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芸術と偏執の犯罪

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 ということになれば微妙であるが、
「同じ人が、今回は山。今回は河原」
 という感じで、使い分けるという人も結構いるのであった。
 そんな仙人峡の河原のキャンプ場を今回利用しているキャンパーは、二組だった。
 片方は、ソロキャンプであったが、もう片方は、男女のカップルであった。
「年齢的には夫婦なのかも知れない」
 と思えるくらいで、もし夫婦だとすれば、
「子供はいないのではないか?」
 と思えた。
 子供がいれば、育児に大変な時であろうから、キャンプなどしているん場合ではないだろう。
 しかし、それも、子供を預かってくれる祖父母のような存在がいれば、不可能ではない。果たして、このカップルはどれなのだろう?
 ソロキャンプの人は、学生であろうか? 二人のカップルに比べれば明らかに若い。
 そして、二組ともそれを分かっているのか、ソロキャンパーが敬語を使っているのに対して、カップルの方は、彼に対して、ため口だったのだ。
 そっちの方が見ていても違和感がないので、
「お互いに問題なければ、それが一番だ」
 といえるであろう。
 カップルは、それぞれに協力してのキャンプで、どちらかというと、
「まだ素人なのかも知れない」
 というようなぎこちなさがあり、逆に、ソロの彼の方は、
「何をするにも手慣れていて、その分、プロの裁きが感じられ、頼もしい」
 と感じさせるのであった。
 実際に、二人のカップルは、彼のことを、
「頼もしい」
 と思っていて、二人になった時、
「お隣キャンパーさんが、手慣れている人でよかったわね」
 と女性の方が言うのに対し、男性の方は、臆することもなく、
「そうだね」
 と答えた。
 プライドのある人だったら、そこで少し憤慨した態度をとってもしかるべきだが、この、
「どちらとも取れない」
 という態度は、彼女に対して、どのように感じさせたのだろうか?
 かといって、男性の方は、冷めた性格ではなさそうだ。
 彼女の方は、結構話題をふってくる方だが、それを無難に返している。それを見ると、
「口下手というよりも、話題性というものに乏しいだけなのかも知れないな」
 と考えると、
「彼女の方に話題があるんだから、凸凹コンビに見えるけど、それはそれで、うまく歯車が噛み合っている」
 ということになるだろう。
 この発想は、実は、ソロキャンパーが感じている、カップルの印象だった。
 それぞれに、悪い印象を持っているわけではない。ただ。ソロキャンパーの方は、話す相手がいないだけで、その発想は、
「自問自答を繰り返している」
 といってもいいだろう。
 それが、二組の間での問題であり、
「お互いに知らない方がいい」
 というわけではなく、
「このことを相手が知れば、相手も安心するだろう」
 というような、
「実にまれなケースだ」
 ということになるだろう。
 逆に。これくらいの人間関係というものが、世の中にもっと増えれば、
「人間関係」
 というもので神経をすり減らしたり、
「人間不信」
 なるものに陥る人は少ないだろう。
 もっといえば、
「精神疾患」
 などと呼ばれる病気も減って行き。その分、
「住みやすい世界になる」
 ということだろう。
 しかし、下手をすれば、
「国家や自治体」
 などというものが信じられないということが今回の、
「世界的なパンデミック」
 によって分かったことで、
「すでに、手遅れだ」
 というほどの状態になってしまうということだろう。
 だが、少なくとも、ここのキャンプ場は実に平和で、お互いに、
「相手の自由は尊重する」
 という状態でありながら、
「できる時間は共有したい」
 という気持ちがあるのか、
「お食事、ご一緒しませんか?」
 と言い出したのは、女性からだった。
 このような雰囲気で、女性から言い出すというのが一番しっくりくることであり、このカップルは、それだけ、人間関係においては、気を遣うことに長けている人たちだといってもいい。
 それぞれ。自分たちの分だけしか用意していないはずだったが、
「2+1=3」
 という公式を、うまく使うということで、拘留が生まれるというのは当たり前の発想だといってもいいだろう。
 ただ、
「発想が凝り固まってしまい、世間の常識というものを最優先で考えてしまう人には、このような機転が利く」
 ということはないといえるだろう。
 逆に、
「これだけの機転が利かないと、キャンプというものは成立しない」
 ということであり、逆にいえば、
「機転が利く人でないと、キャンプができない」
 あるいは、
「キャンプに行こうという気が起きないのではないか?」
 ということになるであろう。
 キャンプ場が自分たちが考えているよりも静かで自由だ」
 と思えるからできることであり、
「自由というものの本当の意味を分かっているから、見ず知らずの相手であっても、気兼ねなく気を遣うことができる」
 ということになるのであろう。
 その日は、夕食前に、
「釣りでもしませんか?」
 ということで意見が一致した。
 そもそも、河原でキャンプする人は、基本的に、
「釣りを楽しむ」
 ということを目的にしている人が多いだろう。
 しかし、この二人は、
「私たち、釣りは初めてなの」
 ということであった。
 相変わらず、話をするのは女性側で、それに対して男性が、助言をしているとか、女性が、意見を求めるということをしているわけではなかった。それを考えれば、
「このカップルは、夫婦であろうがなかろうが、息がぴったりであるということに変変わりはない」
 ということであった。
 だから、ソロキャンパーも安心して、女性に話しかける。
 知らない人がみれば、
「どっちが、彼女の連れか分からない」
 ということになるか、それとも、
「男二人に女性が一人」
 という
「三人のグループではないか?」
 というどちらかに見えることだろう。
 それこそ、食事の時間の団欒が、まさにその雰囲気を醸し出していた。
 食事の時間になって、やっと、男性が口を開いた。
 二人は、
「県内の商事会社に勤める仲間だ」
 ということであった。
 ソロキャンパーもその名前は聴いたことがあって、
「ああ、あの企業ですね?」
 ということで、
「地元では、その業種としては、大手だ」
 という認識を持っている会社だったのだ。
「私の方は、こじんまりとしたオフィスに勤めているので、対照的というところでしょうかね?」
 といって笑顔で話をしていたが、彼はソロキャンパーというだけあって、
「あまり人の多いところは苦手なのかも知れないな」
 ということで、見るからに彼は、
「適材適所の会社に勤めているんだな」
 と感じたのであった。
 適材適所という意味では、
「自分たちはどうなのか?」
 と思ったが、
「傍からはどう見えるか分からないが、自分たちは、あまり今の会社に満足しているとは言えないかな?」
 と感じているようで、ソロキャンパーを見る目が、どこか羨ましいという目で見えているのではないかと感じたのだ。
作品名:芸術と偏執の犯罪 作家名:森本晃次