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芸術と偏執の犯罪

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 「今回のパンデミックはこれで何とかなるかも知れないが、次回、似たような事態に陥れば、政府のいうことを聴く国民がどれだけいるというのか?」
 ということになる。
「ワクチン問題」
 の時も、
「何かあれば、政府が責任を持つ」
 といっておいて、結局、
「接種後に死んだ人がいる」
 ということであっても、その責任を、
「因果関係が認められない」
 ということで、責任を一切持つことはなかった。
 確かに、平時であれば、
「因果関係」
 という言葉も言い訳にはなるだろう。
 しかし、
「世界大戦以降、最大の有事」
 と言われる事態であり、しかも、政府自ら、
「何かあった時は責任を持つ」
 と言った言葉が真っ赤なウソだったということになるのだ。
 しかも、
「人流抑制政策」
 ということで、飲食店などの店舗に、
「補助金を出す」
 といっていた。
 しかし、その額は、その店の、
「一日の売上よりも安い」
 ということで、一応、
「規模に応じての支援金」
 とは言っていたが、その実態は、ほぼ、そんなものは無視していて、調査をしたのかどうなのかもわからない状態での、
「不公平な支援」
 ということであった。
 さらに、その
「雀の涙」
 とも言われる支援金も、その手続きの複雑さであったり、
「行政の手際の悪さ」
 というか、
「お役所仕事」
 というもので、結果、支給されるまでに半年以上もかかるという、
「お粗末さを通り越した情けなさ」
 であったのだ。
 だから、ほとんどの店が、
「支援金が出る頃には、潰れていた」
 ということで、
「これだったら、政府のいうことなんか聞かなければよかった」
 と思っている人も多いことだろう。
 しかも、今では、その緊急性は、ほとんど収まっているといってもいい。ニュースなどで、その病名を聴くことはほとんどなくなってきたのだが、実際には完全に収まっていないのも事実だ。
 しかも、
「次にどんな伝染病が流行るか分からない」
 と、世界的に言われている状態で、
「今何をしないといけないのか?」
 ということを、政府は分かっていないということだ。
 それが何かというと、言うまでもなく、
「検証」
 というものである。
 会社などで、トラブルが発生した時に、どの会社だってするではないか。
 トラブル発生の時、まずは、
「復旧」
 ということが一番である。
 そして、
「二次災害を起こさない」
 という意味を含めて、混乱をいかに抑えるかということの問題。
 そして、復旧を行っている間に平行作業で行うのが、
「原因の究明」
 ということになるだろう。
 これはあくまでも、
「開発部門に課せられた義務」
 ということであるが、上層部などは、
「プレス発表」
 であったりと、説明責任を果たさなければいけないだろう。
 そして、その後で考えるのが、
「再発防止策」
 というものを考えることである。
 そこまで行って、初めて、
「トラブルの解消」
 ということになるのだ。
「世界的なパンデミック」
 というのは、
「形の上では、自然現象」
 ということだったので、
「原因というのは、ないといってもいい」
 しかし、発生してしまったことに対し、いかに、被害が拡大しないかということ、そして、広まってしまったことへの政策のまずさを考え直して、再発防止につなげなければいけない。
 これが、
「検証」
 というものである。
 検証というのは、その節目節目にあるもので、一つではない。
「病気になった人それぞれで状況やパターンが違っているのだから、それだけ限りない検証が必要だ」
 といってもいいだろう。
 それを考えると、
「世界的なパンデミックに対しての政府の検証は、まったくできていないといってもいいのではないだろうか?」
 なぜかというと、
「国民に対して。検証した内容を一切公表していないからだ」
 確かに、マニュアルというものは、パンデミックの最中に、あるのはあった。
 しかし、それはあくまでも、その時々で、状況によって変わるものであった。
 それだけに、spれは、
「検証におけるマニュアル」
 というわけではなく、
「緊急的なマニュアル」
 ということで、まったく、
「信憑性のないもの」
 といってもいいだろう。
 その信憑性というものがあるのであれば、
「ここまで被害が大きくなることもなかったであろう」
 といえるのではないだろうか。
 さすがに、H県は、
「世界的なパンデミック」
 の頃の政府に比べれば、検証は行っていた。
 確かに、
「被害の規模というところでのレベルが違う」
 と考えれば、その検証も、時間が取れるといえるだろうが、
 そもそも、
「やる気があるのか?」
 という意味で、
「正直、政府にその気があるとはとても思えない」
 というのが、国民の総意といってもいいだろう。
 実際に、パンデミックが去ってからというもの、波は以前ほど小さいとはいえ、数回の波は押し寄せている。
 しかし、すでに、
「伝染病レベルが引き下げられた」
 ということで、それこそ、
「自分の命は自分で守る」
 という状態となり、
「ワクチン代、医療費も、健康保険の範囲での治療代を取られる」「
 ということになり、完全に、
「国家はノータッチ状態になった」
 ということであれば、国民に、その対応に対してのマニュアルを、ハッキリと分かるように示す必要があるのに、簡単な説明を箇条書きにしている程度ではないか。
 それを思えば、
「何を検証をしているというのか?」
 ということだ。
 そもそも、非常事態の間でも、
「専門家の意見を参考にしながら」
 と言いながら、
「都合の悪いことは無視する」
 という状態だったのだから、
「検証もくそもない」
 といっても過言ではないだろう。
 H県も、国家に対しては閉口していた。
 確かに、あれだけの国家を揺るがす大事件ということであったのだから、政府だけでできないことは、自治体にも、責任を負わせるというのは当たり前のことであろうが、そのわりには、その指示体制がしっかりしていない。
「どういう時にはどうすればいいか?」
 というマニュアルもない状態で、
「政府の思惑も知らされないまま。ただ、形式的な話をされる」
 というだけでは、
「自治体ごとにまったく対応が違っている」
 と言われても、仕方がない。
 そうなると、ひいては。
「政府は差別している」
 と思われても仕方がないだろう。
 何しろ、
「どこまでが政府の仕事で、どこからが、自治体の仕事なのか?」
 ということを国民は知らないので、ただ、考えられることとして、
「国と自治体とで、まったく意思の疎通がなっていない」
 と思われるだけである。
 それこそが、
「役所仕事」
 というもので、このような、
「非常事態」
 に陥らなければ、なかなか国民が意識することにはならないだろう。
 それだけ、平和ボケした国なので、政治などの話題は、日常会話では、
「タブーだ」
 といってもいいだろう。
 今のように、
「インターネットが普及した時代」
 ということになってくると。
「SNS」
作品名:芸術と偏執の犯罪 作家名:森本晃次