ということであり、
「隣の国に攻め入って、領土を増やす」
 ということが横行し、
「中央には何の力もない」
 ということで、
「いずれは自分が天下を」
 ということを、有力大名が思うようになるということだ。
 それを、
「平和をもたらすため」
 ということで、真剣に、
「戦乱の世を終わらせるため」
 と思っていた人がどれだけいたのかということであろうが、少なくとも、実際に天下人になれば、各地平定が必須となるので、おのずとその方向に政策が向かないと、すぐに、他の人にとってかわられる」
 ということになるであろう。
 そんな戦国時代からあるのだろうか、前述の河原に上がった死体の事件の場所から少しだけしか離れていないところに、神社があった。
 そもそも、キャンプ場を作れるだけの場所は、山を切り開くということでできた場所だということになるので、山間になるということで、そこは、昔からの鎮守といえるような神社があって、不思議はないだろう。
 寺や神社というと、どうしても、昔からあるものということで、この街の、守り神ということで、戦国時代はおろか、古代から続いているものなのかも知れない。
 詳しくはなかなか知っている人はいないようだが、実際には、その場所には、説明の看板がちゃんとあるのであった。
 今は、まわりもだいぶ開発され、住宅地になっているところもあって。
「そんなところに神社があったなんて」
 と思っている人もいるかも知れない。
 昔は、ほとんどが森になっていて、そこに神社があるというのは、おおむね想像がつくといってもいいだろうが、今のように、住宅が増えてきて、小高い丘になったところに、申し訳程度に存在する山間の森というと、ほぼ、意識する人もいないだろう。
 今の子供は、表で遊ぶこともなくなり、しかも、神社の境内くらいであれば、遊戯を使った遊びはほぼ不可能ということで、遊ぶ人もいない。
 しかも、神社の石段も結構あることで、
「小さな子供をベビーカーで散歩させる」
 という場合も、この石段は、非常なネックになる。
 だから、昼もほとんど人が立ち寄らなくなった神社なので、本当にひっそりとたたずんでいるというだけになってしまい、誰も意識することがなく、忘れられた存在になっていたようだ。
 ただ、この日は、夕方くらいから、制服蹴官が何か気になっていたようだ。
 というのは、境内に昇っていく石段の下に、鳥居があるのだが、その鳥居の横に、一台くらいなら、車が駐車できるスペースがあり、そこに、一台の車が止まっていたからだ。
 普段であれば意識もしないのだろうが、その車が黒の大型車だったということで、警察官の意識に止まってしまったようだ。
 今の時代は、ワゴンであったり、軽車両が多いという意識があるからなのか、大型車は意識してしまう、
 それこそ、
「どこかの会社の社長が乗っているような車じゃないか」
 という意識から、
「この辺りにはあまりふさわしくない」
 といってもいい場所だった。
 それだけに、前日の今頃の時間から意識をしていて、パトロールの間、気にしていたのだが、最初は、
「どこか、この近くの家に住んでいる誰かのところに来ているのかな?」
 と思った。
 確かに、この辺りは、普通の住宅街ということで、
「月極駐車場」
 というのは多いのだが、スポットでの駐車場は、あまり見かけない。
 もちろん、ないわけではないが、数はそんなにもない。
 人間というのは、
「近くに留めれる場所があれば、どんなに狭かったり、混雑していようが、遠くのゆっくり止めることができる場所をえてして選ばないものだ」
 ということであった。
 それは、
「大型商業施設の駐車場」
 などを見れば分かるというものだ。
「せっかく屋上駐車場があるのに、そっちであれば、ゆっくり止められるのに、何をわざわざ入り口近くの一階駐車場に留めようとするのか?」
 と考えたが、その心理を分からないと思っている人も少なく無いだろう。
「屋上駐車場まで、カーゴ車がいけない」
 ということであれば、当然、屋上は厳しいということになるのかも知れないが、もし、エレベーターがなかったとしても、屋上に、カーゴ車を設置しておけばいいだけで、それほどの苦労はないはずだ。
 ちゃんとエレベーターで移動もできるのに、何を気にするというのか。
「青空駐車場」
 ということであれば、一階も屋上も変わりはないはずである。
 それを考えると、
「ここは駐車違反ではないが、さすがに、数日止められるというのは、検挙しないといけないということになるだろうな」
 と警官は思っていた。
 確かに、駐車場が少ないということでの、同情の余地はあるだろうが、いくら、駐車違反ではないとはいえ、数日の放置は、問題となるだろう。
 何といっても、丸一日以上経っても駐車しているということは、
「何か、想定外のこと」
 ということも考えないといけない。
 特に、
「動いた様子がない」
 ということであれば、それこそ、
「放置している」
 ということになり、その目的が何なのかを警察官として調査する必要が生じるということになる。
 警官は、正直、
「面倒くさいな」
 と思っていた。
作品名:芸術と偏執の犯罪 作家名:森本晃次