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芸術と偏執の犯罪

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 というものが最盛期となり、文字や通話などで、コミュニケーションが図れるようになると、
「政治、宗教の話題をすれば嫌われる」
 ということで、特に、
「集団で行うチャットなどの会話では、政治、経済の話題に触れる人は入室不可」
 ということで、
「自分騙り」
 であったり、
「マウントを取る」
 というのと同レベルで、嫌われるということになるのであった。
 そんなネット社会を、政府は分かっているのだろうか?
 もっとも、与党というのは、
「投票率が少ないと、自分たちが有利だ」
 ということを分かっている。
 だから、口では、
「投票率を上げないといけない」
 あるいは、
「国民に、もっと政治に興味を持ってもらわないといけない」
 と言いながら、
「どうせ、投票率が少なければ、その分、自分たちに票が入るのだ」
 ということになる。
 つまり、それだけ組織票が強いということで、投票率が増えて、
「間違って野党にでも野党に票が入れば」
 と考えると、やはり、確実なのは、
「投票率が低い」
 という状態になった時であろう。
 かつての、
「テーマパークブーム」
 というものにおいて、何といっても、
「事業を拡大すればするほど儲かる」
 と言われた、
「今では信じられないような時代」
 その頃が、
「テーマパークの建設ラッシュ」
 であったり、
「博覧会の開催」
 というものが、ブームと言われた時代だった。
 それはある種、
「都道府県の名誉にかけて」
 ということでもあっただろう。
「隣の県には負けたくない」
 であったり、
「地域一番の県」
 というプライドを持っていれば、隣の地域の、
「地域一番の県には負けたくない」
 という思いから、余計に、
「プライドをかけた戦い」
 というものがあってしかるべきだといってもいいだろう。
 だから、県によっては、
「自分たちでは、キャパオーバーと言われるような計画であっても、
「バブル景気を信じて疑わない」
 という意識から、
「事業拡大すればするほど儲かる」
 という神話を全面的に信用していたということであろう。
 そもそも、バブル崩壊のきっかけとなったのが、この、
「神話の崩壊」
 からであった。
 この神話というのが、
「銀行の不敗神話」
 ということで、
「過剰融資などが、なぜバブル崩壊につながるということに気づかなかったのか?」
 ということに尽きるわけだ。
 だから、実際に、
「バブルの負の遺産」
 と言われたテーマパークなどが、最終的に、
「負債」
 ということで、それ以後の県政で、問題が消えないということになるのだ。
 だから、それ以降は、
「実際に必要なものを、経済的に作る」
 ということで、
「経済的」
 というのは、
「最低の資金で、最大の利益をもたらす」
 ということが経済学の基本だということであるから、よくわかるというものだ。
 それを考えると、
「アウトドアのレクレーション」
 のように、今の時代、会社でレクレーションといった施設を作るだけの資金がないだけに、それを県民が利用してくれるのであればあ、これに越したことはない。
 県民としても、
「住民税を払っているのだから、その分、安くなっている」
 と思うと、福利厚生を会社が考えてくれないことを考えれば、
「利用しない手はない」
 といえるだろう。
 特に、
「山間の、キャンプ場」
 であったり、
「アスレチックなどの施設」
 というのは、半分は、
「自然環境の一部だ」
 と考えれば、それを使えば、加工するだけで一から作り上げるわけではない分だけ、予算を削れるかも知れないといえるだろう。
 それに目を付けた県も少なくはないだろうが、H県は、その中でも、結構早いうちに、
「自然を取り入れる施設建設」
 というものを手がけていたということで、
「先見の明があった」
 といってもいいだろう。
 一時期、
「世界的なパンデミック」
 のせいで、
「緊急事態」
 と言われた間は、休業の危機にあったが、逆に、それから抜けると、
「パンデミック期間」
 と呼ばれた数年間でも、比較的賑わっていたといってもいいだろう。
 なぜなら、
「パンデミック時期」
 というのは、
「人が密集してはいけない」
 ということでの、緊急事態の時には、
「店舗の休業要請」
 であったり、
「企業へのリモートワークの推進」
 ということを行っていた。
 だから、
「表に出ない」
 ということで、
「身体がなまってしまっている」
 という人が急増し、早朝など、マスクをした状態で、公園を散歩するという人が増えたのだ。
 だから、開業している間は、アスレチック施設やキャンプに人が来るというのは当たり前もことだった。
 ただ、
「パンデミックの最中」
 ということで、入場制限は当たり前にあり、
「人となるべく接触しない」
 ということも、エチケットとして当たり前のことであった。
 だが、そもそも、
「屋外」
 ということで、接触の機会もだいぶ和らぐということになるだろう。
 つまりは、
「自然環境の中で、しかも、適度な運動ができる」
 ということで、任期なのは当たり前であろう。
 ただ、それでも、
「少しでも人が密集すれば、キャンセル」
 という人もいただろう。
 そもそもが、
「身体に気を遣っている人が利用するのだから、伝染病に罹ってしまうのであれば、それこそ、本末転倒だ」
 ということになるだろう。
 それを考えれば、
「人数制限があるとはいえ、まだまだ他のところに比べれば、繁盛していた」
 といってもいいだろう。

                 川を流れる死体

 そんな仙人峡というところは、今ではパンデミックも一段落したことで、人数制限もなくなったので、かつての賑わいを取り戻したといってもいいだろう。
「キャンプというと、時期がある」
 ということで、冬の時代のキャンパーは、どうしても少なくなっただろう。
 しかし、最近では、
「一人○○」
「ソロ○○」
 ということで、任期があるものが増えてきた中に、
「ソロキャンプ」
 というのがブームになったりしたことで、
「そもそも、ソロというだけに、一人で静かに行う」
 というのが、そのメリットだった。
 しかも、最近では、
「ドラマやアニメ」
 さらには、バラエティ番組でも、
「ソロキャンプ」
 をテーマにしたものが増えてきた。
 ということで、
「キャンプ場に来る人も増えた」
 ということである。
 それも、季節にかかわりなく、冬でもである。
「冬の方が人が少ない」
 ということでの人もいることだろう。
 さらに、冬の方が空気が澄んでいるということで、
「景色を堪能できる」
 と考える人も多く、そうなると、
「プロキャンパー」
 と言われてもいいレベルの人も多いということであろう。
 キャンプ場には、炊事場なども用意されているが、河原もあり、そこでキャンプをしてもいいということになっている。
 河原専用のキャンプ広場もあり、そこでは、釣りを楽しむ人が多いのであった。
「山のキャンプ場と、河原とでは、ソロと団体の比率としては、どうなのか?」
作品名:芸術と偏執の犯罪 作家名:森本晃次